一章-17
今日は土曜日だ。学校に行くわけでもないのに早朝とも言える時間帯から外出している僕はなんなのか。外の景色を見たくなった、などという感傷は皆無。散歩に出ても不運に見舞われるだけだと経験上から知っている。ならばこの場にいる理由とは?
「また会いましたね」
声をかけられた。同年代の少女。どこかで見たことのあるような、丁寧な口調な割にとげのある雰囲気の少女。
(……思い出せないけれど)
「えっと……誰でしたっけ」
前に会ったことがあるらしいのに記憶になかった。記憶力は悪くないはずなのに、と自身にとぼけてみる。実際に覚えてないのだから効果はなかったが。
「そういうひとですか」
「そういうひとです」
なんか納得された。この反応は多分、話した事がなかったのだろう。会っただけか。いや、まだこの人物の勘違いという可能性もなくはない、――わけがなかった。案内してくれた子だ。名前だけ聞き、無言だった。会話らしき会話もしていない。けれどそれは確かな接触だ。互いにそれと認識し合っているのだから。
「俺とは初めて組むな!」
パラドックスの主な活動は夜の見回りだ。時間帯や場所をずらして数人に固まって動く。それに僕もあの日以来、数回参加しているからパラドックス内のメンバーも幾人かは顔見知りだ。けれど、
「知らない人とは話をしない方がいいみたいですよ、母親の知恵です」
「ちょ、ちょ……」
「そうですね、古人はいい事を言います。名前も名乗らずに話しかけてくる非常識な奴とは親しくなれば非常識が身についてしまうという教訓ですね」
名前も覚えていない少女は意外にノリが良かった。
「ええ、もっともです。では離れるとしますか」
「ちょっと!待て待て。自己紹介するから!葛原だから!葛原達彦!」
歩みは変わらない。葛原との距離は開いた。
寄りかかっていた木から背を話し、次第に集まる方へと向かうだけなのになぜ慌てるのか。僕には理解できない。
「朝から土曜出勤なんてものがあるんですね」
集合を掛けた女性、海和に問いかける。公園広場に佇んでいる現在、活動の集まり。
「そうよ?びっくりしたかしら」
「いえ特に」
びっくりしたのはこの大人数での待ち合わせ。こんな場所にいつまでも留まっていることの方がよっぽど驚くに値する。さぞかし注目を集めるだろうこの事態を引き起こした、もとい言いだしっぺは誰なのだろう。絶対に物事を深く考えずに発言しただろう。そしてこの案を可決した者も何も考えては居ないだろう。呆れた面を見せる者は僕以外にもチラホラ。指揮を執るのは葛原と、今現在僕の隣にいる海和。彼女に対しての形容詞として思いつくものはなかった。海和は特徴の薄い人物だ。服装もスーツなのでただのOLというもの。だから、何も考えずに言葉が口につく。
「――この大人数でゲーセンに行ったら目立つだろうな……」
「は?」
「だって、成人している人もいるでしょう?こんな集団、それでなくても目立ちますよ」
その図を脳裏に浮かべる。ゾロゾロと、列を成してゲーセンに入り、その奥へと消えてゆく人影が十数名。以後数時間、見かけない。――異様。異質。異常。
それがこの現実世界において衆目に晒される。人々は不審に思い、不気味さを感じるかもしれない。そして非凡なる日々を知覚するかもしれない。平和というものが果実のように時間とともに甘く熟し、腐っていく様と同じに感じ、また陽炎のように頼りないものだと痛感せざるを得ない日々を送り始めるかもしれない。それは僕らの行動、アイツを廻る人物たちの行動如何によって。
「なんでゲーセンに行くのよ……」
「え、ジェミニをやるんじゃないんですか」
呆れたような風情に平然と返す、それに対する海和の答えは的外れなものだった。
「ジェミニ、ってなんでゲームが出てく……」
「――ストップ。ちょっと待ってくれ」
まずは思考を排除しろ。それから状況を整理しよう。混乱はするな、思考も止めるな、ただ効率よく回転させろ。まず、まずは質問からだ。疑問の解消が最優先。
「――OVERが何だか、知らないんですか?」
「何よ、OVERって」
「あの化物の名称ですよ。……って――え?」
「へ?」
軽く口にした答えだけれど、そうじゃない。そうじゃないぞ、何故僕が答えるんだ。そして聞き返されるのは僕ではないはずだ。そんなのはもう、始めから間違っている。
(――僕、来るとこ間違えたかな)
一つ目の答えさえ、前提でさえ、なかった。余りにも、想定外。
この組織はなんなのだろう、本当に組織なのだろうか。組織としてきちんと成り立っているのか。統一性がない。統率がない。情報のやりとりがない。NNMの方がマシだった?
NNMが辛うじて一つの集団としてまとまっていられたのは、そこに崇め奉る人間がいたからだ。天才を天才として祭り上げるような人間の屑とも呼べる、人格を疑うかのような天才至上主義・完璧なる豚根性の実力主義。――プライドの塊でありながらも認めたものには奴隷よりも下等扱いされても文句は言わぬ、という心底プライドの塊によってできた秀才たち。僕は彼らが未だサークル創設時の理念である世界の真理追究に命を燃やさんとしているならばかわいそうだと思う。そのための行動として僕の示した、“OVERに対抗すること”を世界に最も近き道と尊ぶのなら、本当に悲惨だ。“OVER”は確かに彼らの目指す世界の真理への道だ。だが、――太陽に近づきすぎたイカロスが翼を捥がれて死で以ってその罪を贖わされた事を、彼らは本当の意味で理解していない。
初原なる存在が神に行った裏切り行為。契約破棄。そして罪は楽園の追放。原罪だ。けれど、それは蛇の罪?人の罪? 約束は破りたくない。彼らの追放の運命を遮りたい。だから、嘘をつく。神さえも騙して楽園を続けたい。真実は秘されたまま時は進む。いつか、どうしようもならなくなる時までは、せめて幸せな夢を“彼女”に映す。
ぴぴぴぴ。 ぴぴぴぴ。 ぴぴぴぴぴぴぴ。
がなりたてるように、急かす様に音が響く。そうして僕は世界を知覚する。現実という世界にいることを認識する。それから、僕というものを、現状を再確認した。
「あ、ちょっと待ってください」
それまでまとまりのなかった空間に静寂が満ち、僕に注目が集まる。音源は僕の携帯だ。普段は鳴らない白い携帯。前置きをしてから、僕は電話を取る。繋がる。僕と電話の主がこの小さな機械によって距離の隔たりをなくした。「――そうか。わかった、すぐ行く」
要件は電話だけではすまなかった。といっても、単なるお呼び出し。必要なもの、用意するものもない。準備なら覚悟のみ。未来に対する心構え。僕の体質は彼女とともにいると彼女の幸運体質によって改善される。だが、それは事故など日常的に起こりうるハプニングの回避であり、変わりに必ずといっていいほど何らかのイベントが発生する。作為的ではない、偶発的ではない、運命的な何か。避け切ることのできない因果。僕は巻き込まれる形で、幸福体質が故のハプニング体質に振り回される。
「今日は用事があるので、帰ります。それじゃあ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……っ!」
その呼び止め方で止まる者がいるのなら、それはよほどの物好きか変わった人物か。ちなみに僕が止まったのは言うべきこと、先ほどの話の一件が気に掛かってのことだった。僕の中の優先順位は彼女――架火が一番。最上。
「詳しい事は隊長に聞けばいいじゃないですか。じゃなきゃ明日にしてください」