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Distorted  作者: ロースト
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一章-13

「――柏?」

 驚いた。それは動揺が隠せなくなるほどの驚きだった。

「示崎か、早いな」

 そう、これは早朝の話だ。教室の壁に掛かる時計は七時半を回った程度で、九時始業のため生徒がこの時間に登校することは珍しい。だが柏はいた。僕の隣の席に座り、突っ伏して。入口で固まってしまった僕に、何も考えていないような顔を見せる。それは単に寝ぼけていたからだと思う。思考に耽っていたからだと思う。それでも、そんな無防備な表情をしている君に僕は近寄れない。――僕はきっと壊してしまう。このまま歯車が回れば、きっと。


「入らないのか?」

「入る、よ」


 扉の前で突っ立っていた僕に怪訝な顔を見せる柏に辛うじて声を出せたのは僥倖。驚きの連続で麻痺していた僕の思考が正常に動き出す。自分の席、柏の隣に向かう。柏の視線を意識する。いつも通りを僕は装う。柏の表情は警戒心を含んだ、他者を拒絶する平常に戻っていた。しかし僕は道化になったみたいに、不自然に跳ねる鼓動を表に出さないまま行動する。

 僕はうそつきだ。

 言葉だけでなく、行動でも偽ることは身に染み付いた性分である。椅子に座り机の中を整理し終えるとカバンから本を取り出す。そのことで柏の視線は外れた。柏は再び机に突っ伏している。手にした本は何となく持ち歩いているだkrのものだ。景色を眺めたり思考することで時間を潰すことを覚えてしまっているので読み進むこともない。ただ、その本は遺品だった。

 今日も読み進められそうにない。僕はページを開いたまま、思考に耽る。


『やあ、柏。お早う。随分早く来ているんだね』

 話しかける、絶好の機会だ。自然に当然に、会話を始めればいい。他人のことを気にすることもなく話せるなんて他にないかもしれない。ならばこれを逃す手はない。

 視線は柏に向く。突っ伏したままの柏が居る。教室にはまだ誰も入って来そうにない。そっと時計の針が動く音がして、小鳥のさえずりが聞こえる。風もそよぐ。爽やかな朝、静かな朝。――この空間が僕には心地よい。

 雰囲気を壊す言葉を僕は出せない。

(何をどうやって話せというんだ?)

 何も、話せなかった。何も晒せない。僕が僕であることを、彼に知らすことはできない。真実をすべて覆い隠したまま、僕にいったい何を話せというのか。

 俯き加減で拳を握り締める。唇をかみ締める。痛みが感情を、衝動を抑制するように理性に語りかける。けれどそれはあまりにも小さな取っ掛かりでしかない。儀礼的で何の枷にもならないことを知っているというのにしてしまうのは、あまりにも人間的過ぎて――僕は本気で僕という人間が分からなくなった。



「――示崎?」


(……馬鹿らしい)

 自分の思考を切り捨てる。上げた視線に柏の視線が貫く。いつの間にか彼を眺めていることに気づかれてしまったようだった。苦笑を返す。今、言葉が飛び出れば。それはどれもこれも本心めいているのにうそ臭いものになりそうだ。気持ち悪いほどに偽善で表面的な言葉を語る。いい機会だから言ってしまおう――そんな軽いことではない。

 ジェミニを始めた僕。リスタという名でヴィオというプレイヤーに会った。彼が柏であることを僕は知っているけれど、柏はリスタが僕だと知らない。僕は昔の彼を知っているけれど、彼は昔の僕と今の僕を結び付けていない。この歪んだ事実を彼はいったい何と思うだろうか。昨夜、僕の出会った化物のことを聞かされて?

 ――信じる者はいない。ゲームの中のモンスターが現実に存在し、男がそれを倒した。なんの夢だ。


 ああ、現実は酷く重苦しい。僕は多くのことを知っている。けれど、それを語れない。語れないのに彼の傍にいようとする僕のエゴ。粘つくような不快感は罪悪感でもある。

 僕は贖罪がしたい。ある少女のために、目的を達成しようと思う。だが、だからといってそれに他人を巻き込むのは酷く醜悪で、贖罪でもなんでもない。新たな罪だ。柏を巻き込むことを承知で、それでも僕は止まらない。だから、罪悪感。

(時期尚早。焦るな。焦るなよ、僕)

 急いてはことを仕損じる、とは誰の言葉だったか。脳裏に染み付く。

 僕は特異体質だ。不運体質。トラブルメーカー。周囲に悪を撒き散らす存在。そこに在るだけで不協和音を投げかける。過干渉は相手を壊すことになる。自分の内に問いかける。

(――悲劇を、忘れたわけではないだろう?)


「なんでもないよ。なんでもないんだ」

 笑顔で感情を押し込め返す。カサリと僕の心は乾いた音を出したけれど、本心だった。だから笑顔で遠ざける。時間は過ぎてゆく。時計はコチコチと動き、刻み続ける。

 君との記憶。いつしか思い出へと変わり果てる時間。この空間はこんなにも親密で居心地が良いのに、過去となってしまえばそれはもう、味わえない出来事なのだ。

 今は、ただこの時を、過ごす。この時を大事にしたい。――だって、ようやく訪れた、再会の時間なのだから。休息のために、と心に言い訳を述べて眼を閉じた。

「いや……本、逆さだ」

「え」



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