四章-7
「ヴィオ」
「行って。大丈夫、ここは任せて」
「だが」
「自信があるから。負けない、絶対の確信を持って言えるよ」
己の唯一つの武器を、握り締めた。
「……わかった、気をつけろよ」
「そっちこそ。――すべて、終わったら話したいことがある」
その言葉に、僕はただ頷いた。
「ヴィオ――」
「リスタ?」
小さな声に、その背は振り返った。
いろんなことがあった。
もう、随分昔のように感じる双子の弟・晩との初めての出会い。架火と親友になり、静さんを兄と慕った。四人で過ごす日々から、ジェミニを作り上げた時。ジェミニにログインして、ヴィオと出会った。――ギルド・バジリスクの結成。架火と晩の間に挟まれて喧嘩の仲裁をした時もあったし、ロキやヴィオと一緒にギルドを抜け出してお祭りに行った事もあった。ヴィオを庇って、逆に怒られたこともあった。
再会したヴィオは前を向いていた。それまでの、僕のいない間のことは聞いていた。だから、あんなにも真っ直ぐに進める彼が羨ましく、眩しく、愛しく感じた。
(あまりにも、輝いていて。……隣に、立ちたいと望んでしまった)
自分のことを振り返って、立ち止まって、それでいいのかと幾度も問いかけた。
リスタとして、ヴィオとまた冒険を続けて、仲間に再会して、新しい仲間が出来て、……戦いは絶えずあったけれど、別れと出会いの中に、僕は絶望以外のものを知った。
人に絶望し、けれど嘆きながらも希望を失わずに人に期待し続けたルッツ。
世界に絶望し、けれど愛おしさと悲しさを祈りに代えて前に進み続けたレティス。
世界に絶望し、けれど怒りに眼を曇らせることなく世界を見据えていたマチルダ。
人に絶望し、けれど求めたものの最後の姿を得て喜びに泣いたシェリー。
(――オルトロリカの罰は、僕の扉。そしてロキの扉でもあるんだ)
ヴィオを巻き込んだ罪。ジェミニというものに幻想を抱いた罪。世界の理を知ってしまった罪。原初の、罪。
二年間、僕はただ後悔と停滞を行い、故に進まなかった。――それ故の、罰。
あの日、二年前に鍵の開かれたままの扉。
「……ばいばい」
最後なのだ。
示崎晩は、フォックスは、リスタは、――これで何処にもいなくなる。
最後なのだ。こんな風にして会えるのも。――これで最後。
「行かせないっすよ」
酷薄に笑うロードに、笑う。
僕は怒っている。ヴィオの精神を崩壊させかねない強行を行ったかつての仲間を、その行動を許せないでいる。裏切りに対する怒りを裏切りで贖わせようと言うことに悲しみを感じる。寄って集って、暴力を行うような卑怯な行動に、失望した。そして今、やっと対峙した“過去”に歓喜している。
「それはこっちのセリフだ、ロード。手出しはさせない。――来なよ」
それが最後の火蓋を切る。
「――二年前の再現を、フォックスに、裏切り者に制裁を!」
「な、何故……」
疑問は木魂した。
「温いんだよ」
ロードはもう、笑えない。
その腕が、足が、ホログラムとして消えていく。痛覚はなくとも身体の失われる感覚、喪失感に、脳が錯覚する身体の欠落に、……恐怖が募る。
痛覚がないからこそ、怖い。ゲームだとわかっていて、けれど深遠を覗いた側のプレイヤーであるロードにはそれは恐怖でしかないだろう。
(……悪夢だ)
悪い夢。奇妙で、恐怖だけが浮き上がる。
「君は喋りすぎた。騙しはね、僕の専売特許だ。意識を自分からそらすために必死すぎだよ」
ロードの能力“夢喰い”――かつては知らなかった。
巧妙に、仲間内にもその能力を誤認させていた。いつだって能力を行使し、装備も挙動も戦闘スタイルも、すべてが偽りに満ちていた。あれだけ周りにいたかつての仲間も、すべてが虚像。ロードの作り出した幻術だ。
あの頃の記憶は決して消えないのに……思い出は変わらないのに、裏切られる。
(僕も同類だ)
偽りの名、偽りの生活。架空に、僕らは囚われている。
「……まだ、気づかないか?」
「な、に?」
ロードに現実を突きつける。それが最後の、優しさ。
「リアルでの自分を覚えてる?リアルに戻った最後はいつ?」
「……え?」
残酷でも、知らなければ何も出来ない。前を見なければ、何も知らないままだ。
「――ロード、君はもうすでにこの世界の亡霊だ」
(――己自身が、幻の存在だと、自覚しろ)
「僕が今更戻ったのは、君のことがあったからだ」
オルトロリカの罰――四神の目覚めを呼び込み世界を絶望で満たす。パンドラの箱から一番に飛び出した“罰”は最初の食事をした。プレイヤーを食らった。始まりはロキの裏切りから。この場所を知ったのもロキの仕業だろう。何から何まで、ロキの思惑に操られた。
「“罰”の人柱はロード、君だ」
「なに――……」
それに
「オルトロリカの罰は僕の扉だよ」
始まりと終わり。ジェミニ――それは双子の意。だから、僕が受け止める必要があった。
「ロード、目を覚まして。今の君はホライズン・ギネスじゃなくてただの意識不明者だ」
(君はいつから現実を捨てた――?)
「君を、待っている人がいる」
「あ、あ、ああ……あぁ」
病院で、目覚めるのを待つ人がいる。二年間の夢、まどろみ。もう、持たないと言われて二ヶ月――ギリギリだった。
最後の、嘆きに眼を伏せた。
輝きが虹色に、淡く、舞い上がる。
「……体があるうちに、帰れ」
戻れなくなる前に――ロキと同じになる前に。