四章-6
「……じゃあ扉は!?あれは何だってんだよっ!?」
「コア」
ここに来るまでに扉は必要なかった。だから、ここが終着点ではない。
なのに、僕が連れてきた場所はこの部屋だった。その不一致はなんなのか。扉の必要性は――
「既に此処は忘れ去られた過去。あれは新しく世界を動かす、その心臓。第二の場所」
以前の核は確かにここにあった。けれど、既にそれは移送を完了している。
残っているものはロキには必要のなかったもの。……けれど、僕がここを守ってきた意味はある。
ここにはそれだけの価値がある。
「ここはね、心象風景を表すんだ」
これ触って、と四角いだけの空間の壁にある突起物を触った。ヴィオも続いて触れる。
それはすぐさま無地の壁を変え、姿を現す。――心象風景だ。
「だから残されたのは希望じゃない。かつての楽園は、人がいなくなったことで壊れたんだ。寂れて、いつかの瓦礫ばかり、枯れ果て、悲しみに彩られた。絶望が座する、冠のない国」
「……これは、誰の心だ?」
「――まったく、変に鋭いよね」
「コレは君の心」
「扉の世界かぁ、僕と同じだ。――迷ってるから。いくつもの選択肢があることを知ってる」
扉を開けても変わらない風景。扉の先にはまた同じ部屋がある。辿り着くことはない。
それが生きることだと知っている。人は、生きる上で迷わないことはない。そう示すように、いつだって選択の先には選択がある。それにはいつも覚悟が必要で、それに一喜一憂する。
「仮初めの場所でさえも僕らは夢を見れない」
壊れてしまうとわかっているから、作りたくないのだ。立ち上がる気力さえ奪われそうだから、依存してしまいそうだから。
「でもね、人間は弱い生きものだよ。ただ一人で歩くことはできない。たった一人という孤独を愛することはできても、寄り添うことはできない」
だから僕らは取り戻すしかないんだ、僕らの大事な場所を。過去にしてはいけないんだ、僕らの居場所を。
「行こう。扉は既に開かれている」
君がここに来ることで得たもの。自分自身の心と対峙すること。
それが、扉を開くのに必要な、最後の覚悟。――オルトロリカの罰が開く。
「すべての子等は目覚め 夢は今に繋がり たゆたう現実は姿を変えて出会う 双子は家へ帰った」
「さ、開いて」
最後は笑顔で、押し開いた先を見せた。
「待てよ」
ハッと見渡す。
しかしそこには数分前と変わらず穏やかで制止した空気があった。とても殺気じみた声音の欠片は窺えなかった。しかしまもなくフォン――という電磁音が鳴り瞬きさえ長い時にデジタル化された身体が転送されてくる。ジェミニではよくある音と光景、しかしこの場ではあり得ないはずのものだった。ただのゲームでは入手不可能なワードを用いたこのエリアはそれと知る者以外には決して来ることのできない場所である。僕と、僕が教えた者以外には立ち入れない。――けれど、現実としてここにはプレイヤーが、
「なぜここにいる――ロードッ!」
かつて、ロキとともに僕らが作ったギルド・バジリスクのメンバーが、そこにいた。
「この間ぶりッスね、お二人とも」
激昂に対する返答としては落ち着き、的外れな言葉が皮肉に歪められた口から零された。つい先日会ったとは思えないほど、酷薄に、余裕の笑みを向けていた。
ホライズン・ギネス――境界線上の挑戦者。互いの生死の境目を楽しむような戦いから付けられた異名。
「おぃおぃ、俺らは無視か?フォックス」
「……」
一瞥のみを向け、ロードに視線を合わせ直した。周囲で怒気が膨れ上がるのを感じたが、今この場でもっとも警戒すべきはロードに違いない。仲間であったことに違いはない。しかし、ロードはギルド内でも有数の二つ名を持つ者だ。その実力は一番の新参者であったにも拘らずロキに気に入られ連れまわされていたことからも、よくわかる。
「ちっ!裏切り者はこれだから――」
「裏切り者?――ロキがそう言ったのか?」
一人の漏らした言葉を、聞きとがめて確かめるように自らの口で木霊させた。
運が良かったのか、悪かったのか。その言葉は閑静な世界に広がり、回収された。
「何言ってやがる。歴然とした事実だろ」
「……ロキが?」
再び、口にして。――確信した。
「示崎杏って言うんだな、本当は」
一人が口を開く。
「ずいぶんかわいらしい名じゃないか、高校生活はどうだ?――お前がここで俺たちに犯されたら、クラスメイトたちはどう思うよ?」
それはヴィオが隣にいることを考慮した揶揄だった。
彼らの登場によって、それは驚きでない別の物によって、固まり身を縮こませていたヴィオは戦闘意欲が失せていた。――二年前の事件。ロキの裏切りとはまた別でありながら、連続するように因果で結ばれた事件。……かつての仲間からの暴行。
集団で一人を追い詰めるやり方はヴィオが知るものではなかった。卑怯な手、とロキならば言ったろう。そこに幹部クラスの人間が一人でもいれば止められただろう、一方的な復讐。それは一般に仲間殺し(プレイヤーキラー)と呼ばれる、ジェミニでもっとも重い、それでいて法というものに縛られない、無秩序なる思考からの行動だった。死を予感させる感覚を強制する行為。
かつての仲間は裏切り者への制裁を掲げた。対象は、何かを知らされることなく、同時に被害者でもあったヴィオ。裏切り者の汚名を被され、仲間に抵抗することも出来ず、一方的に嬲られた。真に“裏切り者”と呼ばれるべき僕は、その間、ログインすることも出来ず、止めるどころか、知ったのはもう一人の仲間、カルティエッタからの連絡があったからだった。――合わせる顔もなく、カルティエッタにヴィオのことを任せて国外へ逃げたのは僕だ。卑怯で情けなくて、何も出来なくて。……そして、二年の時間が過ぎた。
「淫乱?すげぇって?そのすました顔がいつまで持つか楽しみだぜ。ネットで全国に見せてあげなきゃな」
「……とんだ馬鹿もいたもんだね」
ヴィオのことを聞き知っていると思い、動揺を誘う言葉を発する彼らが哀れに思えた。
確かに聞き知っている。ヴィオが何をされたのか――それに、僕は怒っているのだ。
「素直に従うとでも?前提が違うよ。僕が負けると思うの」
勝手が違う。ヴィオは仲間に手出しが出来なかった。戦闘スタイルが適応しなかった。実力が足りなかったわけじゃない。一方的な暴行は受けない。もちろん、僕への強姦なんて、現実でも仮想でも、ありえない。
手を、握り締める。
「お前の糸は相手にどれだけ悟らせないか、死角をつく。罠と誘いが常套手段のフォックスにはこの奇襲は鬼門。さらに大規模攻撃を行うには事前準備と場所が必要」
思考を読んだかのタイミングの言葉に笑いが出そうだった。
僕のキャラである傀儡士の武器は糸。それのみ。範囲攻撃も単体攻撃も自由に行える利便性と軽さが利点。しかし、その悪癖は前もって対処しなければ扱い辛いどころか己を傷つける諸刃。――けれど、“だからこそ”だ。
「人が来ることを予想していなかったお前は罠を張っていない上、ここを壊すような事態は避けたいはずだ」
言い終わることもなく、ロードは凶刃を無造作に振るった。それに伴い、神像を壊さんとする意図に絡める、白。
――ヒュン!
音が後に届く。どちらも本気ではない。ただの確認動作のようなものだ。
しかし、実力は一般プレイヤーと隔てられている。そのことをロードは自覚しているのか。――異常な急成長に、現実を認識しているのか。
「ほらな。この柱が壊れたらその扉は閉まる。お前はヴィオの戻る道を残すためにここを守って戦う必要がある。どこに負けるだけの理由がある?」
哂う。