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7.悪魔に人間の理屈は通用しない 2

ちょっとだけ長めです。

 着替え終わって食堂に行くと、すでにテーブルには朝食の準備が終わっていた。

 軽く十人は食事をすることができるほどのテーブルには、いつも真っ白いクロスがかけてある。広い食堂はほんのりと暖かくしてあり、一体いつからヨハンは暖炉に火を入れてくれていたのかと思う。

 いつもながらヨハンは手早い。手伝おうと思っても手伝えたことが一度もない。

 すでに席に着いているアルトリートは、朝からその美貌は眩しいばかりで、悪魔だというのに早起きですっきりとした表情をしている。


「おはようございます」

 城主はアマーリエのはずなのだが、なぜだか上座に座っている悪魔に挨拶をする。最初こそ返事が返って来ないことに悪魔に礼儀など言っても無駄なのかと思っていたが、両親もいない今、朝の挨拶も出来ないのではあまりにも寂しすぎる。だからしつこく挨拶を続けていたのだが、ある時アルトリートの頭が小さく揺れていることに気づき、気に食わない奴なのにどうしようもなく嬉しかったことを覚えている。


 毛玉の出来た毛糸のカーディガンを羽織り、足にはレッグウォーマーという冬の休日用の姿に、ヨハンが気づく。

「あれ、今日は仕事お休みですか?」

「ん、さっき電話があってね、シリングスの町もかなり積っているようなのよ。道も雪かきをしなくちゃいけないみたいで、こんな日はお客さんも少ないから休んでいいって」

 イルマは、アマーリエがこんな山奥に住んでいることをよく気づかってくれている。今では噂が噂を呼んで、なぜだかアルトリートがアマーリエの婚約者ということで落ち着いているが、町の年頃の娘たちはアルトリートの噂を聞いて、アマーリエに二人の関係の具体的な話を聞きに来てついでにパンを買って行ってくれるので、パン屋もなかなか繁盛している。

 多分、イルマは雪を理由に気を利かせたつもりなのだろう。

 はっきり言ってありがたくはないが、休みになったことは単純に嬉しい。普通に町まで歩くなら十五分はかかるのだ。帰りは上りのためもっとかかる。

 しかも雪道となると、あまり想像したくはない。一度や二度、多分、転ぶだろう。

「せっかくおまえが雪だるまになるところを見られると思ったんだがな」

 湯気が立ち上るカップを口に運びながらアルトリートは憎まれ口を叩く。ほのかにコーヒーの香ばしい匂いが漂う。

 いつものことなのでアマーリエも自分の席に座りながら素早く応対する。

「私はこの町で育ったんだから、これぐらいの雪なんてどうってことないわ」

 先ほどまでの後ろ向きな考えを見透かされたようで、思わず強気に出てしまう。

「毎日風呂に入っていて、風呂場で溺れた人間の言う台詞か?」

「あれは暗くて見えなかっただけでしょう。雪だと気をつけるし、まして雪だるまになんてなったことがないわ」

 少なくとも、生まれて二十年。雪で転んだことはあっても取りあえず怪我はしたこともないし、まして雪だるまになるほど全身雪まみれになったことはない。もちろん遊びでもそこまでしたことはない。

 昨夜、準備しておいたパンを朝、ヨハンが焼いてくれたらしい。手に取ると、ホカホカと温かく柔らかかった。千切ると、いい匂いがする。

「ね、ヨハン。あとで外で遊ぼう」

 窓の外は一面雪景色だ。まだ誰の足跡もついていない純白の庭は、見慣れたいつもの庭と違って見える。

 焼きたての目玉焼きとカリカリに焼いたベーコンを皿に乗せ、ヨハンはテキパキとテーブルの上に準備をしていく。

「はい。雪は久しぶりなので楽しみです」

 ニコリと笑い返され、アマーリエも笑い返す。

 先ほどヨハンは、悪魔は本当のことを言わないと言ったが、この笑顔を見ている限りでは楽しみといったことは嘘のようには見えない。着替える間もずっと考えていたのだが、『本当のことを言わない』が『嘘をつく』とは言えないのではないだろうか。『本当のことを言わない』が『黙っている』ことはあるだろうが。

 考えながらフォークでコツコツと皿をつつく。行儀が悪いと思いつつ、半熟玉子で皿の上に何気に文字を書いていく。

 『本当(以下同文)』イコール『嘘をつく』と『本当(以下同文)』イコール『黙っている』なら、『嘘をつく』イコール『黙っている』にならなければならないはずだがそれだとおかしい。どう考えても黙っていることが嘘をつくことにはならないだろう。そう考えるとやはり嘘をついているわけではないと結論づける。

 だとすると、アルトリートやヨハンを信用してはいけないはずはない。いやアルトリートはなんとなくだが信用ならないが。


 ふと顔を上げ、ちょこちょこと動きまわっているヨハンを見る。視線に気づいたのか、ヨハンは振り返った。

「ヨハンはアルトリートが封じられていた間、どうしてたの?」

 実は少し前に思った事だったのだが、なかなか聞く機会がなかったのである。

 アルトリートはこの質問には興味なさそうに、パンを口に運んでいる。ヨハンはちらりとアルトリートを見たが、別に何も反応がないと知ると少しだけうな垂れて視線を床に落とした。

「僕は……ずっとこの城にいました」

「それはアルトリートと一緒に封じられていたということ?」

「いいえ」

 ゆっくりと銀色の髪を揺らして首を振る。

 黒い瞳がぼんやりと床を見つめている。話したくないのだろうかとためらっていると、ヨハンは弱弱しく笑った。

「ずっとこの城にいました。ずっと……」

 言葉通りの意味だと気づき、思わず息を飲む。

 人がいなくなって何百年という年月が経つというのに、その間、ずっとヨハンはここに一人でいたというのだろうか。朽ち果てた城に何を見て、何を思っていたのか。

 あまりのことに言葉をかけれずにいると、ヨハンはすくっと顔を上げて笑んだ。

「だから僕は今、とても楽しいんですよ」

 そう言って視線をアルトリートに向ける。主人であるアルトリートが側にいるだけでヨハンはきっと嬉しいのだ。

「アマーリエさんにも感謝してます。ご主人さまを解放して下さったのですから」

「感謝する必要はないぞ。俺を封じたのはこの女の先祖なんだからな」

 つかさず横から口を出した男を睨むが、睨まれた方は鼻先で笑う。

 さも当然という態度にムッときてつい語調を強める。

「あなたみたいな悪魔が封じられていると知ってたら、絶対にこの城には近づかなかったんだけど!」

「ほう……。すると今頃は税の支払いも出来ずにこの雪の中、のたれ死んでいたんだな」

 あながち有り得ないとは言えなかった現実を想像して思わず青ざめる。相続税の支払いに今頃四苦八苦して、アパートの家賃も払えずに追い出されていたかもしれないのだ。アルトリートの言っていた通り、雪の中のたれ死んでいたかもしれない。だが、今はこうして暖炉の火の側で焼きたてのパンを食べられているのだから、その現状は天国と地獄の差がある。

 よくよく考えると、今この現状はまずいのではないだろうか。何度この悪魔に助けられているか。

 まず一つ目に、地下の天井が崩れて死にかけたところをこの悪魔に助けてもらっている。二つ目に、相続税の支払いにこの屋敷の金目のものを売らせてもらった(よく考えるとこれは本来アマーリエの財産か?)。三番目に浴室で溺れそうになったところを助けてもらい、他こまごまとしたことを入れると住処を与えられ、文句を言って電気まで引いてもらっている。

 思い当たった現実に、アマーリエの態度はどれをとってもアルトリートに対して恩知らずな行いをしているのではないだろうか。

 朝食の席で城主が誰だとか言える様な立場ではない。むしろ上座に座って下さいとお願いしなければならないのではないだろうか。いや、しなくてもこの悪魔は勝手に座っているが。

「どうした?」

 突然黙り込んだアマーリエの目の前を、横から伸びてきた手が視界の邪魔をする。

 ハッと意識を戻すと、それでもアマーリエは憮然と言い放った。

「そ、相続税のことには感謝してるけど、それよりもあなたは一体いつになったら私に復讐するつもりなのよ」

 だからこの城に住めと言われたはずなのに、いたぶってやるとも言われたのに、アルトリートは何もしてこない。最初こそ、この男が何かしてくるのではないかと恐々と接していたが、アルトリートの興味が自分には向いていないと気づくと恐れるのも馬鹿らしくなった。何を言ってもアルトリートには右から左で流されるか言い返されるかで、こちらの気分が悪くなるぐらいだ。それがアルトリートの復讐だとは思えない。

「いたぶられたいのか?」

「誰もそんなこと言ってないでしょう」

「ならば……おまえが油断したころ、か?」

 少し考える素振りを見せ、ニヤリと笑う。

 だがなぜ疑問形だのだろう。本当にこの男は復讐するつもりがあるのだろうか。

 首を傾げ、先ほどヨハンとアルトリートが言った言葉を反芻する。

「封印したのが先祖で、解放したのが私だとすると……復讐されるのはやっぱりヘンじゃない?」

 むしろ差し引きゼロということでいいのではないだろうか。

 だがアルトリートはナプキンで口を拭うと、その口元に笑みを湛え、それをテーブルの上に置いた。

「悪魔に人間の理屈は通用しない」

「だったらどうして今復讐をしないのよ?」

 アマーリエが油断した頃、というのは一体いつになる頃やら。それに、と続ける。

 ふいに死んだ両親のことが頭に過る。

「大体、人間は寿命で死ぬとは限らないのよ?……いつ死んでもおかしくないでしょう」

 それは明日かもしれないし、五十年後かもしれない。

 いつもと同じ日が明日も来るとは限らないのだ。

 この城での生活は、ある意味アマーリエに両親が死んだことへの悲しみを忘れることを手伝ってくれていた。きっとアパートにいればいつまでも両親の死を受け入れられずに泣き暮らしていたかもしれない。

 知らないうちに呆然としていたらしい。不意に前髪をクシャリとかき上げられ、はっと顔を上げる。

「なに陰気な顔をしている。不細工がもっと不細工になる」

 神をも冒涜するような顔立ちをした悪魔に言われて、やはりこれがいたぶっているうちに入るのだろうかと考える。

 不細工なのは百も承知だ。それにアルトリートを目の前にすると、どんな人間も不細工になってしまうだろう。

 アルトリートの手を振り払うと、ふいっと顔を背ける。

「あなたに言われなくても不細工なのは知っているわ。……もう、目玉焼きが冷めてしまったじゃない」

 はからずも何となく慰められてしまったような気がしたのは、気のせいではないはず。本当にこの悪魔は何がしたのか。

 アルトリートはそんなアマーリエを見て息を吐き出すように笑ってから席を立つ。

 いつも朝食の席で言い争うため、先に食べ終わるのは大抵アルトリートの方だ。二人が同じ場所にいては、いつまでたってもアマーリエが食べ終われないのでいつの頃からか、アルトリートはさっさと食堂を出ていくようになった。

 アマーリエは目玉焼きにフォークをつき刺し、口に放り込む。

 思わずムッとして、出ていくアルトリートの背中を睨む。

 口に入れた目玉焼きは、焼きたてのように熱かった。


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