15.心配されるのも悪くはない 2
川沿いにあるカフェは、さすがに冬場はオープンテラスにはされていなかったが、それでも外にはテーブルとイスが置いてあり、天気のいい冬場では利用する客も多くはないが、いないわけでもなかった。
川沿いと言うこともあり、風は強い。取りあえず遠くからと、カフェの中から目的の人物へと目を向ける。
向かいの席には、イルマがつけた監視役のアンナが焼きたてのアップルパイを頬張っている。
詳しい事情はわかっていないのだろうが、アンナはただ黙って黙々とアップルパイを食べている。イルマも、アンナがいればアマーリエが無茶なことをしないと分かっているのだろう。店を出てすぐにアンナが後を追って来たのだ。
そっとガラス張りの窓から眺めると、一人掛けのプラスチックの白い椅子をお互いに寄せて、手を繋いでいる男女がいる。
銀髪を強風にあおられてもサラサラな為か乱れる様子はない。黒い瞳は優しげに目の前の女性を見つめている。一方女性の方も熱い視線を男に向けて寒さなど感じていないようだ。傍から見れば完璧に恋人同士にしか見えない。
「マーレお姉ちゃん。お邪魔虫になるつもりなの?」
じっと外を見ていたアマーリエに、アンナがにこりと笑って告げる。
「え?」
「だって、あの男の人を見る目がすごく真剣なんだもん。あたし、てっきりこの間のおにいちゃんがマーレお姉ちゃんの恋人かと思ってたんだけど、違ったんだ?」
この間のお兄ちゃん、に首を傾げる。
しかしすぐに思い当たる。
「クルトのこと?」
「うん。だって、おにいちゃんはマーレお姉ちゃんのこと好きだって言ってたから」
無邪気に告げるアンナは、アップルパイをフォークでつつきながら少しだけ大人びた笑みを浮かべる。
「もちろん、異性として好きだって意味だよ?マーレお姉ちゃんは鈍いから気づいてもらえないって言ってた」
言われ、思考が停止する。
ただ顔に熱が集まる。
だが、ここは大人として負けているわけにはいかない。
「そ、それは、ないわよ。私はもてたことないから。きっとクルトも身近にいる異性ってだけで思い違いをしているだけよ」
「そうかな。週末に二時間かけて帰ってきてるのって、マーレお姉ちゃんに会いたい為でしょ?」
「……それは、このシリングスが好きなだけじゃない?」
そんなことはないだろうということは、言いながらアマーリエでも思う。
クルトの通う大学はかなり大きな街で、欲しいものは大抵のものなら手に入れることが出来ると言っていた。そんな街に住む若い人間がこんな片田舎であるシリングスに帰ってきたいと思うだろうか。ほとんどの若者は就職を期に戻って来ないのだ。
言葉に詰まっていると、アンナはニコリと笑った。
「でもマーレお姉ちゃんが好きじゃないなら仕方ないよね。あの人と比べたらお兄ちゃんは存在が霞んじゃうもん」
そう言って、窓の外を眺める。何気に酷い言葉だ。だが、子供から見てもヨハンは魅力的に見えるようだ。
その大人びた横顔を眺めながら、アマーリエは落ち着かなくて弁解を始めた。
「クルトのことが好きじゃないってわけじゃないのよ。でも異性としては違うっていうか……」
「それは友達として好きってことだよね。じゃあ、あの人は?」
視線は外に固定したままアンナが尋ねてくる。アマーリエも視線を外に移した。
「あの人のことは好きとか嫌いとか、そういう関係じゃないのよ。なんて言うのかな……。あの人は、ある人の為に良くないことをしようとしているの。だから私は……」
「ある人?あの人の大切な人?」
聡いアンナに、アマーリエは舌を巻きながら頷いた。
「うん。とてもね」
「じゃあ、マーレお姉ちゃんも大切に思っているんだね。その人のこと」
思いがけないことに、思わず聞き返す。なぜそうなるのだ。アンナの言っている言葉の意味が、アマーリエの頭の中で意味をなしてつながらない。
「だって、その人の為にあの人が悪いことをするのを止めようとしているんでしょ?」
アンナの言葉がゆっくりと頭の中に浸透する。
さらに追い打ちをかけるようにアンナが続けた。
「その人のこと、大切?異性として好き?」
「……どうして、そんなこと聞くの?」
純粋すぎる子供の質問に、アマーリエはわずかに身を引いた。誤魔化そうと思っても、アンナの目から見たらきっと嘘だとばれてしまう。それが恐ろしくなって思わず警戒してしまう。だが、そんな警戒もアンナの前では無意味だった。
「マーレお姉ちゃん、鈍いフリはやめなよ。そのフリを続けていると、きっと周りの人は傷つくと思うよ」
ため息交じりに言われ、それでも尋ねてしまう。
「周りの人って……」
「お兄ちゃんとか、あの人の大切な人で、お姉ちゃんの大切な人」
そう言って、外を見た。
アンナの視線を追っていくと、道を走ってくる濃金髪が見えた。遠目からでもはっきりとわかる彼の腕には、見覚えのあるコートがひっかけてある。
戸惑い、向かいの席に座る子供に視線を移す。
「どうして?」
「お姉ちゃんに幸せになって欲しいと思っているよ。それに、あたしは忘れていないよ。あの日のピクニック」
思いもがけない告白に驚愕して言葉を失ったのと、店のドアが開くのは同時だった。
「コートも着ずにフラフラするな」
息を切らして、ばさりと肩にコートが掛けられる。
目の前に立つ濃金髪の悪魔を見上げ、悪魔でも息を切らすことがあるんだと、呆然と考える。だが、一方でアンナの言葉を頭の中で反芻していた。
自分はアルトリートを大切に思っているのだろうか。
いつもいつもアマーリエのすることにケチをつける。すぐ馬鹿にする。傲慢で、嫌みなほど自信家で、そのくせ――何度も命を助けてくれた。
「帰るぞ」
腕をつかまれ、立たされる。
アンナを見ると、にっこり笑って手を振った。
「ごちそうさま。アップルパイ、おいしかったよ」
そう言って、先に店を出ていった。
アルトリートと連れ立って店を出たところで、アマーリエは我慢ならなくなって掴まれていた手を振りほどいた。
「どうして?」
訝しげに振り返る悪魔を見つめる。
「何がだ」
向かい合ったところで立ち止まり、アマーリエは両手を握りしめてアルトリートを睨んだ。
「私のことなんて放っておけばいいじゃない。あなたたちのことには首を突っ込むなって言っておきながら、どうして私にかまうのよ」
「人間はすぐ死ぬ。そう言ったのはお前だろう」
ため息をつかれ、アマーリエは怒りのため目の前が赤くなる。
「違う!私が言いたいのはそんなことじゃなくて……」
感情と共に上がる息を整えようと、一度唾を飲み込んだ。そしてここが町中だということに、声音を落とす。
「あなたは復讐をする為に私を生かしていると言ったわ。それなのにいつまでも復讐する気はない。私をどうしたいの?どこで私が死のうが、あなたには関係ないでしょう!」
言っておきながら、卑怯なことを言っているとアマーリエは気づいていた。これでは、アルトリートに否定してもらいたいと言っているようなものだ。だが、彼は悪魔だ。もしもどこで死のうが関係ないと言われたら、アマーリエはもうあの城に帰る気にはなれないだろう。それはひどい痛みを伴うことだと想像できるが、反面、きっとアルトリートはアマーリエの希望通り、その言葉を否定することをアマーリエ自身、気づいている。
アルトリートが口を開くのをじっと睨みつけて待っていると、横から慌てたように聞きなれた声が割り込んできた。
「こんなところで何をされているんですか、二人とも。痴話喧嘩なら外じゃなくて、帰ってからやって下さい」
視界の隅に銀髪を認め、ハッとして先ほど見ていたはずの川沿いのオープンテラスを振り返った。
当然そこには人影もなく、そして二人の間に割り込むように、いつものヨハンの姿がある。
「ヨハン……」
「アマーリエさんも。また明日は噂されますよ?」
窘めるように言われ周囲を見渡すと、確かに皆、カフェの中の客やたまたま通りがかった通行人が、興味深そうにこちらを見ていた。
途端、恥ずかしくなって俯く。
と、視界の先によく磨かれた靴が見えた。その靴は、毎朝ヨハンが磨いているものだ。
「言ったはずだ。おまえは俺のものだ、と」
頭上から聞きなれた声が降ってくる。同時にぐいっと腕を引っ張られ、今まで頬に感じていた冷たい空気が遮断される。背中に回された腕に力を込められ、今、アルトリートの腕の中にいるのだと気づく。
「アルトリート……」
「心配するなと言ったが、意外と心配されるのも悪くはない」
落とされた言葉に、アマーリエはゆっくりと自分を抱きしめる人の背中に腕をまわす。
そっと撫でると、なぜか周囲から拍手が沸き起こった。
どうやら仲直りを祝福してくれているらしい。
恥ずかしくて離れるタイミングを見計らっていると――。
「やっと僕の提案を受け入れる気になりましたか?」
その場に相応しくない、どこか冷ややかな声が、アマーリエを凍りつかせた。
思わず声のした方を見ると、そこにいたのは冷酷な眼差しを向けてくるヨハンだった。