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13.あなたって過保護だったのね 2

少し長めです。お時間のある時にどうぞ。

「ヨハンが人間っぽい、ですって?」


 素晴らしい演奏を聞き終えて、ソファで談笑していた時、何かの拍子にヨハンの話になった。

 当然、ツェツィーリアもヨハンの存在は知っていたが、アマーリエとは違う印象だったらしい。少し険しい顔をして、首を横に振った。

「ツェツィーリアさん?」

「あぁ、そうね。確かに見た感じはアルトリートよりも人間っぽくは見えるわね」

 とにかく華やかな悪魔は、人間離れしているとも言える。その点ではツェツィーリアも同意してくれた。

 が――。

「あの子が人間っぽいなんて、冗談でもわたくしには言えない台詞ね」

 恐ろしいと呟き、ふるりと身震いを一つする。

 そんなツェツィーリアの様子をぼんやりとながめやるアルトリートを見て、アマーリエにはやはりアルトリートの方が悪魔っぽいと思う。

「何かあったんですか?」

「……うーん、そうね。何もないんだけど、どうしても苦手ね。死んでからの方が余計にでも恐ろしいと直感で分かってしまうの」

 どういうことなのだろう。むしろ死んでいるのだから、恐ろしいことなどないように思えるのだが。

 秀麗な眉を寄せ、首を傾げるツェツィーリアはその青い瞳をアルトリートに向けた。

「どういうことなのかしら?あなた、ヨハンにはアマーリエにどのように接するようにさせているの?」

「別に、何も命じてはいない。あいつにはあいつの考えがあるんだろう」

 長い脚を組みかえながら、ソファにふんぞり返っているアルトリートは暇そうに欠伸を噛みしめている。先ほどから女二人で話が盛り上がっており、アルトリートには退屈なのだろう。ツェツィーリアの勢いは完全に今時の女の子のそれと一緒で、アマーリエでさえ付いていくのがやっとだ。早々に白旗を掲げたアルトリートは先ほどから珍しくも眠たそうに目を閉じている。


「眠いの?」

 そのような姿を見たことのなかったアマーリエは驚いて尋ねる。

「最近少し、力を使いすぎた」

「え?」

 よく意味が分からず聞き返すと、ツェツィーリアに横から腕を取られる。

「アルトリートは長い間、封じられていたから。力を供給できていないのよ」

「……力の供給って?ヨハンはアルトリートの力は限りがないって……」

「そうね。昔はね」

 ふふっと笑ってツェツィーリアは内緒話でもするように耳打ちする。

「格好つけているけど本当は無茶をしているのよ。今は昔と違って闇が薄いし、このシリングスは皆いい人ばかりだから」

「いい人ばかりだと、アルトリートには良くないの?」

 悪魔はやはり悪いことが好きなのだろうか。

「力の供給が出来にくいそうよ。ま、人間は生きているうちは欲深いから、滅びでもしない限り大丈夫よ」

 ツェツィーリアの言葉に、ふと考える。

 今この城で生きている人間はアマーリエ一人だ。とすると、アルトリートの力の供給はすべてアマーリエ一人にかかっているのだろうか。それに、もしそうなら、どれだけ自分は欲深いことになるのだろう。

 落ち込みそうになったところを、アルトリートがうっすらと目を開けてツェツェーリアをねめつける。

「おい。誤解のある言い方をするな。俺ぐらいになると、近くにいない欲も引き寄せることができる。無用な心配はするな」

 後半部分はアマーリエにかけられた言葉だが、内心、心配はしていないと呟く。だが、ツェツィーリアが心配をしていてはいけないと思い無言でいると、彼女がチラリとこちらを見た。

「本当に過保護ね。ちなみに、わたくしは心配などしていないわ」

「相変わらずだな」

「それは褒め言葉ですわよね?」

 アルトリートの一枚上手をいく彼女は、優雅に微笑んでいる。

 小さな舌打ちをして、アルトリートは再び瞼を閉じた。

 だが、ツェツィーリアはふと部屋の入口を見やる。

「あんまりいじめると、あの子が来てしまうかしら」

 あの子、が誰をさしているのか、ツェツィーリアの口ぶりから先ほどの会話で思いつく。

「ヨハン?」

「ええ。……ねえ、アマーリエ。あなたはヨハンが子供以外の姿を取ったところを見たことがあって?」

「いえ」

 あんなあどけない可愛らしいヨハンの姿しか見たことがないのは果たしていいことなのだろうか。残念なことなのだろうか。彼女の意図がわからずにいると、ツェツィーリアは溜息を漏らした。

「アルトリートの力の元は、人間の悪意、欲望……といったものらしいのね。でも、ほら、この人はいつもこんな感じでしょう?だからヨハンがいつも手を貸すの」

 ツェツィーリアの言っている意味が分からず、頭の中に疑問符を浮かべていると、それが伝わったのか彼女は苦笑した。

「悪意や欲望を身近に作り出すのよ」

「作るって……」

 そんな簡単に出来ることなのだろうか。

「傍に人間がいれが簡単なことよ」

「じゃあ、ヨハンは私に何かするの?」

「あぁ、それはないと思うわ。いくらヨハンでもそんな無謀なことはしないでしょう。むしろ、わたくしが生きていた時代と同じ方法を取ることが一番手っ取り早いと思うのよ」

 少し考える様子を見せ、ツェツィーリアは困ったような笑みを浮かべた。しばらく言葉を選んでいるようだったので邪魔をしてはいけないと黙っていると、すぐに考えが纏まったのか口を開く。

「ヨハンの容姿は人間の女性から見て、とても魅力的に見えるのよ。あ、言い忘れてたけど大人の姿の場合ね。ちなみにアルトリートの場合は度を越し過ぎて話にならないんだけど、ヨハンの場合、どんな女性も彼を手に入れることが出来る、と思うのよ」

 言われて、考える。

 確かにアルトリートに対しては、テレビの中の人間に対する憧れと同じ感情しか抱けない。あの態度にあの性格だ。周囲から眺めていて丁度いいと思ってしまうのは仕方がない。しかし、ヨハンなら身近に感じる異性としては充分魅力がある。柔和な態度に思いやりのある性格だ。むしろ誤解してしまう女性の方が多いのかもしれない。

 そこまで考えて、ツェツィーリアの言わんとしていることが分かってしまった。

 ツェツィーリアは言わなかったか?どんな女性もということは、当然一人ではないのだろう。複数を示す言葉である。ヨハンの性格からして二股なんて生ぬるいことはしないだろう。きっちりと成果を上げ、しかもそこに悪意を生み出すならば……。

「もしかして、女性たちに争わせるの?」

「御名答」

 思わず口から、悪趣味、と零れてしまう。

 それ以外の何が言えるだろう。

「いつの時代になっても、男女の間に生まれる感情は変わらないわ。それをヨハンは利用してるの」

 当然、ヨハンをめぐる女性たちの周囲にも影響は現れるだろう。そこに生じるのは悪感情以外考えられない。しかし、それがアルトリートの力になる為にヨハンがしていることなのだとすれば、アマーリエも批判は出来ない。こうしてツェツィーリアと話せるように力を使わせているのはアマーリエなのだから。

 だが、ツェツィーリアの辛辣な口調から、彼女がどこまでもヨハンのことを良く思っていないことがうかがえた。

 ツェツィーリアの言葉を振り払うように首を軽く横に振って、目を閉じている悪魔を眺める。

「アルトリートはそれを甘んじて受けているの?」

「……そうね。力の供給は必要だから」

 食事と一緒と言われてしまえば、もう何も言えない。

 少なくともアルトリートの調子がこのまま続くようなら、ヨハンはきっと動くだろう。まだ、町ではヨハンの噂は聞かないし、城のことはきちんとしてくれている。噂好きのイルマが側にいるのだ。アマーリエの耳にはその手の話ならすぐに耳に入るはず。

 でも出来ることならヨハンにそのようなことをしてもらいたくない。アマーリエにとってのヨハンは、見た目十歳程度の少年なのだ。醜悪な人間関係の渦の中にいて欲しくはない。

「他に……アルトリートが力を供給する方法はないの?」

「基本は人間の悪意だから、もっと都会に行けば簡単だと思うけど……」

 ツェツィーリアからあまり詳しいことは分からないと告げられた。

 シリングスはどちらかというと田舎町だ。都会といえる街はクルトが通っている大学のある街で、バスと電車を乗り継いで、二時間も乗り物に揺られていなければ着くことは出来ない。

 考えて青ざめた。

 無理だ。アルトリートがバスや電車に普通に乗ることが出来るとは思えない。たとえ一緒に街まで行っても、街中でアルトリートの容姿を晒すことは無謀だ。アマーリエにとって自殺行為だ。傍にいるだけできっと殺される。嫉妬深い女性ほど怖いものはないのだ。

 想像してふるふると震えるアマーリエに、ソファから身を起こしたアルトリートがチョコレート色の瞳を向けた。

「心配するなと言っただろう」

「心配なんてしていません。ただ、私に害を及ぼさないでよ」

 きっぱりと境界線を引くと、アルトリートが嫌そうに顔を背けた。

「おまえは……本当に――」

 何かを言いかけ、アルトリートは口を閉ざし片手で顔を覆う。

「何よ?」

 言いかけて止められると気になる。

 アルトリートは呆れた顔をして、溜息を落とす。

「可愛げのないやつだ」

 続けられた言葉に、アマーリエはフッと鼻で笑った。

「あなたに可愛いと思われたら人生終わりだわ」

 言い切ると、アルトリートは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 隣からパチパチと手を叩く音が聞こえ、見るとツェツィーリアが上機嫌で笑っている。

「傑作だわ。この人からこんな表情を引き出せるなんて」

「ツェツィーリアさん?」

「あなたは気にしないで、こちらのことだから。ああ、それにしても気分がいいわ。何か楽しい曲でもひこうかしら」

 そう言って立ちあがり、ピアノの前に行く。

「そうそう、アルトリート。何か新しい楽譜はないかしら。最近の楽曲でも構わないわよ?」

「あ、それなら今度楽器屋さんに行って買ってきましょうか?」

 思わず口をはさむと、ツェツィーリアが目を輝かせた。

「まあ、楽器屋さんって何?楽譜を売っているところ?それとも楽器自体を売っているのかしら?」

 好奇心丸出しで、身を乗り出すようにして質問攻めを始める。先ほどまでもこの調子でアマーリエを困らせていたのだ。確かに三百年前と今ではかなり生活様式が違うはずだが、それでもアルトリートやヨハンはこんなにも質問をすることはなかったのだ。

 口を挟んだことを後悔しかけた時、アルトリートがおもむろにソファから立ち上がった。

「おい、もういいだろう。下りるぞ」

 ソファに座ったままのアマーリエは腕をつかまれ、強引に立たされた。そして半ば引きずるように部屋を出される。

 ツェツィーリアを振り返ると、呆気にとられたように口を開けていた。


「ツェツィーリアさん、また今度」

 どうにか言うと、手を振った。彼女もハッとしたように手を振り返してくれたようだったが、生憎部屋から廊下に連れ出されたアマーリエにはすぐにその姿が見えなくなる。

 ずんずんと廊下を歩むアルトリートはいまだアマーリエの腕を掴んだままだ。

「ちょっと、アルトリート!」

 小走りについていきながら、それでも腕をつかまれたままの体勢には無理があった。躓いて前のめりになる。幸か不幸か、アルトリートに腕をつかまれたままだったので転ばずにすんだのだが。

「何もないところで転ぶとは器用だな」

「あなたが腕を掴んでいるからでしょう!足の長さだって違うんだから。それに、何かに躓いたのよ!何もないってことは……」

 振り返って、転びそうになった床を指さして、アマーリエは思わず飛び上がった。

 絨毯の敷かれた廊下は足音を消してくれる。だがそこには、有り得ないものが転がっていた。

「ア、アル、トリート……あれは」

 思わず傍にいたアルトリートの腕を、今度はアマーリエが掴んだ。

 見たくはないが、もぞもぞと動くそれがどこに向かうのか見なくてはならない。かつてアパートでよく見かけた茶色くてカサカサ動く虫と一緒だ。アルトリートの腕を盾にしてゆっくりと顔をのぞかせた。

「なんだ、怖いのか」

「だ、だって、あんなもの今まで見えなかったもの」

 多分、アルトリートが先刻した何かが原因なのだ。ツェツィーリアを見えるようにしてくれた何か、だ。

 絨毯の上にうごめくのは、手首より先の手。決して激しい動きを見せないが、緩慢な動きであるだけに不気味に見え、血の気を失った土気色の肌に異様に伸びた爪。切り口は決して綺麗ではない手首の皮膚。

 何かを探すように動く手首は、指を器用に使って絨毯の上を這い回る。

「うぇ……」

 背筋を這うゾワゾワとした感覚と、胸に込み上げる胃の不快感に思わずアルトリートの袖をぎゅっとつかむ。

 頭上から笑みを含んだ息を吐くような空気の揺れを感じ、その物体を視界に入れないように視線を上げるとアルトリートはじっとその手首を見ていた。

「害はないんだが……」

 ポツリと呟くのと同時に、軽い爆発音が響く。

 音のした先は手首があった場所。

 視線を動かすと、そこにはかすかな煙とともにわずかな燃えカスのような煤が落ちているだけだった。

 驚いて目を見張り、勢いよくアルトリートを見た。だが、すぐに視界が塞がれる。目を覆われた手を払いのけようとすると、動きを抑制された。

「な、に?」

「やはりおまえは鈍いぐらいの方がいいようだな」

「え?な、何なの?」

 訳がわらからず尋ねる。

 だが、ふっと空気が動き、軽く唇に何かが触れる。それは一瞬のことで、何かが掠めたような錯覚しかアマーリエの中には残らなかった。

 ゆっくりと外された視界には、いつもと変わらないアルトリートの眩しいばかりの濃金髪が目に飛び込んでくる。

「何をしたの?」

 動けることを確認し、またも行動を制限されたことに不愉快さを滲ませる。

「……ツェツィーリアのような類を見えなくしただけだ」

 だけ、を強調したような気がしたが、言われた内容に少しショックを受ける。

「じゃあ、ツェツィーリアさんと話が出来ないじゃない」

 不貞腐れて文句を言うと、アルトリートは深々と溜息をついた。

「だったら、先ほどのようなものが四六時中見えても良かったのか?食事中も、風呂に入る時も、寝る時も」

 食事中と言われ、口に苦いものが広がるような気がした。入浴中はもっと嫌だ。寝る時は……。

 慌てて首を横に振ると、アルトリートはさっさと背を向けた。

「ツェツィーリアに会いたいなら俺に言え。また見えるようにしてやる」

 そう言ってアマーリエを残して歩き出す。

 先程の恐怖が消えないアマーリエは、もう見えないと言われてもやはり怖くて慌ててアルトリートの後を追いかけた。それをアルトリートが気づいて小さく笑っていることに、もちろんアマーリエは気づいていなかった。

次話、ヨハンの観察日記です。

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