11.呪いなど誰が解いてやるか 4
アルトリートは暖炉の側に立つと、皿を持って一息ついていた。
「それで……さっきの話だけど」
中途半端に切り上げられ、果たしてこの悪魔は続きを話す気があるのだろうかと心配になる。だが、アマーリエの心配をよそにアルトリートは濃金髪をかき上げると首を傾げた。
「どこまで話したか?」
「あなたが呪いの上に呪いをかけたところまで」
分からなかったのは、メレディス家の寿命がなぜ三十年も短くなるのか、だ。そして、アルトリートは災いから逃れる為にどのような呪いをかけたのか。
「勘違いをしてもらっては困るから言っておくが、俺を呼び出した当主の命と引き換えたのは、領地の復活……つまり災いを退ける手助けだな。だから完全に災いが消えたわけではない。そのままにしておくと、再び災いがこの地を覆うわけだ」
「あなたの言っていた、他の悪魔の呪いは解けないってそのこと?」
「ああ。……だから、永久的に災いを退ける為には領地の代わりに災いを受けるものが必要になった。この地の中核になるものだ」
分かるか、とその瞳は問うていた。
真っ直ぐに見つめられ、アマーリエは閃く。
分かってしまった。
今はもうアルトリートの瞳は赤みを帯びていないが、そのチョコレート色の瞳が答えを言っている。
「メレディス家ね?」
「そうだ。メレディス家が続く限り、災いはメレディス家の人間に降りかかり、その災いを退けるのに寿命を三十年」
そう言う契約だったのだ。
「繁栄は……?」
「面倒くさかったから全ての災いを退ける呪いにした。残るものは必然だろう?」
別に繁栄をさせていたわけではないのだ。
悪いことがなくなったメレディス家に残ったのは静かな幸福。早世だが幸福を約束された一族だったわけだ。
「あなたが封じられても、呪いは生きているの?」
「何百年と続く呪いに、災いは自然とメレディスの血に向かうようになっていたんだな。俺が封じられても災いは確実にメレディスの人間を狙い、俺の呪いも勝手に寿命を使って退けていたんだ。だが俺が封じられていたからその呪いの力も半減されていたのだろう。全ての災いを退けることは出来なかったようだな」
つまりメレディス家の人間は普通の人よりも早世ではあるが、人並みの幸、不幸の人生を歩むこととなったわけか。そして、細々と生き残り、アマーリエまで続いているというのか。
「あら?」
言われて気づいた。
「……もしかして、私にも呪いがかかってるの?」
災いを追い払う為に寿命を使うというのなら、両親の早すぎる死は呪いのせいなのか。しかも自分にも呪いがかかっているというなら、残りの人生はあと何年ぐらいなのだろう。
湧き上がる不安を抑えつけるように、胸を抑える。見上げた悪魔と視線がぶつかる。アマーリエは一つまばたきをした。ずっとこちらを見ていたのだろうか。
じっと視線を反らさずにいると、アルトリートは持っていた皿をマントルピースに置いた。その手がそのままアマーリエの方に延ばされ、頬に触れるか触れないかのところで一瞬止まる。
「どうしたの?」
アルトリートの手のない方に頭を傾げると、宙で止まったままの手が動く。
そのまま頬に触れたと思ったら――ぐいっと横に引っ張られた。
「な、何するのよ!」
頬をつまむ手を振り払い、痛い頬をさすりながら涙目で悪魔を睨む。
「いまさら何を言っているんだ」
「だって呪いって……そんなの知らないわよ」
「普通、話を聞いてたら分かるはずだろう」
「分からないわよ。だって実感ないもの」
呪いだと言われても、見た目に何か変化があるわけではない。災いも今のところ、何もない。
だがそこまで思ってハッとした。
何もないことが呪いなのだ。アルトリートの話しからすると、アルトリートは災いを退ける呪いをかけたと言っていた。面倒くさいからすべての災いを除いていたとも。よくよく考えてみると、アルトリートと出会って、この城で暮らすようになってからアマーリエの生活は一変した。相続税の心配も無くなり、住む場所も確保した。食事はヨハンがどこからともなく用意してくるので、食費も光熱費もかからない。唯一、携帯の電話料金がかかるぐらいだ。アルトリートの封印が解かれて、本来の呪いの力が戻ったと考えたらつじつまが合う。
災いのない呪い。
「……もし、あなたが呪いを解いたら、どうなるの?」
寿命が惜しいという意味ではなく、単に興味を引かれて聞いてみた。
アルトリートは意地の悪そうな笑みを浮かべると、アマーリエから顔を背ける。
「災いの根源は『生には死を』というものだ。俺が呪いを解くと、メレディス家に向かう災いは当然おまえに向かい、一瞬で命を落とすだろうな」
表情とは裏腹に、その口調からは不機嫌さがうかがえる。
不思議に思いながらも取りあえずそれは横に置き、もう一つ聞きたいことがあった。
「そうすると、私が死んだら災いはどこにいくの?」
「……メレディス家の生き残りを全て消したら、多分、消滅するだろう。……って、おまえ……」
訝しげに眉を寄せ、アルトリートはその綺麗な顔をしかめる。
上から見下ろされると、その迫力はいつもより増して見える。首をすくめるようにしてアマーリエは一応反論しておいた。
「呪いを解いてって言っても、それも代償を払わなければいけないんでしょ?あいにくと私には払うものはないし、まだ死にたくはないわね」
「わかっているならいい。それに……呪いなど誰が解いてやるか」
一瞬の間が、アルトリートの本音を隠したような気がした。否、隠し切れてはなく、単なる照れ隠しにも聞こえる。
アマーリエは顔色一つ変えない悪魔を見上げて、気づいてしまったことが可笑しくて口角を上げた。
「うん。ありがとう」
呪いを解かないということは、アマーリエの命を助けるということにもなる。こんなわずかな間に、濃金髪の悪魔は何度、自分の命を助ける気なのだろう。まるで悪魔とは思えない所業だ。
こらえ切れずに笑い声が漏れる。
それを奇妙なものでも見るような眼差しで見下ろされる。それがまた笑いを誘う。
「ねえ、アルトリート」
ひとしきり笑い、漸くその波が去ると、膝掛けを外してから立ちあがる。そして膝掛けを座っていた椅子に置くと、それでも目線が上のアルトリートを見上げる。
「なんだ」
笑われていた理由が分からず憮然とした面持ちをしたアルトリートは両手を胸の前で組んで尊大な態度を示す。
それでもアマーリエはこの悪魔の憎まれ口や不遜な態度に不思議と腹が立たなかった。
「ヨハンに聞いたんだけど、ツェツィーリアって幽霊がこの城にいるんだってね?」
この悪魔が怖くないように、きっと今なら幽霊さえ怖くないように思える。
「……ああ」
「私、彼女のピアノを聞いてみたいんだけど」
果たしてアルトリートに聞くのが正しいのかは分からない。
でも、多分――。
アルトリートは天井を振り仰ぐように見つめ、すぐに視線をアマーリエに戻す。さらりと濃金髪の髪が首筋に流れ、思わず視線が釘付けになる。
「今ならいるみたいだぞ」
「あ、でも私、彼女の姿が見えないんだった。……ねえ、ヨハン!」
隣の台所から音が聞こえていたので、多分、そちらにいるはずだと見惚れていたのを誤魔化す為に小走りに歩き出す。それにツェツィーリアと会う時にはヨハンも一緒にと約束していたのだ。
「おい」
後ろから呼び止められ、足を止める。
「なに?」
赤いかもしない顔を見られるわけにはいかず、耳だけを傾ける。コツリコツリと足音が近づいてくるのを背後に聞きながら、近づくな、止まれと心の中で念じる。
「なんでヨハンなんだ?ツェツィーリアと話したいなら、俺でも構わないだろう」
数歩離れたところで止まった足音にホッと息を吐きつつ、アルトリートでは駄目な理由を口にする。
「だって、あなたが一々通訳してくれるわけ?面倒だって言わない?」
絶対、言うだろう。確信を持って告げると、果たして言った意味を聞いていたのかいなかったのかわからない返事が返って来た。
「なんだ。それだったら俺でも構わんだろう。行くぞ」
通訳をいとも簡単に引き受けたらしいアルトリートに驚いて振り返る。
でも、アルトリートはすでに背を向けていた。
すたすたと食堂を出ていく後ろ姿が見えなくなって、やっとアマーリエは動き出した。視線はずっとアルトリートの出ていった扉に固定されたまま、必死に自分の心に言い聞かす。
(駄目なんだから。絶対に駄目なんだから。……そう、気のせい。勘違い。思いあがりだ)
何かが動き始めそうな心を脇に置き、軽く頭を横に振る。
違うことを考えよう。
「ツェツィーリアってどんな人なのかしら?」
自分の先祖になる人だ。興味はある。出来れば、姿が見れればいいのだが。
「試しにカメラ持っていこうかな。あぁ、でも……写っちゃったら心霊写真じゃない」
一人でぶつぶつ言いながら、アマーリエはアルトリートの後を追った。
やっと呪いの話は終了。次話、幽霊が出てきます。