9.呪いなど誰が解いてやるか 2
「なにをしているんだ?」
アルトリートのチョコレート色の瞳に見下ろされ、思わず眉間に皺を寄せる。最近は条件反射になりつつある。
「別に大したことじゃないわ。それよりも足音を忍ばせて背後に立たないで」
「忍ばせてはいない。おまえが何かを考え込んでいて気付かなかっただけだろう」
つかさず返される返事にはいい加減慣れてきた。いちいち言い返す気にもなれない。
「なにか用?」
「いや、たまたま通りかかっただけだ。……おまえこそ何をしている?」
同じ質問を再び繰り返され、仕方なく視線を地下への扉へと向けた。
「地下も……昔と同じなの?」
アルトリートが再建したとは言え、普段用のない地下だ。手を抜いていてもおかしくはないだろう。むしろ、アマーリエにとっては何もしてくれていない方が良かった。崩れそうならば下りられない。それが理由になる。
だが、こういう時こそ悪魔は期待を裏切る。
「そうだが?」
アルトリートの返事と共に、手も触れてもいないのに扉は開く。冷やりとした風がアマーリエの前髪を揺らす。
扉の向こうは闇が占め、まるで地獄に続いているかのような錯覚を覚える。
思わずぞくりとして肩に掛けていたショールを身体に巻きつけた。
ふと、先ほどとは違う、ふわりと暖かい空気が揺れて、アルトリートがアマーリエの側を抜けて地下へと足を踏み出したのに気づいた。
「行ってみるか?」
手のひらを身体の横で上に向け、その上に白い炎が灯る。その明かりが地下への階段を照らし、足場を明確にする。そこは地獄への入り口ではなく、確かに地下への入り口だった。
足を一歩踏み出すと、先にいたアルトリートが空いたもう片方の手でアマーリエの手を取った。一瞬、身体が強張った。以前、アルトリートに手をつかまれた時、言葉を出せなくなってしまったことを思い出したのだ。だが、今回は身体の自由を奪われることもないようで、自らの意思で足は動く。
ホッとしたが、同時にこの手はなんなのだろうとも思う。確かにアルトリートが灯してくれた明かりで、視界はかろうじて見えるが、アマーリエやアルトリートが動く為、自らの影で足元までは心もとないが。
「おまえの手は冷たいな」
アマーリエの下りるペースに合わせてくれながら、アルトリートが視線を手に移す。
「冬場はいつもこうよ」
以前、手をつかまれた時は確かにひんやりとしていたのはアルトリートの方だった。階段を降りきると、アルトリートは手を離した。
「で?どこに用があるんだ?」
聞かれ、視線を斜め後ろに向ける。
ピクニックの時、貯蔵庫から歩いてきて辿り着いた階段はここで間違っていない。だとすると、礼拝堂は階段脇にあったのだから、降りてきて後ろを振り返る場所にあるはず。
アマーリエの視線の先にある場所に気づいたのか、アルトリートは先に足を踏み出した。
「ここか……」
扉を開ける前、こちらを振り返って一瞬ニヤリと笑う。
なんだその笑みは。
怯んだアマーリエを残して、アルトリートは扉を開けて入っていった。途端、周囲は暗くなる。
「待って」
暗闇に一人残されるのはごめんだった。
思わず飛び込んだ先に、濃金髪を認めて立ち止まる。
そこは、あの時と変わらない場所。小部屋であるが、決して物置きなどでは有り得ない。
「ここは、なに?」
礼拝堂というには不自然すぎる場所にある為、どこか不気味さを感じさせる。だが、これ以上知らないままでいるわけにはいかなかった。ここに再び足を踏み入れてしまった今、気になってしょうがない。
天井が低いため、アルトリートは天井付近まで頭がある。わずかに首を竦めるようにして、アルトリートはアマーリエを振り返った。その目はどこか冷え冷えとしていて、いつもは暖かいチョコレート色の瞳が光の加減か、わずかに赤みを帯びて見える。
「かつてメレディス家が悪魔を呼び出した場所だ」
「……あなたを?」
「俺だけじゃない」
言い置いて、部屋の中央に立つ。
アマーリエはずっと聞きたかったことを尋ねた。
「どうしてあなたはメレディス家と契約したの?」
かつてメレディス家がなにを望んでいたか聞いた覚えがある。
繁栄だ。
だが、結局は滅んでしまったのだ。それがアルトリートを封じたからなのか、アマーリエには分からないが。
「……メレディス家が代償に差し出してきたものが何かわかるか?」
「いいえ」
アマーリエの祖先がなにを差し出したのか、想像さえ出来ない。電気を引いてもらうのでさえ、目玉を一つ寄こせといわれたぐらいだ。きっとその代償は想像を絶するものに違いない。
「寿命だ」
「え?」
「メレディス家に生まれた人間からそれぞれ寿命を三十年分」
三十年。
言われた代償の大きさに目を見張る。
あの当時の人の寿命は今よりも断然短かったはず。多分、五十歳とか六十歳とか、そのあたりだ。それから三十年分を引くと、残りは二十か三十というところ。今のアマーリエとそう変わりない。
「嘘でしょう……」
「だからメレディス家は早世の家系と言われていた」
部屋の中央に佇む悪魔は無表情だった。
何を考えているのかその表情からは窺えない。どうしてこんな話をアマーリエにしているのか、それすら分からなかった。
「あなたはいつからメレディス家と係わりを持つようになったの?」
いったいどれほどの人間の寿命を奪ったのか。たとえそれが契約だとしても、やはり目の前にいるのは悪魔でしかないのか。
わずかに赤みがかった瞳がアマーリエを捕らえる。それは人間の皮をかぶった何かのような気がして、アマーリエは後ずさる。そんなアマーリエを追いつめるかのようにアルトリートは一歩進み出た。
「はっきりとは覚えていない。……記憶にあるのは十五世紀あたりか……」
「そんなに昔から……」
少なくともメレディス家は十八世紀まではあったと聞いた。三世紀――つまり三百年以上、アルトリートはメレディス家の人間の寿命を元にこの地に繁栄をもたらしたのか。
「誰も……、メレディス家の人間はそれに対して何も言っていなかったの?」
嫌ではなかったのだろうか。かつて悪魔と契約を結んだ先祖のおかげで契約を反古しようとした者は誰ひとりとして本当にいなかったのだろうか。
「何もなければいまだにメレディス家は続いていて、俺が封印されることはなかっただろう」
簡単な事だ。
今アルトリートが言ったことが全てだ。
誰かがアルトリートを疎ましく思い、そして封じた。それが結果だ。