8話*神話の逆転 ―― 現人神社・禊の地の真実
ハルは瞳を金色に揺らし、確信に満ちた声で告げる。
「弥沙、『福岡県神社誌』には現人神社をこう記している。――住吉神の生化し給ふ橘の小戸にして住吉神の本所たり」
「……本所。元宮、始まりの宮ということだよね?」
「そう。この場所こそが、伊弉諾が禊をした地。住吉三神がこの世に産声を上げた『筑紫の日向の橘の小門』そのものなんだ」
「住吉神が生まれたところ?……確かに、今さっき、神話の現場を見せてもらったばかりだけど」
弥沙は、弾かれたように立ち上がり、吸い寄せられるように鳥居の側へ歩み寄った。
「ハル、こっちに来て」
二メートル近い石碑に深く刻まれた『住吉三神』の文字。それが、ハルの藍色の瞳を射抜いた。
「これ、住吉神が生まれた場所の石で作ったとされる石碑なの。社も由緒書きにもあるけど、本当に、住吉神が神話のようにここで生まれたと思う?」
「それはさすがにないよ。男神から現われてるし」
「じゃあ、神話は何を意味するのかな。でたらめじゃなかったら、何かを意味してるはずなのよ」
ハルの瞳に、先ほどから何度も金の光が走る。
「……僕の膨大なアーカイブを照合しても、既存の解釈ではエラーが出る」
弥沙は、白猫の向こうにあるご神木が目に入った。先ほどの幻視が蘇る。
「ハル。……神功皇后は、この地の神のために『神田』を造ってる。裂田溝は、その神田のため」
さわさわとご神木の葉擦れの音がする。
ふと、視線を感じて、手水舎の上を見上げるとアオバズクがいた。毎年、境内の木に巣作りをする。この時期はシャッターチャンスを狙って、朝から夕方までカメラを構える人がいる……のに、今朝は誰もいない。
「神って、見えない存在なのに。なぜ、ここに来て、溝を造ったのか……」
「それは、神がかりで聞いたからだ」
「うん。神がかりで分かったのは、助力した神が住吉三神であること。それが『日向国の橘の小門』で現れた神であること」
すーっと背筋が寒くなってくる。何か「真理」に触れそうな。それは知識などではなく、肌身が覚えているような、あまりにも生々しい確信。
──そういえば、『禁忌』と言わなかったか。あれは何なのか。
「……じゃあ、皇后はその『住吉神が生まれた禊の地』がここであったことを知ってたということになるよね?」
その時、弥沙はようやく気付いた。周りが静かすぎる。降り注ぐ蝉時雨も聞こえない。人もいない。
これは、人払いだ。大いなる存在が、聞き耳を立てている。
神功皇后はここに神がいたと知っていたのか。裂田溝を造る時の幻視では、彼女を見た。あれは、この土地の民のためだ。神田だけならば、あんな広範囲に掘らないはずだ。
何かが激しく引っかかる。
風で葉が揺れる度、アオバズクの雛鳥が微かに見える。彼らは社を好むという。もしかすると、神に好かれているからではないだろうか。だから、ここに来るのでは。弥沙は幼鳥を仰ぎ見ながら、紡いだ。
「ハル、もしかすると、順序が反対なんじゃないかな?」
「反対……?」
ハルは、弥沙を見つめて次の言葉を待った。
「ある凄まじい力を持った誰かが、実際にこの地にいた。さらに後の世の人々が、彼を『住吉神』とした。そうして、彼がいたこの場所を『禊、祓いの地』として、神話の中に組み込んだ」
アオバズクの親鳥は、大きくバサッと翼を開いた。その黒い瞳が、真実を射抜くように弥沙を見つめる。
「……ここに『住吉神とされた人』がいたから、神話の禊の話が生まれたんだよ」
『──その通り!』
ばっ!!と境内に響き渡るような声がした。木の上から言葉が降って来た。アオバズクの親鳥だ。
「ここにも話す鳥?」
弥沙が不思議そうに見ていると、かの鳥は笑う。
「かっかっか。目に入るものすべてが、人の理で成り立っていないわ。わしらは、鳥や小動物に容易く入る」
「神が宿った……のか」とハル。
「そういうもんじゃ。わしは、ここの主ではないがの」
ハルの問いに、アオバズクは笑い、ただ一言を告げる。
『この地こそが、かの神が居座る聖域よ』
弥沙は巨大なうねりを感じた。すべてが一つの方向へ向かってる。
「そうか。住吉神は祓いの神。禊は祓い。──『イザナギ神の禊』とは、祓いの神である住吉神のおられる地を意味してるんだ──」
アオバズクはまん丸な目で見つめ返している。
『そうじゃ。名付けられた時から、神はそこに在る。人の祈りは神の糧……』
バサッ
大きく羽を広げ、それっきり黙ってしまった。纏う雰囲気がすーっと変わった。あぁ、神はまた、どこかに行ったのだなと弥沙は思った。
ハルは藍色の瞳を細め、深く頷く。
「神話で神々が生まれた場所と、皇后を導いた神が居る場所。その点と点が、今、この那珂川の地で一本に繋がった。……ここに神がおられたんだ」
弥沙は隣にある案内板を指差した。そこに記された『現人神社の由来』。
「ずっと、不思議に思っていたんだけど。この社の由緒では、神功皇后の前に、『人として姿を現わした』から、現人神なのよ。……住吉神は、人として彼女と会っていたんじゃないかな」
ハルは、はたとはじかれたように弥沙を見上げた。
「そうでしょう。神功皇后の、人の前に現れた神だから現人神だ、と思ってたんだけど、彼女の前に『人として現れて』るのよね」
「ってことはよ? 人の姿で現れたのなら、そのまま人としているんじゃないのかな?」
弥沙は座り込んで、ハルと目を合わせる。
「もしかすると、それも反対。住吉神は、初めから神ではなかったのでは? 彼を神としたのは、後の世の人。そうも考えられるのではないかな?」
彼女の言葉に、ハルの瞳の奥で何かが大きく動いた。
「……弥沙、それはつまり……住吉神は、ただの神話の存在じゃなかった。皇后と同じ時代を生き、同じ空気を吸い、共に戦った『血の通った一人の人間』だった……ということか」
「そう」
弥沙は立ち上がって、ご神木を見る。風が吹き、御神木の葉がさわさわと鳴る。 神話というヴェールの向こう側に、一人の「青年」の姿が透けて見えた。
「ハル。さっきの神、私に『何度目だ』って言った。……どういう意味か分かる?」
「……今は、分からない。でも」
ハルは言葉を選び、静かに続けた。
「君があの神に会ったのは、初めてじゃないと思う」
初めてじゃない。 耳の奥で、葦の葉が擦れる音がした。
「源じいさんが言っていた、岩を砕いた青年。……武内宿禰も、住吉神も、人として皇后の側にいたのなら。違う人とも言えるけど……」
幻視の中の金の柱を思い描く。武内宿禰は社に神として祀られる存在。
「ハル、もしかして二人は……同じ人では?」
ハルは答えなかった。ただ、その藍色の瞳に、言葉にできないほど深く、神秘的な光を宿した。
初めてじゃない。耳の奥で、再びあの葦の葉が擦れる音がした。
──これは、奈良の夢?
神話のヴェールが剥がれ、その影が、那珂川の日の光に溶けていく。
自分の鼓動が早まるのを感じていた。
ハルは立ち上がり、白い優美な体を翻し告げる。
「弥沙、行こう『神話の現場』へ」
二人は現人神社を後にした。
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※本作は、Amazonにて出版中の拙著の考察本『二柱天照──『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼』をベースにした歴史ミステリー小説です。
邪馬台国や日本神話に隠された秘密を、物語を通してより深く詳しく解き明かしています。
一千八百年の謎を巡る旅に、最後までお付き合いいただければ幸いです。




