12話*神功皇后・451日の妊娠期間が告げるもの
「道祖神?」
「そう。昨日、クナドが乗っていた石碑だよ」
次の日の朝早く、弥沙とハルは、クナドとの待ち合わせ場所へと、車で向かっていた。
「この街はあの石碑が、あちこちにあるんだね」
「うん。那珂川には特に多いみたい」
「多いどころか、異常だよ。弥沙、見てごらん。この石碑の立ち並ぶ密度を。これは単なる道しるべじゃない。この街全体が、かつては巨大な『導きの聖域』だった証拠だよ」
民家の生垣の陰にある、ひときわ古い石碑を通り過ぎた。
「うちの近くにもあるよ。あれ、クナドがよく知ってると思う」
裂田公園の駐車場に着くと、側の道祖神に頬ずりしているクナドがいた。
「何してるの?」
車から降りたハルが、クナドに近づく。
「これ、いいだろう? ここは、向かいの里見さん家のおばあちゃんが、毎日手入れしてくれるんだぜぃ」
ハルがちょっと呆れたような顔で、後ろから来た弥沙を見上げる。
「そうそう。この街の道祖神はね、いつも誰が綺麗にしてるのよ。お水供えたり、拭きあげたり」
愛おしそうになでてるクナドは、生意気っぽい雰囲気がすっかり削がれていた。
「そしたらね、私のいとこが、あ、色々視える人なんだけど、『しっかり生きて街を守ってる』って言ってたのよ。大事にされてるからだって。道祖神は結界なんだね」
「人の祈りは神の糧! 俺様がこの街で元気に動けるのは、ばあちゃんのおかげだな!」
その石碑には『猿田彦大神』と刻まれている。──クナド神だ。この街の結界は、彼が守っていた。
「さあ!行こうぜ!」
「今日は昨日と恰好が違うんだね」とハル。
「中まで、俺様の正装!!」
クナドはマウンテンパーカーの中に、上代の衣褲を纏っていた。絹のように滑らかな白布は、腕やふくらはぎのところで、鮮やかな朱の紐で結ばれ、そこについた小さな鈴が、彼が動くたびに「チリン」と、この世のものとは思えない涼やかな音を立てる。
「何で、昨日と違うの?」
「気分」
ハルの問いに、クナドはそっけなく答え、後部座席にどっかと座り込んだ。
車は市ノ瀬にある日吉神社へと走り出す。
窓の外には、那珂川の滔々とした流れが、銀色の鱗を光らせる蛇のように身をくねらせている。
その向こうには脊振の山々が、深い緑の毛並みを逆立てる獣の背のように、どっしりと南の空を圧していた。
「ねえ、ハル。私、登山が趣味だからわかるんだけど……」
弥沙はハンドルを握りながら、胸に溜まっていた思いを口にした。胸の奥で、冷たい違和感が形を成していく
「神功皇后が登ったとされる山々を、身重の体で踏破するなんて、絶対無理なんだよね。浮嶽なんて砂地で足を取られて、ロープを握りしめても滑って尻もちをつくほど急だし。臨月の若杉山なんて自分の足元も見えないはず」
弥沙はハンドルを握りながら、この土地の伝承にある、皇后が登った山を次々と思い浮かべた。かつて自分の足で踏みしめた浮嶽の、あの滑りやすい砂の感触。身重ならばこそ、禁忌の山だと言えるだろう。
後部座席でクナドが鼻を鳴らした。
「知ってる。浮嶽は俺様でも気ぃ遣う。砂が生きてるからな」
「そうそう。私、那珂川から脊振山まで歩いたのよね。往復50キロ、標高差2100m以上。五合目から登る標高差1400mの富士山より過酷。……そもそも、身重設定ならば、山に登ってないことにすればいいのに」
「え?! すげぇ! 弥沙、あの距離歩いたのか?」
「うん。前々から神功皇后が気になっててね、彼女が歩いた山の景色を見てみたいって思って、ほとんど行ってる」
「すげぇ。追ってるやつで実際行ったの、他にいねぇじゃねぇの?」
「そうかも。常軌を逸してる。だからこそ、思うのよ。身重では無理だって。何で登山を外せなかったのか」
「山には神がいるからだろう」
「そうか、神事。身重設定を疑われることよりも、彼女が山で神事をしたという記録が必要ってこと?」
「……いい着眼点だね、弥沙」
助手席で外を眺めていたハルが、弥沙を見た。
「幻視で見た裂田溝も、完成まで長期間だったよね。でも『日本書紀』の記述では、わずか五ヶ月半で完成させたことになっている」
「季節もたくさん流れてたね。そのほとんどは、身重じゃなかった?」
ハルの瑠璃色の瞳に、金色の光が走る。
「そう。そもそも妊娠期間自体、おかしいんだ。僕のアーカイブにある『日本書紀』の記述と照らし合わせても、そこには『巨大な矛盾』が仕込まれている。彼女の妊娠期間は太陽暦で451日。通常より半年も長い」
「わははは。人間じゃありえねぇ。それを下界のやつらは有難がってるんだろう? 神の如きだと」
「そう。編纂者は『石を腰に挟んで出産を遅らせた』なんて、お伽話で塗り固めているけれど……」
弥沙は背筋に寒気が走った。
「これは、時間の改ざんだよ」
「……要するに、日付で嘘をついたってことだろ」
クナドが窓の外を見たまま、吐き捨てるように言った。
「神様の話で数字を誤魔化すのは、昔からよくやる手だ」
「時間の、改ざん?」
弥沙がバックミラー越しにクナドの横顔を盗み見る。
「そう。裂田溝をわずか数ヶ月で完成させ、その間に険しい山々をいくつも登って神事を行った……。
これらを短期間に詰め込んだのは、『彼女たちがこの那珂川の地に、実は数年にわたって定住し、巨大な要塞国家を築いていた事実』を隠すためだよ」
裂田溝の掘削は、妊娠中にやれることではない。阿蘇の火砕流でできた台地を周囲から切り離したのは、水路を掘った『神功皇后たち』だ。それは、単なる治水工事のスケールを超えている。
「ハル。じゃあ、あの長すぎる妊娠期間も、わざとなの?」
「……その可能性は極めて高いね」
ハルの声が、少し低くなった。
「応神天皇が身籠ったのは香椎宮での神がかりの秋で、次の年の冬に生まれている。ちょっと日付を間違ったというレベルではない。確信犯だ」
弥沙の背筋に、冷たいものが走った。ハルは続ける。
「仲哀天皇の崩御から計算しても、24日も通常よりも長い。崩御の上での長い妊娠期間は、王権の正統性を危うくする」
「うん」
「彼の子ではあり得ないとの意図さえうかがえる。日付という逃れられない数字という逃れられない証拠の中に封じ込めたんだよ。──編纂者は、あえてこの異常な数字を遺したんだ」
ハルの声が、車内の空気を氷のように冷え込ませる。
「それは後世の者に向けた、血を吐くような告発だ」
弥沙は、自分の心臓が打つ音が、激しく響いていることに気づいた。吸い込んだ空気が針のように鋭く、喉の奥を突き刺すような気がする。
「つまり──『応神天皇は仲哀天皇の子ではない』可能性がある」
「本当の父親は、別にいた?」と弥沙。
「もしくは、いなかった。その時は子を宿してさえいなかった可能性が大きいだろう」
窓の外、夏の光を浴びて青々と茂る山々が、まるで巨大な証言者のように彼らを見下ろしていた。
車輪が砂利を噛む微かな振動さえも、遠く別の世界の出来事のように感じられる。
仲哀天皇の子ではないという可能性。
──そもそも、応神天皇は、彼女の御子ですら、なかったのかもしれない。
それは、記紀そのものが巧みに仕組まれた創作である可能性さえも浮かび上がってくる。
「……住吉大社の秘伝書では......住吉神と睦言があったと書かれてるのよ。つまり、夫婦の契り」
車は日吉神社がある中之島公園についた。クナドは無言で窓の外を見ている。
ハルは、まっすぐ、弥沙を見た。
「そう。また、香椎宮での神がかりの時に、夫の仲哀天皇が崩御している。その時、他に武内宿禰しかいなかった。そのことから彼の子ではないかともされてるよ」
「住吉神は......武内宿禰って、昨日の幻視で、同じ人かもって、思ったんだよね......」
弥沙は、胸の奥に澱む、得体の知れない「引っかかり」を見つめた。
「いや……違う。二人のその名、存在は、後から貼られたラベルに過ぎないのではと思ったんだ。……もしかすると『神功皇后』も?」
武内宿禰も、神功皇后も。
その名を持つ誰かがいたのではなく、ある巨大な意志を成し遂げるために、その「役」を後に与えられた者たちがいた。
その真実を覆い隠すために、この完璧な神話が捏造されたのだとしたら。
──これこそが、誰も触れることができなかった「禁忌」の正体なのか。弥沙は背筋が寒くなった。奥深い暗い深淵を見たような気がする。
「『存在』そのものの定義だな」
クナドが泰然と言い放った。彼はまごうことなき神だ。
彼らが触れてしまったのは、「王権の根幹」に関わる、あまりに危うい秘密。
弥沙はハンドルから手を放し、中之島公園の深い緑を見つめた。
「……行きましょう。日吉神社の神が、何を『導こう』としているのか、確かめに」
ハルが静かに頷いた。
その瞳は、夏の光を反射して、見たこともないほど鋭く輝いている。
少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、作品フォローや、最新作品末の★★★、コメントで応援をいただけると、執筆の大きな励みになります!
※本作は、Amazonにて出版中の拙著の考察本『二柱天照──『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼』をベースにした歴史ミステリー小説です。
邪馬台国や日本神話に隠された秘密を、物語を通してより深く詳しく解き明かしています。
一千八百年の謎を巡る旅に、最後までお付き合いいただければ幸いです




