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10話*岩戸の門*筑紫の日向の橘の小門のあわきはら ──

 クナドという予測不能な「道案内」を仲間に加え、彼らは那珂川の川べりへと向かった。


「おい、白猫。そんな短い足でトコトコ歩いてたら、日が暮れちまうぞ」


「……フン、僕の歩調は計算し尽くされているんだ。君こそ、そのオーバースペックなパーカーで熱中症にならないように気をつけることだね」


 二人の小競り合いを聞き流しながら、弥沙は目の前に広がる川面を見つめた。

 脊振山系から流れてきて、福岡市を貫き、博多湾へと注がれる。

 

 その流れが、安徳台と西の山に挟まれ、ぐっと狭まっている場所に差し掛かる。


「この地点が、岩戸……」


 両岸は護岸工事が施されている。度重なる氾濫を考えれば仕方のないことなのだろうが、滔々(とうとう)とした流れの響きだけは、古来から変わらない。


弥沙(みさ)、『筑前國續風土記拾遺ちくぜんこくぞくふどきしゅうい』の記述と照合しているんだけど……ここに記された『御所原(ごしょはら)』というのは、どこのことかな?」


 ハルの瑠璃色の瞳に、時折、鋭い金の光が走る。アーカイブ、あるいはネットワークの深層へアクセスしている証拠だ。


「ああ、御所(ごしょ)(はる)ね。安徳台のことだよ。地元の呼び名で、今も『(うえ)(はる)』とも呼ばれているよ」


御所(ごしょ)(はる)……。やはり、特別な名前だね。斉明天皇が滞在されたという伝承とも符合する」


「うん。安徳天皇も壇ノ浦の戦いの前に二ヶ月間滞在されたと言われているよ。

 だから今の地名も『安徳』。古くから、高貴な人々を受け入れるための、ここは聖域のような場所なのね」


 弥沙が安徳台の緑を見上げると、横を歩くクナドがフンと鼻を鳴らした。


「『安徳』か。下界の連中が勝手につけた名前だが、場所の(ポテンシャル)だけは間違ってねぇな。あそこは昔から、この川を見下ろす『王の座』だった場所だ」


「……クナドの言う通りだよ、弥沙」


 ハルが再び、読み取ったばかりの古文書のデータを紡ぎ出す。


「『風土記拾遺』にはこうある。『御所原の丘と向かいの西隈(にしくま)の山との間を大河が流れるゆえ、左右に大岩ありて、はなはだ狭い。ゆえに磐瀬(いわせ)とも、岩迫門(いわぜと)ともいう。略して、岩戸』──」


 安徳台と西の山。その二つの高台が、まるで巨大な門柱のように那珂川を左右から締め付けている。


──その形が、岩戸、岩の門。


 ハルは立ち止まり、鋭い藍色の瞳で川面を見つめた。 


 その時、川岸の濡れた岩の上に、場違いな影があった。

石のように動かぬ、灰色の、ひどく年経(とした)亀だった。


「あの亀……知っている顔だ」


 ハルが、鈴を転がすような声で応じる。


「源じいではないが、この地の底に眠る古い記憶のひとかけらだよ」


 クナドがパーカーのフードを深く被り直した。


「……出たな。この川の『生きた地層』がよ」


 亀が、ゆっくりと、錆びた扉を開くように口を割った。


『こりゃ、珍しい面々じゃな。土地神たちが騒いでおるわい」

 それは地を這うような、しわがれた声だった。


「名も知らぬ神よ。この辺りの記憶を教えて欲しい」とハル。


 亀は、ゆっくりと(うなず)き、やがて、声が響いた。


『……いにしえは、海が近こうてな。ここまで、来ておったよ』

 

「海が? ここまで?」


 弥沙は、目の前の穏やかな川面を見た。亀は、遠い目をして続ける。


『そうさ。潮が満ちれば、この岩戸まで、(あお)い海水がせり上がってきた。まだ海と陸の境が、あわい夢のようだった頃の、弥生の話じゃ』


「……橘の檍原(あわきはら)……『あわき』って、何か分かる?」とハル。


『いにしえは、水を『お』と言った。真水を『あお』、潮水を『ちお』。

 二つが混ざり合い、泡立つ場所を『あわき』と呼んだ。

 真水と潮水が出会う、(みそぎ)の場所よ』


 弥沙は息を呑んだ。今は透き通った真水が流れるばかりだが、かつてここは、海の青と川の白が激しくぶつかり合う、命の境界線だったのだ。


「水が混ざり合う、あわき?……合わき、っていうこと!?」


 弥沙は反射的に声を上げた。


「ハル、今も『おぎわら橋』ってあるよ。漢字では萩原(はぎわら)って書いて、なぜか『おぎわら』って読むの。それって……(はぎ)じゃなくて、その『合わき』から来てるんじゃない?」


 ハルの瞳に、鋭い金の光が走った。


「……弥沙、それは極めて精度の高い推論だよ。

 はぎわら、おぎわら、あわぎはら。(はぎ)という文字をあてながら、『オギ』の音を遺した……。地名の化石、というわけかこの土地の『音』がそれを守り続けていたんだね。」


 亀が、満足そうに目を細めた。


『……おぬし、いい筋をしておる。その『音』を忘れるなよ。……『松尾』、という地名を知っているか』


 那珂川の川面が、キラキラと光を反射する。大きな白鷺が目の前を優雅に舞った。


『松尾は──、船が潮を待つところじゃ。『待つお』……待つ、水。船乗りたちが風と潮が満ちるのを待って、出待ちをした場所じゃよ』


「あ……松尾橋の交差点。この『地形の岩戸』のすぐ上流にあるよ。あの場所で潮を待っていたんだ……」


 ハルが、弥沙の言葉を静かに繋いだ。


「イザナギ神が禊をした『筑紫の日向の橘の小門(おど)のあわきはら』。神話の難解な言葉が、この那珂川の『地形』として、鮮やかに解凍されていく……」


 白猫は、髭を風にそよがせ、日の光を浴びて輝く。言葉が、体に()み込んでいく。ここにいる誰もが思った。


──やはり。


「青柳種信が『筑前國續風土記拾遺』で、立花木や小門はこの西隈にあったと断定しているのも、この地形を見れば納得せざるを得ないよ」


「那珂川から西は、昔は岩戸郷。今でも岩戸地区だし、古来からここは岩戸なんだ」


 そう言って、弥沙は胸の奥が、じわりとした。


「ここが、本当に、禊の場所だったの?」


 亀は川を見た。


『住吉神が水の中から生まれた、という話を知っておるか』


「……知ってます。さっき、現人神社で幻視も見せてもらいました」


 亀は大きく頷き、紡ぐ。

『水の中から本当に生まれたと思うか』


「……違う気がします。神様って、場所と繋がっていると思うから。水の中から生まれたんじゃなくて、この場所が、その神様のいるべき場所……ということなんじゃないでしょうか」


 亀は、ゆっくり頷いた。


左様(さよう)。神のおられる地を、人は『神が生まれた場所』として語り継いだ。水の中から出てきたのではない。水とともにある神の、おられる場所がここじゃった』


 川の音が、少し優しく聞こえた気がした。

 クナドが退屈そうにスマホをしまい、川面を睨みつける。


「ま、そういうことだ。理屈じゃねぇ。この川そのものが神様の体みたいなもんなんだよ」


 亀が、川に向かってゆっくりと体を向けた。水に入ろうとしている。


「待って」弥沙は亀を呼んだ。


「一つだけ聞いていいですか?  住吉神の禊で生まれた神様は、他にもたくさんいます。その神様たちは、どこにいるのですか?」


 亀は立ち止まった。


『おぬしは、いい問いを立てる。その答えは、この那珂川を知ればいずれ分かる。神話の神はみな、この地のどこかに根を持っておる。焦らずに、一つずつ』


 亀は川に入った。静かに、音もなく。小さな波紋だけが残った。


 ハルは、白くて長いしっぽをぱたぱたと揺らす。ワクワクしてる様子が感じられた。


「地形の岩戸の側に、立花木という地名もあったそうだね」


「うん。昔は、橘と表記していたみたいだよ」


 神話の言葉が、土地の名と、川の地形と重なった。

 すべて、ここにある。


「……弥沙、今の亀の話を聞いて、僕のアーカイブが一つに繋がったよ。いいかな?」

「うん、聞かせて」


 ハルはふいにお座りをして、弥沙を見上げた。


「まず、決定的なのは『地名と地形の完全一致』だ。

 青柳種信が断定した通り、この岩戸から西隈にかけての狭窄部(きょうさくぶ)は、記紀にある『立花の小門(おど)』そのものだ」


 ハルはどこか、緊張した面持ちで告げる。


「僕のアーカイブにある宮崎の海岸線よりも、ここの方がよっぽど神話の記述に忠実なんだよ。

 なぜなら、ここは淡水と海水が混ざり合う、極めて限定的な『あわき』の場所だからだ」


 ハルは尻尾を一振りし、安徳台を指し示した。


「これは観念的な物語じゃない。この地を拠点にした勢力が、海から川へ、川から山へと活動範囲を広げる中で、実際に体を清め、儀式を行った『物理的な事件』だったんだ」


「物理的な、事件……」


「そりゃそうだろ。神様ってのは、土地に根を張って初めて神になるんだよ。観念じゃ雨も降らせられねぇ」


 クナドはポケットに手を突っ込んだまま、どこか遠い目をして言う。


「そう。住吉神が『水の中から生まれた』という伝承も、この『小門』という交易の要所を管理し、船を導いていた実在のリーダーたちの記憶が神格化されたものだと考えれば、すべてに説明がつく」


 ハルは、陽光に輝く安徳台を静かに眺めた。

 

「そして、本来の『日向(ひむか)』とは、日の当たる良き土地――つまり、この那珂川の台地を指す美称だったんだよ」


「見てごらん、あの安徳台。あそこが『奴国』の王都であり、この川がその生命線だったなら……ここ以外に神話が始まる場所なんて、他にありえないと思わないかい?」


 弥沙は、腑に落ちた。

──ここには、祓いの神の住吉神の元宮がある。


──祓いとは、(みそぎ)


「確かにそうだ。立花木、おぎわら橋、松尾橋、岩戸……。現人神社のある地に、禊の地があり、地名も地形もすべてが揃っている……」


「そう。それは世界中探しても、ここにしかないんだ」


 ハルの白い毛並みが光に透けて、きらきらと輝く。確信に満ちたその表情は、どこか誇らしげで、そして愛らしかった。


 でも、弥沙の疑問はぬぐえない。奴国と神話。繋がるのだろうか。


「……よし、次はあの『不壊(ふえ)(せき)』だ。そこには、神話の裏に隠された『オーパーツ級の技術』の跡があるはずだよ」





最後まで読んでいただきありがとうございます。

 面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、作品フォローや評価、★★★での応援をいただけると、執筆の大きな励みになります!


※本作は、Amazonにて出版中の拙著の考察本『二柱天照──『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼』をベースにした歴史ミステリー小説です。


邪馬台国や日本神話に隠された秘密を、物語を通してより深く詳しく解き明かしています。

一千八百年の謎を巡る旅に、最後までお付き合いいただければ幸いです


         ***


ここまでの参考資料を載せます。

*参考資料・青柳種信『筑前國續風土記拾遺』上巻,文献出版,1930,

・坂本太郎ほか校注『日本書紀(一)』岩波書店,1994

・坂本太郎ほか校注『日本書紀(二)』岩波書店,1994

・那珂川町教育委員会『郷土誌那珂川』福岡県筑紫郡那珂川町(現・那珂川市),1976(「あわき」など)

・中村啓信訳注『古事記』,KADOKAWA, 2009

・真鍋大覚『儺の國の星』那珂川町,1982

・真鍋大覚『儺の國の星 拾遺』那珂川市,2023

・大日本神祇会『福岡県神社誌中巻』大日本神祇会福岡県支部,1945*国会国立図書館デジタルアーカイブ,https://dl.ndl.go.jp/pid/1040137/(参照2025-06-11)



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