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十三階の四〇七号室――共生第Ⅱハイム

作者: なまず。
掲載日:2026/03/01

 一人暮らしの物件を探す時、家賃は手取りの三分の一を目安に、なんて言われていた時代がある。そんなもの、通信料金や各種サブスクが無かった頃の話だ。現代では二割から二・五割が主流だと、あるマネー系の記事にも書かれていた。先の見えない現代、年金をあてにせず少しでも老後資金を自分で確保しようと思ったら、住居にかけるお金なんて安いに越したことはない。

 もっとも、それはある程度しっかりした収入がある人の話だ。低収入で貯金もない人間には、激安物件以外の選択肢がない。


 「じゃあ、こちらが契約書です。お名前のところに『北瀬冬実(きたせふゆみ)』、と。それから現在のご住所、電話番号と……目印のマルをつけたところに記入していってくださいね」


 物件名『共生第Ⅱハイム 十三階建 四〇七号室』と書かれた契約書。月々の賃料は一万円。敷金や礼金はもちろん、管理費、共益費もゼロ。都心まで電車で四十分かかる郊外ではあるが、それでも破格の安さだ。退去時に三十万円かかるとはいえ、初期費用が初月の家賃一万円と仲介手数料の一万円だけというのは、派遣の仕事を切られて貯金もほぼない私にはとてもありがたい。自然消滅気味だった彼氏が車を出してくれるとのことで、引っ越し費用もほぼかからずに済みそうだ。

 これで何とか生活を立て直せる。前のめりな気持ちをボールペンに乗せて、書き殴るように契約書の記入を終えた。十三階の四〇七号室という違和感だけが心の奥に引っかかっていたが、部屋番号なんてただの番号だ。今はそんなこと気にしていられない。




「共生第Ⅱハイム、管理費込みで一万円……か。気持ちは分かるけど、さすがに安すぎない? 古すぎてお化けが出そうだし、ろくな人が住んでなさそう」


 友人の円山千佳(まるやまちか)が新居の物件情報を見て、一言相談してほしかったなぁ、とつぶやきながらコーヒーを啜る。契約が終わったらお茶しようと誘われていた先のカフェ店。私も「引っ越し祝いだから奢るよ」と千佳が注文してくれたガトーショコラケーキをつつく。


「大丈夫、内見したら掃除が行き届いてる感じだったし、室内はリフォームされてて小綺麗だし、管理人さんは二十四時間常駐で、外部の人が入館する時はフロントで名前と目的を記入しなきゃいけないし、ちょっと施設みたいだけど、安いのに結構しっかりしてる感じだったよ」

「それ、なんだか寮みたい。女子寮だったりするの?」

「ううん、男女混合だと思う」

「大丈夫かなぁ。冬実、思い立ったら猪突猛進だから。それで何度痛い目を見たことか」

「今回は大丈夫だよ。それに、猪突猛進で良かったことも沢山あったし……」


 一度決心したら周りの意見を聞かずに突っ走る私の性格を、高校以来の親友である千佳はよくわかっていらっしゃる。それでも、もう決めたんだ。




 入居日。新居の鍵は不動産屋ではなく、ハイムの管理人室で受け取るように言われていた。『共生第Ⅱハイム』という手書きの札を掲げた玄関を抜け、下足場で靴を脱ぐ。部屋番号が書かれた下足箱は、部屋の鍵がなければ開けられない。先に向かいの管理人室に名前と、今日から入居することを伝えて新居の鍵を受け取る。応対してくれた大柄な男性が着ている明るい原色のシャツと、両腕の火傷痕に目を引かれた。


「……大昔の古傷ですよ」「すみません。つい目が行ってしまいました」


 しまった、とすぐ管理人室のボードに目線をおろして部屋番号と時間を記入、入室にマルをつける。下駄箱へ靴を入れ、古びたスリッパを取り出して履く。扉が勢いよく開閉するエレベーターに乗り込み、十三階の表示がかすれたボタンを押し込む。ゆっくりと上昇するエレベーターの窓に、各階の少し薄暗い廊下が映る。ハイムの外観は古びた灰色だったが、内廊下は薄暗さを無理やり緩和するかのような明るいオレンジ色の塗装だ。

 十三階の廊下は、最上階だけあって他の階よりも幾分明るかった。内見の日は曇っていたからあまりそう思わなかったが、今日は晴れている。六角形のかたちをした吹き抜けの周りに置かれた物干し竿には、部屋番号のような数字の札がぶら下がったハンガーが掛けられている。私の新居、四〇七号室はエレベーターから一番遠い右奥だ。他の部屋の番号プレートには五一九、三三四と書かれていた。四〇七号室のプレートに引っかかりを覚えながらも、いかにも古い型の鍵を開ける。

 室内は意外と古さを感じないが、間取りや浴室、キッチンの配置には隠し切れない昭和臭さがあり、初夏にもかかわらずひんやりとした空気がそれを増幅した。荷物を置き、わずか十四平米のフローリングで大の字になる。クロスが張り替えられたばかりなのかと思うほど小綺麗な天井をぼんやりと見つめながら、明日引っ越しかぁと深く息をついた。




 業者を使わずに引っ越しするのは初めてだったのでスムーズに終われるか多少不安だったが、ハイムの管理人さんがお手伝いとして住人の女性二人を手配してくれたこともあり、杞憂に終わった。夜には家具などの配置も終わり、旧居での搬出から家具の設置まで手伝ってくれた彼氏は、新居について特に言及することもなく、最後にセックスだけして帰っていった。気怠さが残る中、無性にアイスクリームが食べたくなり、バスとトイレが一緒の浴室でシャワーを浴びてから部屋を出る。鍵と一緒に受け取ったハイムの案内冊子によると、四階と七階と十階に店舗があり、飲食店、居酒屋、洋服店、雑貨屋、コンビニ、病院まで揃っているようだ。内見のときに軽く聞いていたが、マンション内に店舗がある物件というのもめずらしい。あのときは早く物件を決めないとという焦りから店舗の見学まではしなかったが、引っ越しがひと段落ついたことで興味が湧いてきた。コンビニは十階にあるとのことで、エレベーターで向かうことにした。


 なんとなく予感はしていたが、「コンビニ」といっても日ごろ使っているような有名チェーンではなく、ただの個人商店といったほうがしっくりくる、なんの飾り気もない店構えだ。今は二十時をすぎたところだが、この「コンビニ」はまだ開いていた。ぎょろりとした目つきの、無地のオレンジTシャツを着た老人男性がカウンターの向こうに座っている。生気の感じられない表情をした顔の左半分には、焼け爛れたような痕があった。すぐに目を逸らしてアイスの冷凍庫を開けたが、知っているメーカーの品は無く、無地のパッケージに手書きで商品番号が書かれているだけ。値段は、冷凍庫に貼られた商品番号つきの値札で確認するようだ。商品番号「A03」グレーのカップアイスは四十円。大きさは某高級カップアイスと同じくらいだ。この安さ――税込なのか税抜なのかすら表記されていない――にはさすがの私も大丈夫かと心配したが、今食べたいのは誰もが知っているメーカーの定番アイスだ。さほど逡巡することなく冷凍庫のフタを閉じ、「コンビニ」を退店した。十階に降りたときからずっと人の視線を感じていたが、店番のご老人だろうか。後ろを振り向かないまま、エレベーターで一階へと向かった。


 徒歩一分圏内に大手の「コンビニ」があるのはありがたい。定番アイスと缶チューハイを買い、自室の錠にカギを差し込んだとき、背後に人の気配を感じた。とっさに振り返ると、上下とも明るい水色の服を着た男性が私の間近に立っている。私はおどろき、少し後ずさりをしてしまう。初対面の女性の背後、三十センチほどの距離まで近づくなんて普通じゃない。何があっても大声をあげられるよう、できるだけ平静を保とうとする。


「ど、どなたですか?」

「ああ、夜分遅くにすみません。僕はこの十三階、C班の班長をしている川西(かわにし)といいます」

「……あっ、私、今日ここに越してきた北瀬といいます。よろしくお願いします」

「こちらこそ。それで……いま、買い物に行ってらしたんですか?」

「はい。近所のコンビニまで」

 持ち手を替えて、缶チューハイとアイスを班長さんに見せる。レジ袋をもらわなかったので、頻繁に持ち替えないと手が冷たい。


「……それ」

 班長さんがアイスを指さし、抑揚のない調子で何かを言おうとする。



「どうして十階で買わなかったんですか?」



「えっ……?」



 私には班長さんにかけられた言葉がどういう意味なのかが分からず、返答に窮した。十階のお店で買わなかったのは、欲しいアイスの銘柄がなかったからだ。しかし、それを班長さんに返答するより先に、追い打ちがきた。


「さっき、十階の淡野(あわの)さんのお店に行かれてましたよね。どうしてあそこのアイスを買わなかったんですか。外で買うより安かったでしょう。初日でしたから、分からなかったんでしょうけど」


 班長の声が少し低くなり、なんとなくこちらを責めるような口調に変わった。思わず唾を飲み込み、口の中が渇き、心拍数が上昇する。なにか答えないといけない、でも、頭のなかがグルグルして上手く言葉を紡ぐことができないでいる。どうして私が十階のお店に行き、アイスを物色していたことを知っているのか。なぜ外でアイスを買っただけでこんなに責められないといけないのか。初日だから、なにが分からなかったというのだろう。そもそも、C班の班長とはなんなのか。


「淡野さんは今年八十歳で、本当は引退したいでしょうに無理を押してあの店を続けているんです」

 だったら引退すればいいじゃん、なんてとても言える雰囲気ではない。


「次から気をつけてください。無理にとまで言いませんが、できるだけ、中で済ませてもらえると助かります。皆、そうしているので。……それと、北瀬さん。明日の夜、住人たちで歓迎会をやるので、十九時に四階の重里(しげさと)さんの店に集まってください」

「あっ、はい。分かりました」

「あと、下で管理人の(すが)さんから冊子を貰いましたよね。ここのルールが書いてあるので、しっかり読み込んでおいてください。後日、北瀬さんの役割が決まったら郵便受けに入れておきます」

「……はい」

「僕はあそこの五一九号室にいるので、何かあれば声をかけてください。では」


 そう淡々と、一方的に説明すると、班長は自室へ戻っていった。歓迎会の日程だって、私の予定をまったく聞かれなかった。明日は引っ越しで疲れていることを想定して、たまたまパートの仕事を入れていなかったが、もし予定が入っていたらどうするつもりだったのだろう。あの班長のことだ、当たり前のように歓迎会を優先させてきそうな気がする。

 ……今の私の様子も、班長が自室のドアの覗き穴から監視しているかもしれない。とりあえず自室に入った私は、疲れて眠りにつきたい気持ちを抑え「菅さん」に渡された冊子を開いた。


「一階のあの人、菅さんって言うんだ」


 鍵と冊子を渡してくれた、両腕の火傷痕が生々しい男の人。このハイムは、どこか普通と違う人ばかりな気がする。明日の歓迎会はどんな人たちがいるんだろう。千佳の「ろくな人が住んでなさそう」という言葉が胸をよぎる。思わずスマホを取り出し、メッセージアプリを開こうとするが、なかなか表示されずエラーになった。

 ……まさかの、圏外だ。固定回線が引けないことは不動産屋から聞いていたが、パソコンを持っていない私には関係ないとあまり気にしていなかった。そういえば、無料のWi-Fiがあるんだった。冊子をめくり、手順どおりに認証を済ませる。千佳に今日の出来事を話したいが、「だから言ったでしょ」なんて言われるかもと考えたら悔しい気持ちになる。メッセージのやり取りは、無難にお茶の約束だけで終わった。

 明日の歓迎会は、意外にふつうの人ばかりかもしれない。まだ、私の引っ越しは失敗したわけじゃない。




 歓迎会当日。「重里さん」の店は、居酒屋というより食堂に近かった。「淡野さん」の店と同じようになんの飾り気もない。コの字のカウンターに、すでに十数人ほどが座っている。二人掛けのテーブル席についている人たちを合わせれば、二十人いるかいないか。その中には管理人の菅さんや、昨晩の川西班長、昨日の「コンビニ」店主、淡野さんもいる。皆、野暮ったい無地の原色服を着ていた。ハイムの住人はこれで全員なのだろうか。

「北瀬さん、こっち」川西班長が席を詰めさせながら手まねきする。貼り付いたような無表情だった昨夜と違って今日は笑顔だが、あの低い声が脳裏をよぎった。店主の重里さんと、私と同年代に見えるお手伝いの女性が次々と料理や飲み物を運んでくる。重里さんは原色ルックだが、お手伝いの女性は有名アパレルチェーンで揃えたようなカジュアルな格好。細身で姿勢もよく、ミディアムの巻き髪がよく似合っている。場違いなくらいにまともそうだ。

 みんなの前で川西班長に紹介されたあと私も軽く自己紹介を済ませ、一斉に乾杯をした。何を食べさせられるのかと恐れていたが、意外とちゃんとした料理で美味しそうだ。これも材料はハイムで調達したものばかりなのか。


「北瀬さん」

椅子を持ってそろりそろりと私の隣にやってきたその女性は、さっき重里さんのお手伝いをしていた巻き髪の人だった。


「アタシ、宝田亜美(たからだあみ)っていうの。いろいろ戸惑ってると思うけど、慣れれば意外と住み心地はいいから、気を悪くしないでね」

「宝田さんは、ほかの人たちみたいな服は着ないんですね」

「亜美でいいよ。アタシも冬実って呼ぶから。……うん、だってダサいじゃない。あ、もしかして興味あるの? 七階の『(しろ)(ぎし)さん』の店だよ」

「ううん、興味があるわけじゃないの。でも、ここの人って外に買い物とか行かないの?」

「まったく行かないわけじゃないよ。極力、ハイムの中で済ませる感じかな。外部の必要なものがあったら調達の人に頼んでるから、何か月も外に出てない人だっている」


 調達の人。昨晩あれから案内冊子を読み込んで分かったのだが、ハイムには四つのフロアを統括する班長が任命されていて、私が属するC班は十階から十三階の四フロアだ。この店の店主である重里さんはA班の班長らしい。そして、同じ班の住人たちに班長からそれぞれ役割が割り振られるようだ。そのなかの一つが、外部への買い出しである調達係。


「あ、まだ役割は割り振られてないんだね。もしかしたら、冬実が調達係になるかも? ちなみにA班の調達係はアタシなんだ」

「調達係かぁ。外に出る機会が多くなりそうだし、私も調達係になれたらいいな」

「冬実が調達係になったらさ、タイミング合わせていっしょに買い出し行きたいね」

「うん」

「ね、連絡先交換しよ」

「しようしよう」


 閉鎖的なハイムで息が詰まりそうになるところだったが、亜美と知り合えたのは唯一の救いだったのかもしれない。


「外じゃ毎日、誰かを踏み台にして上に行こうと必死でしょう。うちは違う。みんなで回して、みんなで暮らす。それで十分なんです」

 離れた席に移動した川西班長の熱弁が聞こえてきた。思わず聞き耳を立てようとしたが、他愛ない話題を次々にふってくる亜美が、なかなかあちらへ意識を向けさせてくれない。


「そういえば、冬実は独身だよね。彼氏とかいる?」

「あー、うん。一応いるよ、彼氏」昨晩のあれ以降、彼氏からの連絡はない。


「そっか。じゃあ調査票の『組み合わせ』は拒否したほうがいいね」

 調査票。案内冊子に挟まっていたシートだ。やたらと個人のプライベートの部分まで事細かに記入させるシートで、今週中に提出しないといけない。たしかに「組み合わせ」を希望するかどうかの項目があった。案内冊子を読んでも、「組み合わせ」についての説明がなく、調査票自体もまだほとんど記入できていない。


「アタシ、三階の六十七号室に住んでるの。今度遊びにおいでよ」

「……ねぇ、ここってどうして部屋番号がバラバラなの」

「組み合わせ」についても聞きたかったが、部屋番号への違和感のほうが強かった。亜美が周りを確認してから私に顔を近づけ、小声でささやく。


「……アタシが言ったって言わないでね。ここ、昔は矯正施設で、部屋番号は収容者番号の名残なの。菅さんの火傷痕は矯正台で――」言いかけたところで亜美が何か恐ろしいものでも見たかのように表情をこわばらせ、そのまま口をつぐんだ。



「みなさん、そろそろ『落ち着き』なのでこのへんでお開きにしましょうか」



 管理人の菅さんが声をかけると、それまで盛り上がっていた住人たちはパッと会話をやめ、ほとんど無言でテキパキと食器類の片付けを始めた。亜美も突然会話を打ち切り、宴会の余韻などという概念はこの世界に存在しないかのように、無言で撤収を開始した。住人たちの無言の同調圧力は、私をも無言の片付け作業に駆り出させるのだった。「落ち着き」、それはハイム全体の消灯時間を意味し、この時間以降の自室外での飲食、会話は禁止される。Wi-Fiも繋がらなくなり、それはハイムにおいて外部との通信がほぼできなくなることを意味する言葉だった。


 ***


 結局、私は「調達係」にはなれなかった。亜美とは他愛ないメッセージのやり取りをするだけで、それも日が経つにつれて頻度が少なくなり、「ここの昔の名前は矯正台Ⅱハイム ふゆみにげて」の一言――すぐに削除された――を最後に連絡が途切れてしまった。千佳と会ったのも、歓迎会の日に約束したカフェでのお茶が最後だ。あの日、私は一階の受付ボードに嘘の行き先を書いた。なのに、カフェで千佳とお喋りしながらふと窓の外を見ると、立っていたのだ。上下とも明るい水色の服を着た、川西班長が。


 私はハイムからの脱出、つまり引っ越しを決意した。しかし、退去時に三十万円が必要という契約の事実が、ここで私に重くのしかかる。低収入パートの身で三十万円に加えて引っ越しに必要な費用を貯めるには、どれだけの月日がかかるのか。運の悪いことに、私は「確認係」の役割を任命されてしまった。これは、班の住人たちがルールを遵守しているかどうか、特に「落ち着き」後の規律を守れているかの見回りや、掲示物の作成や回覧板の受け渡しが主な仕事だ。二交代制で、私は午後を担当することになった。これではパートの仕事を増やすことなどできない。もう一つ間の悪いことは、廊下の物干し竿にかけていた服のほとんどが、ビリビリに破かれてしまったことだ。川西班長は「最上階だからたまに鳥が悪さをするんですよ」と、淡々と言っていた。私は仕方なく、七階の「城岸さん」の店で原色の服を買った。「北瀬さんには、赤が似合いそうですよ」と城岸さんに言われ、赤いシャツとズボンを五着ずつ購入。一枚百円で安かった。アイスやおやつは十階の「淡野さん」、食事は四階の「重里さん」のお店。少しずつお金が貯まっていった。上下とも明るい緑の服を身につけた亜美は最近、重里さんと仲睦まじい様子だ。髪型も飾りっ気のないベリーショートに変わっている。今度、「組み合わせ」祝いの会があるらしい。


 いくつかの季節が過ぎ、目標の三十万円が貯まった。もう、最初に何を目標にしていたのか忘れてしまったが、十階の店を営む「淡野さん」がとうとう倒れてしまい、日ごろ四十円のアイスでいちばんお世話になっていた私が、お店を引き継ぐことになった。生活費の安いハイムでも、お店をやるとなればまとまった資金が必要になる。お金を貯めていてほんとうによかった。

私の夢に度々出てくる、建物内にいくつもの生活密着店舗があるマンションを舞台にしようと思いました。また、コロナ禍に一時期やっていたウーバーで配達に訪れた古びたマンションが入口で靴を脱ぐタイプの不気味な雰囲気だったので、その要素を入れてみました。

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