お道具の拝見は、最も丁寧なお願いの形?
茶席の流れの中に「お道具の拝見」が組み込まれていますが、お稽古を始めてからこの数ヶ月、腑に落ちないことがありました。
拝見の所望の言い方、丁寧なのかぞんざいなのか分からない。
先生も、私が趣味で収集している教本も、「茶杓、お棗の拝見」と言います。
「拝見してもいいですか」でも「拝見させてください」でもないのです。
小学生が「先生、トイレ」と言えば「トイレに行ってきていいですか」と言うよう直されます。
それなのになぜ大人になってから、それも茶道という作法の決まったうやうやしい場で、体言止めの所望がなされ続けているのか?
漠然と考え続けること数日間。
ふと、高校の古文で聞いた話を思い出しました。
先生「もし天皇陛下と一緒にお食事する機会があったとしてさ。君たちが料理にお醤油かけたくなったとするじゃん? でも醤油差しは陛下の前にしかなくて、みんなからは手が届かない。さて、なんて言う?
正解は『陛下、お醤油』。
〜してください、をどんなに丁寧に言っても、それは相手に命令してることになっちゃうの。何かの動作をするように指図してることだから。陛下に指図するのは、一番失礼なことになっちゃうよ。
だから『お醤油…』まで言って、あとは察してもらう。まあ多分陛下が手に取ろうとしたあたりで、従者の人あたりが気づいて取ってくれると思うけど笑」
当時からめちゃくちゃ有名になりたかった私は、(今でも)いつか園遊会に呼ばれるくらいの作家になりたいので、ことさら熱心にこの話を聞いたのでした。
謎が解けた気がしました。茶席のお道具拝見も、同じ理由で体言止めするのでは?
となると、拝見を乞う主客は尊大に振る舞っているわけではなく、むしろ亭主をこの上ないくらい敬って、拝見を願い出ていることになりますね。
一方の亭主も、客を迎えてもてなしたいという気持ちを茶室の随所に散りばめています。もてなしのための作法が、茶道。
茶室の造りにその気持ちが表れている形式もあって。「掛込かけこみ天井」という建築様式があるそうです。
小さい茶室で、亭主が座るあたりの天井だけ斜めに低くなっていく、斜めな天井のこと。
客に対してへりくだる気持ちを建物にまで表そうとしたんですね。
そう考えると、客も亭主も相手に尊敬の気持ちを持って接している、和の心だったんだなって思えます。ハイコンテクストですが。
それならば「先生、トイレ」も、先生を尊敬しているからこそ……と述べれば許される? ……わけではないんでしょうね(笑)。ちょっと解せぬ。
誰彼構わず最上級の尊敬を表せばいいってもんでもない、ということでしょうか。そうだということにしておきます( ´ ▽ ` )
初出:2025年note(記事をこちらにお引越ししました)




