ただいちどの機会に顔を合わせる--之「一期一会」と云う
茶道では「一座建立」「一期一会」の概念が大切にされるらしい。
一座建立とは、亭主と、招かれた客とが互いに謙遜と配慮の気持ちを持ち合って、空間を共有する「茶会」という時間を良いものにしようとする態度のこと。
そして一期一会とは、茶会以外の場面でも使われる言葉だけれども。たとえ頻繁に顔を合わせる相手だとしても、今この瞬間を共有していることを大切にする気持ちを持とうね、的な意味。
ことに茶の湯が大成されていったのは戦国時代であるし飢饉も多かったから、「一期一会」という言葉には現代よりも切実なニュアンスがこもっていたのではないかと思う。
今目の前にいる人が明日も健康で安全に生きている保証が、現代以上にどこにもないから。
病気で倒れるかも、盗賊に襲われるかも、不作にあえいでしばらく会えなくなるかも……。
「一会」すらできなくなる事由は、無数に思いつく。
では現代は「一座建立」も「一期一会」も、その意味がより気軽に、薄くなったか? と考えると……むしろ強まっている面もあるのでは? とすら思う。
「一座建立」に関しては、TRPGをやる場面を想起するとめちゃくちゃわかりやすい。
なぜTRPGを引き合いに出すかといえば私がいちTRPGプレイヤーであり、「亭主も客も共に心地よい時空間を作る」という概念で真っ先に卓中の風景が連想されたからだが。
TRPGを茶会になぞらえれば、亭主はゲームマスター(KP)、客はプレイヤーたちということになろうか。サブキーパーがいることもある。これは半東さんかな。
TRPGはKPだけが頑張っていても空回りするし、プレイヤーばかりが盛り上がっていてもなんだか楽しくならない。
たびたびタイムライン上で開かれる「学級会」を流し見していると、話題に事欠かないし、よく意見がふくらむのはプレイヤーの態度や返事の対応について。
茶席の客に似た立場にあるプレイヤーが、もてなされる、なんでもやってもらえるつもりでいては、日程の調整もシナリオの進行も滞る。茶席にもこれと似たことが起こるんじゃないか……? と私には思われた。
KPもプレイヤーも、みんなで協力して楽しい卓にしようという気持ちを持ち寄らないと、せっかくの時間がつまらなく過ぎていく。つまらない卓の苦痛さといったらとんでもない。
それから「一期一会」について。
戦国時代に比べたら人もモノも情報もウン百倍のスピードで流れる現代。……だからこそ、忙しい現代人が時間とお金を工面して「顔を合わせる」というのはめちゃくちゃ貴重なことじゃないだろうか。
ただでさえ情報に圧迫されているし、スキマ時間に詰め込もうと思えば詰め込めるものは数えきれないほどある。
それらのすべてを選ばない、ということを選んで、約束した時間に、約束した場所へ向かうという決意。
これは相手のことを相当に大事に思っている、という無言の意思表示と取れる、と私は思う。
会おうと思えばいつでも会える時代は、裏を返せば「今じゃなくてもいい」という言い訳がしやすい時代でもある。
そんな中で、あえてあなたに今会いたいと思ってくれる人がいたという事実には尊いものがある。
いつも心に留めておく、のは難しいかもしれないけれど、時々この概念を思い出せるようにしたい。そして思い出す機会が増えたなら記憶にも定着しやすくなって、誰に会う時でもきちんとその瞬間を隅々まで尊いと思えるように。なりたいな。




