君が土に還るまで--風化するうつわと保存する人間
ひいおばあちゃんから譲り受け、10年くらい使い続けてきた抹茶碗に、ピンホールが空いているのを見つけた。
ちょうど作家の銘が入っているあたりで、ただでさえ上手く読めなかった銘がますます判読困難になっている。
見れば一緒に譲り受けた他のうつわも、高台のあたりが荒削りみたいな質感を増してきているようだ。
縁あって私の手元にやってきた、他の古い抹茶碗も、いっそう荒削りな質感を持っていた。
「あ、君たち本当に土でできているんだな」と思った。
土を高温で焼いたら丈夫になると、最初に気づいたのはなんでだったんだろう。
私は高校の生物の先生から聞いた、「人類がどうやって使える火を発見したか」についての一考察が好きだ。
ある時、落雷によって森が火事になり、人間はひとまず逃走した。
鎮火した後日に森へ戻ってみると、逃げ遅れた動物とかが焼け死んでいて、何やら美味しそうな匂いがする。
試しにその肉を食べてみたらおいしかった! ……的なストーリーなんじゃないか、と。
いにしえの勇士が天の国から火を盗んできた神話と同じくらい、上の可能性が気に入っている。
「陶器」という発想も、こういう自然現象の派生として発見されたのかしら。
海辺を歩けば陶器のかけらやシーグラスが流れ着いている。
遠く海を渡っても角が削れるくらいの影響しか受けないのに、その陶磁器はもともと地球の土の一塊にすぎなかった。この不思議さ。
漆や釉薬という、これまた自然のものから発見されたものを塗りつけることで、海の荒波に負けない程の強さを手に入れた、土の一塊。
同時に、長い時を経れば、これは無防備な部分から土への回帰を始めるのだ--抹茶碗の場合、それは高台である。
土の風合いを生かした陶器がたくさん残っていることをすごいと思う。出土する縄文土器なんて奇跡じゃろ。
私の手の中にある茶碗もいつか、土へ還ることになるのだろう。
それまでは「茶碗」という一定の形を保ち続けるのだろう。
人間はどこまで形の崩れたものを「茶碗」として認識し、「使用するに可能なうつわだ」と判断するだろう。
器をゴミ捨て場に持っていくよりも、庭の土に埋めてしまいたい。小規模な貝塚になる。いつか。




