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現代お茶人作家のつれづれ日々帖  作者: 久慈柚奈
2026年2月

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人類はいつか自分たちの作ったものの責任を取らなければならない

何気ない時に、そういう考えがふっと浮かんでくることがあります。


これは別に戦争とか環境問題とか、地球全体を巻き込む大問題に限ったことではなくて。


私の思考に浮かぶのは、資本主義に乗って生まれたモノのこと。

うつわとか。


骨董市がもてはやされる一方で、百均に行けばたった110円で手に入るお皿がたくさん売られていて。

最近は百均に限らず、新品で、新しく作られた、安く手に入れられるうつわがたくさんあります。

もし「かわいい!たくさん持ちたい」と思って売り場の棚にあるそれをひと揃い買ったとしても、次に同じお店に行ったならそこには同じお皿がまた並んでいるはずです。発注され、納品されたから。


地球のどこかにある工場では、安く販売されるためのお皿が今日もたくさん作られていることでしょう。


お皿は長く保つものです。

仮に毎日1枚ずつ、わざと割ったとしたって、一人あたり365枚にしかなりません。

百均に並んでいるお皿はゆうにそれ以上あることでしょう。

いつ買われるかも分からないのに。


海辺に貝殻を拾いに行ったとき、貝殻に混じって陶器のかけらをいくつか見かけました。どこかの国の誰かが使った、暮らしのかけら。

それらはシーグラスより鋭くて。丸く削られて細かくなり自然に溶け込んでいくために、どれくらいの年月を要するのかしら………と、思いを馳せました。


その作ったものを、どうするの?


これは、この先どうなっていくの?


作る人、受け継ぐ人のひとりとして、手に取ったものの行き先を、ちょっとでも考える瞬間を忘れず持ちたいなと思うのでした。

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