着物を「守破離」する
守破離。
最初は師の教える型を守って覚え。
次に教わった型をあえて破り。
最後に師から離れることで、自分らしく型が身についていく。
……とい、いう三文字を教えてくれたのは、雑談がめちゃくちゃ面白かった、高校の地学の先生。
私は進学校にいながら大学受験しないことに決めたので高2の冬あたりからノー勉で内職に小説ばかり書いていたけど、地学だけは好きでそれなりにちゃんと授業を聞いていたし、先生の進行方針が良かったようで、高3になって過去問を解くような時にも地学だけはそれなりに点数が取れていた。枯れ枝みたいに痩せた、でも笑うと明るい顔になる先生だった。謎に担任の真似が上手くてクラスで受けてた。
手取り足取り教わる間にも、私の頭の中には「守破離」への想定がある。
いつか師匠のもとを離れる。
覚えた型を、いつか自分で崩したくなる時が来る。きっと。
それがいつだかは分からないけれど。
多分、逆張りみたいにあえて崩しに行くのは違うんだと思う。
習っているうちはおとなしく習うべき。そこはまだ「守」の段階。
「守」をきちんと押さえなければ、次の段階へ進むのはただの型破りになってしまうことだろう。ちゃんと身につけてから破らないと意味がない。
…………………………。
と、語る私は最近、かれこれ7、8年前に習った着付けの「型」を破りはじめている。
本で独学しようとして、「……無理だ、小紋も染め付けも訪問着もおんなじ形じゃん、違いが分からん」てなって、ちゃんとお教室に通おうと思った着付け教室。
私の希望した通り、きちんと着付けを習うことができた。
着物の部分の名前も分からない初回から半衿つけで、「よく分からないけど衿に布縫っとる」と思っていたことを覚えている。襦袢と長着の違いも分からなかった。襦袢は下着です。洋服で言ったらシュミーズとかか……?
しかし、着物をきちんと習ったことには弊害も。
真面目な私は、習ったことをとっても愚直に守ろうとしてしまうきらいがあるのだ。
着物を触るには清潔な手で。私はただでさえ手汗を多くかいちゃうんだから。
………って思いつめすぎて、着物に触れるたびに身構えてしまうようになった。汚さないように、損なわないように。
このアイテムはここに使うもの。他の用途? アレンジ? ちょっと思いつかないや。
そうやって思考が固定化されてくると、着物に袖を通す時の心理的ハードルがとても上がってしまって、せっかく着物を着たくて着付けを習ったのに、実際は「よし、今日は着物を着るぞ! 着るんだ!」って意気込んで一日着て、神経質に畳んでしまって、また気力が溜まるまで数週間……みたいなことになってしまっている。
何なら自分に対して着物との厳格な付き合いを課しているせいで、現代風にアレンジして着物を着たるアイデアや、最近広がり始めているセパレート着物に厳しい目を向けずにはいられない心が出てきていることに気づいていた。
私自身が着物警察になんて遭遇したくないから、まさか私が着物警察に成り下がってしまうわけにはいかない。
これは心理学で言う投影に過ぎなくて、私が私に対して「着物はちゃんと着ないと」って思い込んでいるだけなんだ。
分かっているからこそ、何とかして厳格すぎる「守」から脱したかった。
私は茶道に救われた。
茶道には元来から「見立て」の文化がある。
本来はお茶の道具ではないものを、お茶の道具として使う。
もともと喫茶の文化は大陸から入ってきたものだから、国産の器を茶器に「見立てて」使ったところから来ているおおらかさなんだろう。
私はかわいいご飯茶碗で抹茶を点てもしたし、蓋つきの陶器を見れば「香合にできる!」と思うし、フレンチカントリー的なミルクピッチャーを見かけては「これ、和の花を入れて床の間に飾ってもかわいいかなぁ」なんて想像したりする。「見立て」が公認されているという優しい雰囲気が、想像力を自由に羽ばたかせてくれる。
そうやって和食器や茶道具に対する見立てごっこをしているうちに、着物を見る目にも違いが現れてきた。
最近は羽織とジャンパースカートを合わせてニュースタイル着物をしているし、小紋を短めに着付けてブーツだって合わせるし、帯締めを洋服のベルト代わりに締めたりしている。(使うほど絹糸がほぐれて馴染むから、いっぱい使ってくったりとさせたい)
SNSで知ったんだけど、スカーフを帯揚げの代わりにする人もいるのだとか。え、何それおしゃれじゃん。
まだまだ黒留袖を半分に切って羽織るような思い切りを見せるまではいかないで、そこは憧れているだけの境地だけれど、私の中の着物警察は時々ドーナツを食べに席を外してくれるようになった。つまりはおおらかにおおらかになれてきたってこと。良かった。
きっと今の私は、ずっと至りたかった「破」にいるんだ。
自分らしさと、習った型のバランスをとった「離」に辿り着く時、私はどういうふうに着物を纏っているだろう。世界に向かってどんなスタイルを提案できるだろう?
今からちょっと楽しみ。




