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現代お茶人作家のつれづれ日々帖  作者: 久慈柚奈
2026年1月

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極上ASMRは茶室にあり!?

お稽古の時間は限られているからこそ、ほどよい緊張感が流れています。

最近のお茶室には「お作法」を気にするがゆえの静けさがある気がするけれど、本来、茶室に流れていた静寂は違った理由で求められていたと思う。

茶室は「市中の山居」として作られた空間だったから。


街中の喧騒や自分のやるべき仕事や役割からしばし離れて、一杯の茶を喫する間だけは自然の音に耳をすませ、「日常」を離れる--。そういう役割が、茶室にはあったといいます。

現代風にいうと、「サードプレイス」にあたると思われ。

現代人は日本史の中の暮らしに思いを馳せては「精神的に豊かな暮らし」〜とかって美化したり憧れたりするけれど、当時の人たちには当時の忙しさがあって、逃れたい日常があったんだろうなと想像すると、ちょっと不思議な気分になる。

はるか未来から「現代」を振り返ったら、「21世紀って素朴でいいよね」なんて言われちゃうんだろうか。こんなに気忙しいのにね。


そんなわけでお茶室には、昔から気持ちの良い静寂があったのです。

完全な無音である必要はなく。

人間が息を潜めるようにする理由は、それが作法で破ると怒られるからではなくて、きっと自然の音に耳を傾けたかったから。

庭(露路)を風が吹き抜けて、木の葉がざわめく音。

お手水の水が落ちる音。

頭上の鳥の声、などなど。

茶室に入ることで、人間が作り上げた「文明」から遠ざかり、そのぶんだけ「自然」に近づくことができる。

お点前をすれば、亭主の足音や釜から湯をくんで茶碗に注ぐ音など人間が発する音も生まれるけれど、「自然」の比重が大きい空間で人間が起こす音は、きっと「文明」ではなく「自然」の一部になれる。


お稽古場が都会の只中でも、市中の山居の感覚は味わえると思います。

「茶室」に約束された静けさは、意識せずとも視覚以外の五感(残る四感)を目覚めさせてくれるから。

私は、水指からお釜に水を足す時の音が大好き。

それから亭主が茶室へ入って歩く時の、畳を擦る足音も。

きっと人によって「ここが好き」な茶室の音があるのでしょう。


音に意識を集中していたら、その集中をふっと解いた時に心までほぐれている気がして。

自分がお点前をしている時にも音を楽しめたらいいけれど、慣れないうちは次にやることを忘れてしまいそうだし、もしかして目の前のお茶に集中しないことは、お客さんに対して失礼になるかしら?

まだそこまでは分からないけれど、音に集中して空間を楽しみ、ただ、そこに「いる」という体験は、もしかするとお客さんとして茶会に招かれた時ならではの楽しみなのかもしれない。

ただただ、一杯のお茶のために。

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