蓋つきの器に込められた心遣い
蓋つきのうつわに対する、無性なあこがれがある。
ひな人形のセットに含まれるお膳。主要なうつわには必ず蓋がついている。
ちょっと良いところに和食をいただきに行くと、汁椀は蓋つき。
なんなら茶道を習い始めてから知ったのだけど、茶事の懐石料理では飯椀にも汁椀にも、蓋。
西洋の食器以上に、日本のうつわには蓋つきのものが多い。うつわの材質を問わない。
どうやらそれは、「埃が入らないように」という心遣いからきているようだ。
……というのは、「利休の懐石」という本で知ったこと。
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茶人は料理にホコリが入ることを嫌い、懐石料理を盛るうつわにことごとく蓋をして、客人が実際に箸をつけるその瞬間まで、料理を清潔にしておこうとした様子だ。
今の懐石では「向付」と呼ばれる、飯・汁と共に出てくる最初のおかず(酒のつまみらしい)は陶器のうつわに盛られる傾向にあるけれど、陶器の、蓋のないうつわを使うのも当初は異例なことだったらしい。
うつわの変遷も「利休の懐石」で知ったこと。
懐石の変遷にまつわる歴史を読んだ私は最初「え、そこまで気を遣う?」とびっくりした。
確かに現代の飲食業でも、異物混入と清潔は特に気を遣われることの一つだ。人に供する食べ物を扱うというのは重大なことだから。
愚直な私なんかは清潔に関する講習やら書物やらに接するたびに、真面目に受け止めすぎて潔癖症になりそうになる。人間って常在菌も飼ってて不潔〜!!(かといって滅菌しても人間は生きていけないのだけれど)
でも現代と、作法を整えてきた茶人たちが生きていた時代の違いを考えて、ことごとく料理に蓋をしたくなるのも無理ないのかなと考えが変わっていった。
当時の、衛生を保つことは現代以上に難しいことだったんじゃないか。
道路は未舗装で、砂埃が立ち放題の場所も多かったのではないか。
窓ガラスのない時代。障子を開ければ日光と一緒に虫も入る。
消毒用のアルコールも石鹸もなく、茶室に入る前に手水こそ使うけれど、言ってしまえば水を手に受けるだけ。菌をキレイに洗い流すには「流水で30秒」と言われるが、手水って10秒も水に触れていないのでは……?
そういう環境で、茶室をチリひとつなく掃き上げて、ホコリの入っていない料理をきちんと供する。
それは「おもてなし」に直結する心遣いだったのではないか。
掃除機だってない当時。「部屋をキレイにする」という行動だって、現代以上に時間がかかったはずだ。
茶室を掃除することも、料理を準備することも、茶道具の取り合わせを考えることも。
当時のおもてなしは、茶事その瞬間のためにどれだけ時間をかけたかの表現だったのかもしれない、と思った。
逆に言えばこれは現代にも応用できることかもしれない。
当時と同じ方法でということではなく。
今にしてみれば「最低限」「当たり前」みたいなことをきちんとやることが、つまりは「現代では見えにくくなってしまったけれど、おもてなし」なのだ。




