室礼--部屋をととのえるという「おもてなし」の形と開かずの間
部屋の調度品をととのえることを「設える」と言ったりする。
元々は「室礼」という言葉で平安時代にまで遡り、だだっ広い板の間だった寝殿造の建物内に衝立や厨子などを置いて空間を仕切ったり機能立てたりしたことを言うらしい。
床の間ができたり、畳敷きの和室の形式が整ったりしてからは、人をもてなすために季節感のある飾り物をしたりすることを指す言葉になっていったという。
家具を置き合わせるだけなら「置く」とか「整える」とかでも機能が足りそうなものを、ちゃんと個別に「室礼」という言葉があるのが良い意味で細やかな日本らしい。
空間を整えることは、その部屋に入る人に対して礼を尽くすことなのだろう。
寝殿造の部屋を整えるのは、そこを使う帝や貴族(目上の人)のため。
帝自らが家具を運ぶなんて、周りの人が許さなかったのでは……? と思う。多分召使いの仕事だっただろう。
床の間や茶室の室礼も、そこに招く客人にくつろいでもらいたいからすることである。
現代の日本人だって、部屋に人を呼ぶ時はできるだけ部屋を整えようとする。それは日本文化の観念的DNAに染みついた「室礼」の心遣いなのかもしれない。
慌てて家や部屋を片付けると「開かずの間」が生成されることがある、ということについて考える。
部屋に散らかっている、置き場の特に決まっていなかったもの(あるいは置き場が「その辺のテーブル」になっていたもの)たちをとりあえず放り込んで扉をギュッと閉めた、クローゼットや押し入れ。あるいは空き部屋。お客さんを通す以外の部屋。
逆にイギリスでは初めて家に招くお客さんを相手にするとき、バスルームや寝室まで含めた「ハウスツアー」があるという。自分たちが住んでいるところを、全部見せる。そもそも開かずの間とか「そこは、ちょっと開けないで……」と言いたくなってしまうような空間が存在しないらしい。本で得た知識だけど。
とはいえ確かに海外ハウスツアーの動画なんかを見ていると、みんなトイレやバスルームまで開放的に見せてくれる。逆に海外ハウスツアーの動画主さんが日本人のおうちを取材しにきた回では、水回りの扱いがとても短くて「あれっ」と普段の動画との違いを感じたものだ。やはり日本には、「見せない空間」の通念があるらしい。
そこで思い出すのが茶室やお座敷(書院)、そこにある床の間のこと。
季節に応じた飾り物や茶道具を所持しているとは大変な空間をとる。所持する道具に箱がついていれば箱を積み上げるように押し入れなどに仕舞えばいいが、それでも大変空間をとるものだ。いわば華やかに飾り付けられた茶室や書院の、舞台裏に相当する空間が必要になる。
演劇の舞台裏は往々にして暗いし、裏方スタッフは観客から見えない存在として扱われる。そこに存在しなければ確実に舞台が動かせないのに、黒子に徹して見えない、いないふりをする。
開かずの間の存在や、開かずの間を作ってでもお客人を整った部屋に通そうとする心遣いはそれに似ている気がする。
おもてなし。
西洋の、水回りまで含めたハウスツアーが「(かなり)ありのまま(に近い)の自分達を見せるというウェルカムな姿勢」の表れかもしれないのであれば、日本のおもてなしは「客人にくつろいでもらうために、舞台を整える」態度なのではないか。
そう思うと開かずの間がある・ないが恥ずかしいのではなく、是非ともあなたのために整えた部屋でゆったりお過ごしくださいと、たとえ慌ててだとしても来る人のために片付けた部屋の方に意識を向けたいと思う。




