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現代お茶人作家のつれづれ日々帖  作者: 久慈柚奈
2026年1月

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わび茶の湯--道具がなくてもお茶を愉しむ

あまり詳しくない人にとって「茶道」と聞くと想起するイメージは……


・礼儀作法があって、なんだか厳しそう

・専用のお高い道具をたくさん使って、なんだか難しそう


というのが多いのではなかろうか。


これは侘び茶という視点から言えば、とても残念と言っていい印象と思う。


そもそも「喫茶」という習慣は、書院造りの部屋をもつ屋敷で、「唐物(からもの)」と呼ばれた大陸から持ち込まれた道具を使って行うものだったという。

自分が持つ珍しい道具(名物)を見せると同時に、相手と茶を飲んで語らう。珍しいものを持っていることはステータスであっただろう。アフタヌーンティーのパンが薄く薄く切られるのと同じ論理だ。

名物を持つ茶人のことが「数奇者(すきしゃ)」と呼ばれた。


一方の侘び茶は、そういう名物を持っていない人も喫茶を楽しめるように、と整えられていったはずの形式。

唐物を真似て国内で焼き物が作られ、茶碗、茶杓(唐物は象牙製、国内のものは竹製)等々ができていった。専用の道具が国内産で真似されるまでは、唐物も和物も、本来の用途から外れた「見立て」で茶が喫されていたという。


今はそこから時代が数百年すすみ、国産の焼き物や竹製の茶杓にも名物が生まれているが。侘び茶の大成者千利休の流れを汲む流派では特に、専用の道具を持つ・持たないにこだわらない形式のお茶が広まってもいいのではないか。


さすがに茶筅がなくては美味しい抹茶を点てるのは難しいけれど、それ以外のものを現代で身近に手に入る道具で見立てて抹茶を楽しんでも、誰も苦しむわけではない。

抹茶茶碗を大きめのご飯茶碗で。

茶杓をティースプーンで。

棗をお気に入りの小瓶や缶で。

お盆をお気に入りのトレーで……。アイデアはたくさんある。


それは「茶道」という意味での作法からは外れているかもしれない。

しかし海外で人気の、日常やホームパーティーに馴染んだ「matcha」の一形態ではある。

仲良しが集まった時に気軽に、気楽に、美味しい抹茶を愉しむということ。

それは本来の「茶の湯」にとても近い形のはずだ。

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