「正しい日本語」ってなんなんだろうな……
茶会記や古文を引用している、茶道系の本に触れていると、折々この疑問が湧いてくる。
「正しい日本語」とは。
日本の文化圏内にある小学校に通うと、1年生からみっちりと「正しい日本語」について教え込まれる。
正しい発音。
正しい読み方。
正しい書き方。
正しい漢字。
正しい書き順。
正しい送り仮名……。エトセトラエトセトラ。
しかし昔の文献の引用では、現代とは異なる送り仮名に漢字が満載だ。
「行う」と「行なう」の表記でちくちく言っているのがバカらしくなってくるくらい。
思えば戦後に常用漢字が制定された影響なんだろうか……。
これは聞いた話なので間違っていたらすいませんなのだが。小〜中学校で教わる「常用漢字」というのは戦後に規定された漢字の範囲であって、もともとそんなものはなかったらしい。
GHQに占領された中でも、なんとか日本語を子どもたちに教えるために編み出された、抜け道みたいなものだという。
これくらいは読めないと日々の読み書きに苦労しますから、どうかこれだけは教えることを許してください……的なニュアンスだったんだろうか?
もともと日本語の漢字に「常用」と「非常用」の漢字なんていう区分けはなくて、漢字は漢字、ひらがなはひらがなだったという。
さらに言えば、同じ漢字かな混じりの文章で書かれたものも、昔と現代とでは言葉の発音が違うし方言もあっただろうから、当時と全く同じように読み書きすることはほとんど不可能だともいう。
現代に「タピオカを飲む」ことを「タピる」と言い、江戸時代には「お茶漬けを食べる」ことを「茶漬る」と言ったというから、なんか通底する国民性みたいなものは受け継がれている感じがする。
「正しい日本語」って定められた教科書の中にしかなくて。
それは大勢の子どもを効率よく管理して成績をつけるためのシステムにとって必要なものに過ぎないのではないか。
どんな言語も、言葉は生き物。時代時代で変化していく。
教科書はその変化の中の指針になるのか、堅物になるのか……。これから見定められていくのかな、と思った。




