本番があるからこその「稽古」だよな、よく考えたら
こんなに茶道が好きなのに、そもそも「何のために」稽古をするのか? という根本的な問いを持つまでに時間がかかった。
ここまで生きてきた人生の中で形作られてきた印象によって、「茶道を習うと、礼儀作法が身に付く」「お嫁さんが習う」みたいなものすごく漠然としたイメージばかり抱いていて、いつしかそれが真実なのだと思い込んでいた。確かめることもなく。
衝撃的な言説に触れたのは本の中で。
茶道の稽古は、茶事を催すためにやる。
言われてみたら、確かにそうだ……!
小学生の頃、劇団に所属していたことがある。
普段の稽古を何のためのやるかといえば、本番の舞台に立つため。
茶道もそれとおんなじだったのだ。
茶道における本番は茶事の亭主を務めることであり、亭主という大切な役を果たすためにはありとあらゆる知識と技能が必要になる。懐石の料理(元来、懐石は料理屋に頼むものではなく、亭主自らが準備した家庭料理だったらしい)から茶室での雑談まで。
そのための稽古。そのための練習。知識……。
とはいえ現代は稽古のための稽古という向きが強くなっていて、正式の茶事に出たことがない人、稽古そのものが稽古の目的と思って習っている人もいると、序文に書いている人もあった。
茶道を習う動機も、その目指すところも、習う人の数だけあるということなんだろう。
私の目的は茶道友達を増やすことと、亭主をきちんと務められるようになること。それから茶事の決まりごとの中で、どれだけ現代風で面白いことができるかの追求だから、茶事を見据えた稽古がやっていければいいなと思う。
一方で歴史を紐解けば、昔は茶道の「稽古」という概念がなかった時代もあるらしい。特に茶の湯が盛り上がり始めた頃のこと。
師匠を呼んで茶を点てることが、茶会として茶会記に残っているんだとか。師匠は客として呼ばれた立場だけれど、亭主を務めている弟子の作法に間違いや助言があれば、言葉を挟みながら茶会を進行していったのだろう……と、本には書かれていた。へえ。(トリビアの泉)
本番を見据えた稽古というスタイルは、私も大好きだ。私には背伸びをするクセがあって、初めてやるゲームなのに難易度を「むずかしい」にしては難しすぎて挫折したり、「ふつう」に直して最初からやり直したりすることをやめられない。
本番に近い形の方が緊張感もあるし、流れの中でどこで躓くのかわかりやすいではないか……と考えてしまう。
過去の茶人の弟子になるなら、武野紹鴎か山上宗二がいいな。
昔、生活圏内に「織部」っていう素敵な和雑貨屋さんがあってだな。
古田織部といえば千利休の後継者の一人。古田織部の名前を見かけるたびに、あの「織部」のことを思い出す。あそこで買った紫陽花の湯呑み、まだまだお気に入りだ。




