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現代お茶人作家のつれづれ日々帖  作者: 久慈柚奈
2026年1月

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20/92

「なんとなく」が許されない厳しさは真剣さの一種かも

方々で言っているし、これからは方々で書くことにもなると思うのだが……。私は植物ととにかく相性が悪い。まあ、多分に私の方に非があると自覚はしているのだけれど。


鉢植えも、花瓶に生けた花も、私はいつも枯らしてしまう。

水をあげ忘れたり、逆にあげすぎたり。放っておきすぎて天然ドライフラワーにしたことは数知れない。

植物を育てると言っても興味が持てなくて、育て方のポイントを調べることさえ億劫に感じてしまう半生を送ってきた。


だからこそ、茶道を進んでいく中で「生花から逃げるな」という幻影コメントが脳内を右から左へ流れていく……。

床の間には掛け軸か花を飾るのがお約束。(両方飾る場合もある)

客側として招かれても油断はできず、亭主からの所望で客が花を生ける点前もあるというから逃げ場がない。

生け方にもコツやポイントや小さな作法があり、こだわろうと思えばどこまでもこだわれるだろう奥深さを覗けるが故に、私のような花を枯らす能力持ちにとっては心のハードルがぐんぐん上がってしまうのだ。もはや飛び越えずに潜ってしまおうかしら。


……一方で、「たかが花」と軽視せず向き合う真摯さは、茶室に客を呼んでもてなすという時間への真剣さの表れではないか……とも感じる。

前述の通り、茶道が隆盛した戦国時代は「一期一会」に現代以上の切実さがあった。今以上に生命的危険が周りに多くて、次にまた約束を守って顔を合わせられるか、わからない時代。


だからこそせっかく客が足を運んでくれる部屋を、一切の妥協なく整えて相手を迎えるという態度が研ぎ澄まされていったのではないか。

飾った花の名前を知っていること。

しつこくない程度に趣向を凝らしていること。

選んだ道具、置いたもの全てに意味があること。


インスピレーションは昔も今も大切だけれど、それを「思いついたから」で済まさずに極限まで言語化を試みる。そしてテーマに沿わせていく。


怠惰が顔を出せば「めんどくさい」「形式ばっていて難しそう」に陥ってしまうけれど、私はそのたびに「ここにはどんな意図があって突き詰められているんだろう?」と思いを馳せられるようになりたい。

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