第11話 失せ物探し7
こうして午前中は後宮の中を歩き回った。
大きな収穫はなかった。
「……これ、後宮の半分くらい走り回った気がするんだけど……」
「四分の一いかないくらいじゃないですかね」
「広い……」
白英の告げた事実に絶望を感じた。
「……しかしまあ青い石っていっぱいあるんですねえ」
一方、白英は白英で違う観点から疲れているようだった。
「なんか、こう、目に青色が焼き付いているんですけど……」
まぶたをぐいと押しながら、そう言った。
「でも、全部、綺麗だったでしょ?」
「なんで馬玉官がちょっと自慢げなんですか……。まあ、綺麗は綺麗ですが、さすがに疲れました……」
「ふむ」
玉蘭は袖からごそごそと布に包まれた石を取り出した。
「ほい、口直しに紅玉髄」
「わあ、橙色だあ……」
玉髄の一種で、特に赤からオレンジに色づいたものをカーネリアンと言う。ぬるりとした光沢が特徴的だ。玉蘭が懐に忍ばせていたのは、綺麗に磨かれているものの、形などは特に定まっていない。グラデーションが美しく、茶色いに近い濃いオレンジから、柔らかなほとんどピンクのような部分まである。
「……あの、馬玉官、こんな風に普段から石とか持ち歩いてるんですか?」
「うん。なんか……気分転換? 日替わりで、適当に、好きなのを」
「変な人だ……」
白英がちょっと引いた顔をした。
「そう?」
「着飾るとかなら、まだわかりますけど、持ち歩いてるのはよくわかりませんね」
「でもほら、触ると滑らかで気持ちいいのよ」
「はあ……本当だあ……」
白英はしばらくカーネリアンの表面をすべすべと撫でた。
「……さて、あと一人くらいはいけそうですね」
白英が太陽を見上げながらそう言った。
「帰り際に寄れる場所にいますので」
「わかった。次はどこ?」
「ここから宝玉宮に向かう間に、倒壊した建物があるのはご存じですか?」
「ああ、たまに見かける」
宝玉宮は後宮の中でも中心部、薬局や尚宮局の近くに位置されている。
その特性上、多くの人がアクセスしやすいように配慮されているのだろう。
現在は後宮の西の端まで来ていた。
まっすぐ宝玉宮に帰ると言っても、それなりにかかる。歩き出す。
「あれ、古い宴会場だったんですけど、何代か前の皇帝が気に食わないって言い出して使わなくなりまして」
「為政者って……」
そんな理由で。
「百年近く放置していたら、馬玉官が赴任される前にあった大風で大破です。まあ、怪我人はいませんでしたが」
「危機管理!」
思わず叫ぶ。
「まあ、そういうわけで、あれを解体するのに、宦官が風数人、駆り出されていまして、次に会うのはそのうちの一人ですね。尚宮局で配置を聞いておきました」
「抜かりない……」
肉体労働に従事させられている宦官。あまり身分は高くないだろう。ラピスラズリに関わっている可能性は低いが、会えるのなら会っておくべきだ。
「えーっと、これか」
白英が記録をめくり、玉蘭に渡してくる。
「ありがと。名目は記録更新……。『死後の守り石の処遇について。パオとともに埋葬を希望に変更』。守り石の特徴は『青。角張った形』」
角張った形。ラピスラズリをそのようにカットすることもあるが、やはり朱瓔宮で見つかったラピスラズリとは違うものになる。ますますもって関係はなさそうだ。
そんな風に記録を読んでいるうちに、倒壊した建物に到着した。
朝から宦官が汗を流して働いている。
「徳秀ー! 徳秀はいるかー!」
白英がよく通る声で叫んだ。
「はい!」
少し高い声が応えた。
宦官は去勢の影響で身体が女性的になるものもいる。
いつも隣にいる白英は、20代で長身の色男といった風情で、女性的ではないから、宦官のそういう特徴は、つい忘れがちになる。
駆け寄ってきたのは、玉蘭より背の低い少年だった。
玉蘭が150㎝の半ばくらいなので、150㎝の前半くらいだろうか。
年齢も若く見える。10代半ばくらいか。
高い声が、年齢故か、宦官であるからかは判然としない。
「徳秀でございます」
可愛らしい顔をした少年は、そう名乗ると同時に、その場に勢いよく額ずいた。土の上である。
「うおっ」
玉蘭はちょっと後ずさった。
未だに、この世界のこういうところに慣れない。
身分の差。
馬家に暮らしていた頃も、後宮に暮らしていても、もちろん目にしてきた。
玉蘭だって皇帝相手になら額ずくことになる。
馬家にいた頃はどちらかというと、頭を下げられる側だった。
それでも、それはそれとして、自分が頭を下げられるというのは、あんまり気分の良いものではない。
「……あ、頭を上げてちょうだい……」
「はい」
返事とともにこちらを見た顔には泥がついていた。
頬にこびりついているものもある。今、額ずいたからだけではない。作業の間についたのだろう。
「……あの、自分に何か?」
少し不安そうな声。
「えっと、守り石は今持っている?」
「え、あ、はい」
徳秀が慌てて首元をまさぐる。よく見ると紐が垂れ下がっていた。
「こちらの方は馬玉官。新任の玉官だ」
白英が補足するようにそう言った。
「ああ……宝玉宮の……」
そう言いながら徳秀が取り出したのは淡い紫色をした紫水晶だった。
「紫じゃん!」
思わず玉蘭が叫ぶと、徳秀の身体がビクッと跳ねた。
「あ、ごめん、ごめん。大丈夫」
慌てて詫びる。
「えっと、記録の訂正をして回っていたの。青色って書いてあったから、その、びっくりして」
そう言いながらアメジストをじっと見つめる。なるほど確かに角張った形にカットされている。
質はそうよくはない。色はくすんでいるし、中がいささかひび割れている。安価で手に入れたものだろう。
石に紐を通す穴は空いていない。石を紐で包むようにして、首から提げている。前世ではマクラメという言い方をよく使ったが、マクラメは確かフランス語だ。
しかしこれはどう見ても紫色のアメジストだ。しかも紫。さすがに記録を取った人間の怠慢としか思えない。
「……紫ね、どう見ても。雑な仕事をしやがって……」
ブツブツと文句を呟いていると、目の前の徳秀が小さく震えていた。
「あ、ごめん。大丈夫。大丈夫だから」
「い、いいえ」
「その……紐、綺麗に結んであるね。自分でやったの」
「……あ、えっと、郷里の母が作ってくれて」
「そっか、お母さん、良い腕だね」
紐は丁寧な仕事で結ばれていた。きっと何年経っても解けはしないだろう。
母親が徳秀のためにせっせと編んだ石。
「……あ」
記録更新の内容をふと思い出す。
『死後の守り石の処遇について。パオとともに埋葬を希望に変更』
パオとともに埋葬。そう更新する前は何だったのだろうか。
もしかして『郷里に守り石だけでも返送』だったのではないか?
遺体を運ぶのには、ただでさえ手間がかかる。
ましてや徳秀は下っ端宦官。その費用を出してくれるものなどいない。
そういう時、故人の守り石だけでも故郷に送り返す風習がある。それ専門の『守り石運び』という職業もあるくらいだ。
だいたい行商人がついでに請け負っている。
それは持ち主の死を伝えるため、あるいはせめて守り石だけでも家族のそばで眠るため。
郷里の母に思われている彼が、それを選ばなかった理由。
「……お母様、もしかして亡くなった?」
玉蘭がポロリとそう言った瞬間、徳秀の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。