第10話 失せ物探し6
医官の元を出た頃には、朝の後宮は隅々まで目覚めだしていた。
後宮を回る順番は白英に任せることにした。
まず薬局の近くの尚宮局に向かった。
「……尚宮局って玉官不在時に代理で記録取ってたみたいだけど、どういう部署?」
「まあ、事務方の何でも屋みたいな感じですね。皇后さまをはじめとする皇族方の補佐もしています」
「ああ、総務課とか秘書室みたいな……」
「何が何です?」
「こっちの話」
前世の話だ。
尚宮局の新人女官が持っていたのは菫青石だった。透明度が高めの石で、不透明なラピスラズリとは間違えようがない。
「この半年の間に新任で後宮に入りました」
と本人が語ったとおり、宝玉宮の記録にも『新任』の添え書きがあった。
新任時の記録、アイオライトの実物。彼女の守り石が実はラピスラズリだという可能性は低そうだ。
「最近、朱瓔宮には行かれたことはありますか?」
白英がまたしても質問をした。
「朱瓔宮……。いえ、一度、仕事で伺う機会はあったのですが、『念のためお前はやめておきなさい』と言われて……」
「念のため?」
玉蘭は首をかしげた。
「はい。なんでも朱瓔宮の楊賢妃さまは青い守り石を持った人間を毛嫌いしているらしいのです」
「……え?」
玉蘭と白英は思わず顔を見合わせた。
「青……?」
謝女官はそのようなことは一言も言っていなかった。
噂が偽という可能性もある。
しかし、こうして初対面の人間にも臆面なく伝えることができ、局内の仕事の割り振りまで左右されるほどの噂。
それを謝女官が把握していないというのも、少しおかしい。
思いがけない情報がもたらされた。
後宮を移動しながら、考え込む。
「……この噂があると、さらに話は変わってこない?」
玉蘭は白英に尋ねた。
「ええ、青いラピスラズリの持ち主が現れなかったのは、『楊賢妃さまの不興を買いたくなかったから』という可能性が出てきますね」
「……この場合、噂が本当か嘘かはどっちでもいいのよね。朱瓔宮には楊賢妃さまに仕えて日が浅いものたちもいるでしょうし、そうしたら噂を真に受けて、落としたのなんて言えないって思うかもしれない」
「ええ。でも守り石でなおかつ持ち主が女性なら、やっぱりバレているはずですよね」
「そうだった」
女性は大概守り石を見えるところに着ける。
「じゃあ、宦官……? ……あ、朱瓔宮に勤める宦官の守り石を、記録から洗い出す?」
「ですが、宝玉宮の記録は一定期間を過ぎたら、名前順ですからね。今すぐは難しいです。あとで朱瓔宮の名簿を謝女官に頼んでみましょうか」
「ああ、そっか……。タグ検索したい……」
後半は白英の耳に入らないように、ぽつりと呟いた。
「……でもさ、そもそも四妃の宮殿で青い守り石を持ってる人間が一人もいないとか無理よね」
「ええ、まずないかと」
青い石。
前世でも赤と並んで人気のある宝石の色だった。
この国では玉の白色や緑色が一番高貴とされているが、ラピスラズリのように、青い石ももちろん価値はある。
今だって、半年の記録の一部を漁って見つけた十数人が、青い守り石を持っている。
十数人もいる。まだいる。
「……とりあえず、午後まで時間はあるわ。次行きましょう、次」
「ええ」
次に向かった先は梅環宮。妃嬪が住まう宮殿のひとつだ。
住まう妃嬪は林才人。
宝玉宮、そして玉蘭にとっては『お得意さん』である。
林才人は高級官吏の娘や、大商人の娘ではない。女官として後宮に上がり、皇帝に見初められ、公主まで産んだ。この公主は東宮の姉に当たる。
その公主を有力官吏に嫁がせたことで、後ろ盾を得、なんとか体裁を保っている。
とはいえ後宮での出自の弱さは、力の弱さ。
だからこそ林才人は宝玉宮をふんだんに活用する。
無料で宝玉を見てくれる部署。
前任の玉官たちもよく梅環宮に出入りしていた記録が残っている。
もっとも今日訪ねるのは、そこに仕える女官だ。
「お呼びでしょうか……」
その女官はビクビクしながらやって来た。見覚えはない。あまり上位の女官ではない。林才人のそばに仕えるというよりは、梅環宮の下働きをしているのだろう。
「現在、玉官不在時の守り石の記録の精査をしていまして」
「……記録……? ああ、はい、私、自分の持ってる石が何かわからないまま後宮に入って、そしたら……その、宝玉宮に伺う前に、玉官が皆様亡くなってしまったのですが……。同僚が『それは藍宝石じゃないかしら?』と……。それで一応、そういうふうに登録を……」
「なるほど」
自分の守り石が何かよくわからない。
そこまで珍しいことではない。
高貴な身分、金持ちであれば、自ら選んだものを買い求めるが、庶民であればたまたま手に入った石を守り石にすることもよくある。
親が拾ってきたから名前はわからないとか、実際名前がないような『普通の石』であるとか、そういう場合もある。
「拝見してもよろしいですか」
「え、ええ……」
サファイア。前世でも宝石と言われれば10個以内には出てくるくらいメジャーでなおかつ色は青で知られる宝石。
女官が石を取り出した。
濃い青色の中に不均等に白い部分が混じっている。あまり質の良いものではない。
恐らく売り物ではなく、削られた後の余り物を守り石として譲り受けたのだろう。名前を知らないというのも納得だ。
このように守り石はその見た目で、相手の生まれ育ちがだいたいわかってしまう。
「……ありがとうございます。これをサファイアだと見抜いた方はどちらさまですか?」
綺麗に磨いてあったのならともかく、この状態でサファイアだと見抜いたのなら、なかなかの目利きだ。
「当時、梅環宮にいた先輩女官です。馬玉官の着任前後に異動になりました。崔女官」
「崔女官……」
ありふれた姓だ。
「……下のお名前と移動先は?」
「忘れました……。ああ、でも守り石は覚えています。真っ赤な紅玉」
「ルビーですか。ルビーとサファイアは同じコランダム。だから、知っていた、のかな……?」
引っかかるものを感じながら、梅環宮を後にした。