過去を捨てた男
皆誰しもに過去がある。
ひょんな事から、頭の中を支配して、グルグル回って時間が経つ。
朝目覚めると夢なのか現実なのか、過去がグルグル回る。
自分はこんな事をした。
あんな事があった。
だが気づくと大抵、いい事を自分が人にした事か、又は、悪い事を他人が自分にした事のどちらかが思い描く事が多い。
人間は真逆の生き物だ。
これは後世に名を残した北風陣の言葉である。
人にされたいい事を覚えて、自分がした悪い事を字訓として、覚えている人を世の人は賢人や尊敬する人としてあげる。
そう、賢人や尊敬する人になろうと思ったら、人の真逆に行かなければならない。
だから絶滅危惧種と言われる賢人や尊敬する人になれるのである。
人の真逆にいくのには覚悟がいる。
そこで滅入って、幾多の人が精神を崩壊させたか分からない。
皆直感で、分かってる。
鬱病などをわずらっている人の多くは、根が正義感が強くて、それゆえに真逆の道をよしとして、大きな壁にぶつかり、硬い鉄パイプがふにゃふにゃになったがごとく、打ち負けてしまったんだと。
一億総人口の内、二百万人位の病人と予備軍がいる。
何故こんなに声高に、正義を正当するのだろう??
こんなに、苦しんでいる人を生み出す正義って何だろう。
数少ない賢人や尊敬する人を生み出すための犠牲が二百万人。
まるで賢人や尊敬する人と、病人が、富裕層と貧困層に分かれたみたいだ。
本当に打ち勝った人。壁を鉄パイプで粉々にした人が勝ち組何だろうか??
本当に負けた人、善意で、壁に向かって、下敷きになった犠牲者達が負け組何だろうか??
過剰に言われる正義という言葉は本当に正義何だろうか??
正義の名の下なら、犠牲者を厭わなくていいんだろうか??
過去という名の亡霊を崇拝する未来より、未来の楽しい事を考える授業があってもいいんじゃないだろうか??
本当の正義の為に頑張った人は、未来の為に頑張ってきた人じゃないんだろうか??
過去の偉人から学ぶのもいいが、もっと未来に目を向けてもいいんじゃないか??
小さい頃、夢に出てくるのは、歴史の勉強ばっかりだった。
過去に何が起きたか。
世界の環境で何が起きたか。
自分の家系がどうだったか。
自分は誰から産まれたのか。
過去の人の功績や過去の世界の偉業何て知るか。
今を生きてる自分達を、その人達が助けてくれるのか。
未来がみたい。未来がみたい。
勉強が苦になって不登校になった人も、仕事が苦になって病気になって、引きこもりになってしまった人達も。
過去の負財をもう受け取るな。
過去には参考程度になるものしかない。
今を生きてる人には、もっと未来がいる。
未来の為の勉強が、学校のカリキュラムになりますように。
未来を生きる人達が、過去を振り返らず、後悔しない生き方を、選べるようになりますように。
新しい未来教が生まれますように。
過去は踏み潰せるけど、未来を踏み潰す事は出来ない。
未来の為の過去の勉強ではなく、未来の為の将来の勉強をするべきではないか。
当たり前の事だが、過去は変えられないが、未来は変えられる。
良い未来が貴方を待ってますように。