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かき氷にフランクフルト、金魚すくいに射的屋さん。
秋のお祭りが、ぼくは大好きだ。全部がきらきらしていて、見てるだけでわくわくする。
ひとりで見て回って、おこづかいが全部なくなった頃、空はすっかり暗くなっていた。帰りたくないなあ。夜の道をひとりで歩いて帰るのを考えると、いつまでもお祭りの中にいたくなる。
のろのろ歩いていたけど、いつの間にか、屋台の列のはしっこまで来ていた。一番はしのお店を見て、ぼくはつい足を止めた。段ボール箱を前に置いて、おじさんが折りたたみの椅子に座ってる。他の屋台はたこ焼きとかわたがしとか名前を書いているのに、このお店は何も書いていなかった。
段ボール箱を覗くと、そこには卵が入っていた。白い普通の卵。ぼくの家の冷蔵庫にも入ってる、ニワトリの卵。
「おじさん、卵屋さんなの?」
お祭りの卵屋さんなんて、聞いたことがない。
ぼくが話しかけると、おじさんは座ったままぼくを見上げた。草の色をした毛糸の帽子をかぶって、もじゃもじゃの髭を生やして、顔は日焼けしていた。少し眠そうな目をしていた。
「ぼうや、これを育ててみるかい」
声はしわくちゃで、おじいさんみたいだった。
「これ、何の卵なの」
「育ててみたらわかるよ」
なんの卵だろう。ぼくはわくわくしてきた。ぼくが赤ちゃんから育ててあげたら、友だちになってくれるかもしれない。家にはもう猫のトラキチがいるけど、こっそり飼ったら多分大丈夫。
「大きくなる?」
「いんや」
おじさんの返事を聞いて、ぼくはとっても欲しくなった。どきどきしながらポケットに手を入れて、気がついた。さっき焼きそばを買った時、お金を全部使っちゃったんだ。
「お金がないのかい」
ぼくの考えが分かったみたいにおじさんが言った。しょんぼりして頷くと、おじさんは提案した。
「お金じゃなくてもいい。何かと交換しよう」
反対のポケットを探って、ぼくはスーパーボールを取り出した。さっき、屋台で貰ったボール。上手くすくえなかったけど、一つだけおまけでくれた、きらきらのボール。水色の中に星が入ってるみたいで、とてもきれい。
「これでいい?」
ぼくが差し出すと、おじさんは頷いた。卵を一つとって、ビニール袋に入れてぼくに渡してくれる。
「そうそう」
ぼくが袋の中を見ていると、おじさんはポケットを探って一枚の紙切れを取り出した。
「ここに育て方が書いてあるから。ちゃんと育てるんだよ」
紙切れを受け取って、ぼくは頷いた。
多魔護ノ飼育法。
おじさんがくれた紙にはそう書いてあったけど、まだ習ってない漢字があってぼくには意味がよくわからない。だけど、ぜったいにこの卵を育てようと思った。
・月光ヲ当テルコト
・風呂二入レテ温メルコト
・毎日水ヲ与エルコト……
漢字と片仮名で読みにくいけど、いくつも書いてある育て方を、ぼくは頑張って読んだ。
小さな紙箱にハンカチとティッシュを入れて、卵はその上に乗せた。ふたをすれば、お母さんたちもぼくが卵を育てているなんてわからない。
眠る前に窓の外を見ると、真ん丸な月が出ていた。その光があたる畳の上に卵の箱を置いて、布団に入った。先に入っていたトラキチを抱っこして、卵を見ながら眠った。
朝になって、洗面所から水を入れた歯磨きコップを持ってきて、卵にちょっとだけかけた。
何が生まれるんだろう。
「トラキチ、食べたらだめだよ」
ぼくの横でじっと卵を見ていた虎猫のトラキチに注意しておく。トラキチは、あまり興味のなさそうな目を、眠たげにぱちぱちさせた。
朝ごはんは、食パンを一枚食べた。まだお腹が空いていたけど、牛乳をいっぱい飲んでたぷたぷにして、学校に行った。
学校でも、ぼくはずっと卵のことを考えていた。ぼくは恐竜が好きだから、恐竜が生まれたら面白いのにって思う。反対に、怖いおばけが出てきたらどうしよう。でも、生まれた時にぼくをはじめて見たら、ぼくをお母さんだと思うかもしれない。そしたらきっと仲良くなれる。きっと毎日が楽しくなる。
「にやにやすんなよ、きしょい」
村野が蹴ってきたけど、いつもよりは痛いと思わなかった。ぼくには卵があるんだぞ。恐竜やおばけが生まれるんだぞ。そう思うと、へっちゃらだった。
家に帰ってしばらくすると、お父さんが帰ってきた。夜中になる前に帰ってくるのは久しぶりだった。だけど、すぐに電話を始めて怒鳴り始めたから、ぼくは部屋から出なかった。相手は、お姉ちゃんの病院に泊まってるお母さんだ。怒鳴らなくてもいいのに。そう思いながら、卵の頭を撫でた。つるつるで、少しあったかい気がした。
お風呂に入るときは、洗面器に入れてそっと一緒に入った。部屋に戻ってから、卵の前で踊った。小さな声で歌をきかせた。トラキチが迷惑そうな顔をしてぼくを見ていた。
扇風機の風を当てたり、畳の上で転がしたり、つまようじでつついたり。ぼくは毎日お世話をした。
卵は、何も変わらなかった。