時計の針が戻る頃に
あの熱い魂はどこへ消えたの?
色とりどりの甘い夢と、何色にも染まる美しいけなげさも何処へいったんだろう?
いつの間にか馴染んだ時代の速さが全て置き去りにした。
ーー私はよくいる使い捨ての偶像。
名前は、愛野星来。
綺羅星の如く振る舞いステージに立っているけど、中身はそこらの人と何ら変わらず、自分の人生に対して単に地に足が付いてないだけだ。
このままじゃダメだと思っている。
何とかして、本物にならなければ⋯⋯。
本物のアイドルにならなければいけない。
「お疲れっす」
マネージャーがキンキンに冷えたスポーツドリンクを手渡してくれる。
ここは控え室で、私はステージを終えたばかりのところだ。
「あ、ども」
私は、紙コップに入ったスポーツドリンクを受け取り、ゴクゴクと飲み干す。
「プハー、沁みるっ。この一杯のために生きてるって感じ」
「ビールじゃないんだから」
マネージャーが呆れ笑いしつつ、バスタオルを手渡してくれる。
私はそれで汗を拭い、マネージャーに投げ返した。
「今日はファンレター何枚きてるの?」
「2枚。一応チェックしたけど、1枚はいつものヤバイやつ」
ヤバイやつ、と言いながらマネージャーはそれを小馬鹿にした調子で笑っている。
「面白そう。見せてみて」
私が言うと、マネージャーは懐から便箋を取り出し、それを私に手渡してくれた。
「どれどれ」
私はスマホのSNSのチェックもそっちのけで、その便箋を読み出す。
◇◆◇◆◇
星来ちゃんへ。
いい加減にしてくれないかな?
キミとボクは結ばれなきゃいけない運命だって何度も伝えてるのに、なんで無視してるの!
思わせぶりなサインばかり送っといて!
駆け引きのつもり? なら、これ以上は逆効果だよ。
毎日毎日、ボクは星来ちゃんのことをずーっと考えているんだ。
キミという赤い宝石と、青いヘドロのボク。
そう、だからボクらは絶対に結ばれないといけない。
それが世界のお約束。キミもよくわかってるだろ?
好きだ好きだ好きだ好きだ。
いつでも焦がれている。
夜が辛くてしょうがないよ。
⋯⋯でも、ボクが一番キミを愛しているから。
結婚しよう。
子供は3人がいいな⋯⋯。
返事、今度こそ待ってるから。
これ以上待たせると、ボクはどうにかなりそうだよ。
正直、理性を保つのが難しい。
キミに対する黒い欲望が渦巻いているよ。脳が沸騰しそうさ(笑)
夜道に気をつけてね。
ひょっとしたらボクはもう正気ではいられない。
⋯⋯これが最後通告かも知れない。
愛しているよ。
じゃあね!
碧ヘドロより
◇◆◇◆◇
⋯⋯。
「うはーっ。訳わかんねー! けど、盛り上がってることだけはわかる」
私はそう言うと、縁起担ぎのように、魔を払うかのように、そのファンレターをビリリと破った。
「まぁ、そう無下にしないでよ。この子アナタのファングッズ毎回山のように買ってってくれるんだから。一番の太客だよ」
「うへぇ、あんなゴミに金払って、きたねー部屋でゴミに埋もれてくれるんだ。ほとほと呆れるわ」
私は、これ以上触ってらんないと、破ったファンレターをマネージャーに渡して、手を洗うために椅子から立つ。
「まぁそう言わないの! こういうバカなファンが山ほど付かないと、アイドル稼業なんて成り立たないんだから」
「そんなことはわかってるけどさー」
私は、洗面所の蛇口を捻って手を洗い出す。
なんかファンレターに変なものが擦り付けてあるかも知れない。
念入りに手を洗う。
ついでに、顔も洗って、汗でグシャグシャになっていたメイクも洗い流す。
ふぅ。サッパリした。
そして、私は目の前の鏡でスッピンになった自分の顔を見つめてみる。
「⋯⋯ほんと、ちょっと可愛いからって何なんだろ」
私は何気なく呟く。
「えっ、何か言った?」
マネージャーが背中から声をかけてくる。
「いや、別になにも」
私は振り返ってニッコリと笑顔をつくった。
☆★☆★☆
夜の歩道。
マネージャーの車が修理中なので、今日はタクシーで帰宅しようということになり、私はマネージャーと共にタクシーを待っていた。
と。
「星来ちゃん!」
ファンと思しき男がこっちに駆け寄ってきた。
駆け寄ってきたというより、突撃と表現した方がいいだろうか、顔を見ると見覚えのある冴えない風体をした中年の男だった。
本能的に身の危険を感じた私は持っていたバッグで顔だけでもとガードをする。
「星来ちゃん! 星来ちゃん!」
男は興奮していて私に掴みかかろうとしている。
それを血相を変えて、マネージャーがガードしている。
「こ、こらっ、これ以上は警察呼ぶよっ」
「星来ちゃん!!!」
身体を抑えられてもがきつつも、男は必死で私の名前を呼んでいる。
「な、何ですかぁ〜?」
私はこの男が好みそうな甘い声を出した。
「ボクのこと知ってるでしょ! 結婚してって言ってるでしょ! 名前呼んでよっ! ボクの名前っ! 早くっ!」
「えっ、えっ!? えーっとぉ⋯⋯」
私はマネージャーの顔を見る。
「例のアイツ。碧ヘドロ」
マネージャーはそう言いつつ、警察に連絡するためかスマートフォンを取り出し、しかし、その手を男は必死になって押さえつけている。
「あー、あのお方でしたか⋯⋯えーと⋯⋯」
私は、男を認知している方が得なのか、してない方が得なのか計りかねて、とぼけているフリをした。
「そう! ボクが碧ヘドロだよっ!」
男はそう叫んで、マネージャーを投げ飛ばした。
そして、その勢いのまま私に抱きつこうとする。
「待って! きゃーっ」
再びバッグで顔をガッチリとガードするが、恐怖心で手や足がブルブルと震えてきて、上手く力が入らない。
男はそんな私の手を力強く痛いくらい握りしめると、その手を自分のズボンの中へと強引に押し入れようとした。
「待って! 待って!」
私はパニックになる。
と。
「いい加減にしろっ」
マネージャーがそう言って、振り向いた男に対して、力いっぱい正拳突きを叩き込んだ。
「うがっ」
男は顔を殴られて、吹っ飛んで地面に倒れていく。
「⋯⋯ありがとう。怖かったぁ」
私は思わず、マネージャーにギュッと抱きつく。
マネージャーも私を守り安心させるためか、私の身体を抱きしめる。
⋯⋯しかし、それが致命的だった。
「お、お前ら、できてるんだなっ! できてるんだろうっ!! ちくしょう!! 裏切られたっ!!」
男は怒りで顔を真っ赤にして、一方的にわめき立ててきた。
それから立ち上がり、猛ダッシュで逃げていった。
「⋯⋯」
私はその後ろ姿を呆然と見送る。
「これはヤバイな。警察に相談しようか?」
マネージャーが深刻な様子でそう言ってきた。
しかし、私は⋯⋯。
「とりあえず、様子見しよ」
そう答えて、そこへちょうどやってきたタクシーに乗り込んだ。
☆★☆★☆
帰宅。
一人暮らしのマンションの玄関を開けた私は、ふう、と息を吐く。
それからすぐお風呂に入って、お風呂上がりに、これからの新しい台本に目を通していく。
(相変わらず、チンケな子供騙しか⋯⋯)
私はそう思いながら、さっきの碧ヘドロとかいう中年男性のことを思い出していた。
本当にバカな男⋯⋯。呆れる。けれど⋯⋯。
熱くて夢見てて純真ではあった。⋯⋯か。
私は私の中で既に失ってしまったものを男の中に見出していた。
正直、羨ましいと思う。
けれど、あんな様子の人間性では、ロクに金は稼げないだろう。
私は、マネージャーもファンも含めて、人間は全く信用していない。
していないが、その代わり、金の力だけは信用している。
いい人生を送るには金が必要だ。金を稼げない男にはやはり興味はない。
それに、金を稼げない男が私のことを理解するのは不可能であろう。
しかし、本物のアイドルになるためには、この男のような存在を⋯⋯。もっと⋯⋯。
そう思いつつ私はスマートフォンを手に取り、SNSのチェックを始めた⋯⋯。
⋯⋯いつの間にか、私は寝落ちして、ソファーの上で眠りだしていた。
☆★☆★☆
「大変だよっ、星来ちゃん!」
朝一の挨拶もままならぬままに血相を変えてマネージャーが焦っていた。
「どうしたの?」
私がそう尋ねると、ファンレターを手渡してきた。
それはおどろおどろしい、殴り書きで、指で書いたらしき赤い⋯⋯血文字だった。
私は興味深く内容を読んでみる。
◇◆◇◆◇
よくもうらぎったな!
よくも騙したな!
殺す! 絶対に殺す!
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロス!!!!!
今日の14時に○✖️通りのカフェでボクは待っている。
誠心誠意うらぎったことを謝って、結婚するならばギリギリ許してやる。
絶対に来い。一人で来い。
碧ヘドロ
◇◆◇◆◇
⋯⋯。
「おー、テンション高いね」
私は他人事のように言う。
「殺すって書いちゃってるし、完全に一線越えてるね。警察に通報しようか?」
マネージャーはスマートフォンを取り出す。
私はその手を制止した。
(不思議な感じだ。私は⋯⋯この男から恐怖よりも、純真さを感じている)
⋯⋯。マネージャーが私の顔を見る。
「めんどくさいよ。スルーしておこ」
「ええっ。オレはかなり危ないと思うけどなぁ⋯⋯」
マネージャーは首を捻るが、確かに警察に通報すると色々と手数がかかるので、星来の言う通りにしよう、と。とりあえず様子見することにした。
それで、その日のスケジュールの確認になり、念の為、警備の人間に碧ヘドロの存在を伝えておくことになった。
午前中の仕事が終われば、夕方から立つステージ以外はフリーの日なので、昼時はゆっくり羽を伸ばそうということになり、けれど、一応注意警戒のために、今日はずっとマネージャーが私に付いてくるということが決まった。
ーーそして、昼時を過ぎて。
私はマネージャーと一緒に人気のアイスクリームショップへとやってきた。
今は夏場で特にアイスクリームショップが人気なので、物凄い行列ができている。
行列に並ぶのはダルいので、それはマネージャーに任せて、私は店内のイートインの席に座って涼んでいた。
と、時計を見る。
ちょうど14時で、あの中年男が待っていることを思い出した。
(○✖️通りか。ここから歩いて15分くらいのところにあるのか⋯⋯)
何気なくスマートフォンでマップをチェックしつつ、私はふと、あの男の様子を見ようと思い立った。
それが、単なる好奇心や気まぐれではない、自分の中の何か深い気持ちの動きからくるものであることを私は把握していた。
マネージャーが携帯型の小型扇風機で涼みながら並んでいるのを横目に、私は○✖️通りのカフェへと向かった。
☆★☆★☆
ーーそして、件のカフェに到着した。
カフェの中はお客さんでいっぱいで、外からはあの男がどこにいるのかわからない。
私は、カフェに入店して、男の姿を探した。
すると⋯⋯。いた。
トイレのあるところの隣の2人がけの席に男が座っていたのだ。
男は俯いた姿勢で、ぶつぶつと何やら独り言を喋っているのが伺えた。
私は、そこへ歩み寄っていく。
「⋯⋯。碧ヘドロさん。初めまして」
私は、俯いている男に挨拶をする。
と。男はばっと顔を上げて、まじまじと私の顔を見た。
「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
男は大きな叫び声をあげると、男は懐からナイフを取り出し⋯⋯躊躇せず私を刺した。
ーー滅多刺しだった。
私の腹部を胸部を顔を⋯⋯狂ったように刺していく。
(これが⋯⋯純情メッタ刺しナイフというやつか⋯⋯)
私は身体のあちこちが灼熱に焼けるような痛みを感じつつ、それを他人事のように受け入れた。
「⋯⋯」
男はひとしきり私の身体を滅多刺しにし、それで気が済んだのか、ナイフを手から離した。
周りの客達は、慌ててスマホを取り出して撮影をし始めた。
きっと明日の今頃にはいいニュースになっているだろう。
やはり、私は他人事のようにそう思った。
そして⋯⋯、顔面が蒼白になっている目の前の男の頭に優しく手を置いて、撫でた。
「だいじょうぶ、だから⋯⋯」
掠れ声でそう伝えた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!」
男はそれで耐えられないといった様子で奇声を上げると、カフェの外へと飛び出して行った。
私は立ってられなくなり、その場で身を横たえる。
そこにはおびただしい量の血溜まりができていて、もう助かることはないだろうな、と私は感じた。
ーーッ。
何か声が聞こえてきた。
「だいじょうぶかっ!?」
マネージャーの声だった。
マネージャーは私の姿を見つけると、歩み寄ってきた。
「なんてバカなことを⋯⋯。もうすぐ救急車が来るからがんばれ!」
マネージャーは怒っていた。泣いていた。
もう助かりそうにないことがわかっている様子だった。
「⋯⋯。私、本物のアイドルになれた、かな?」
「なにバカなこと言ってるんだ! どれだけの損失だと思うっ!? キミの大事な人達みんな、どれだけ⋯⋯かなしいよっ!」
「⋯⋯わた、し、の、大切な人? もう、そんな人どこにもいないよ。⋯⋯この、世界のどこにも」
そう、終わってしまっていたのだ。
熱い気持ちも、夢見る気持ちも、素直に人を信じる気持ちも⋯⋯私の世界からはとうに消え失せていた。
私にとって大事なものは、全部もうどこかへ消え失せてしまっていたのだ。
そして⋯⋯。そのなくしてしまった世界をあの男の中に感じていたのだった。
「まだ、あったんだよ、ね⋯⋯」
「何がっ!?」
マネージャーの怒声が遠くに聞こえる。
視界も白くボヤけてきた。
もう喋ることもできない。
ああ、私は死ぬんだな。
でも、これが事件になって⋯⋯。
みんなが悲しんで⋯⋯。
少しでも時計の針が戻ったなら。
きっと私は⋯⋯。
本当の⋯⋯。
⋯⋯⋯アイ⋯⋯ド、ル⋯⋯。
ーーそして、私は死んでしまった。
もうなくしてしまった、あの世界を望みながら。