その物語の真実は、恋か悲劇か純愛か
──これは、とある小さな国の、恋物語。
その国には、一人の王女様がいました。
王女様はとても愛らしく、王様からも国民からもとてもとても愛されていました。
王女様には婚約者がいませんでしたが、王女様も成長し、婚約者を決めなくてはならなくなりました。
たくさんの候補者がいる中で王女様が望んだのは、他国の王族でも自国の高位貴族の子息でもなく、なんと王女様の護衛騎士だったのです!
しかし護衛騎士は身分が低く、王女様の結婚相手には相応しくないと王様は反対しました。
けれど王女様は諦めず、毎日毎日、王様を説得しました。
そんな王女様の姿に胸を打たれたのは、これまで王女様を見守ってきた多くの国民でした。王女様の清らかなる恋をかなえてほしいと、誰しもが願うようになったのです。
王女様を応援する声は日に日に大きくなる一方でした。
毎日、王様の元へその報告がなされます。
そしてとうとう、王様が二人の婚約を認めると発表されたのです!
これには王女様も国民も大喜びしました。
王女様は涙を流して皆にお礼を言い、その涙を見た者達に大きな感動を与えました。
王様は彼らのそんな姿に、自身の決断は間違ってはいなかったのだと確信し、更に国をより良いものにしていくと心に誓いました。
しかし……結婚式を目前に控え、国のどこにいても幸福を感じられるような、そんなある日のこと。
突然、悲劇が訪れます。
なんと、王女様と婚約者である護衛騎士が辺境伯領地へと視察に向かう道中で、馬車の事故が起き、王女様をかばった護衛騎士が崖から落ちてしまったのです。
必死に手を伸ばした王女様の奮闘虚しく、護衛騎士は崖下へと姿を消しました。
王女様は絶望し、泣き崩れました。
護衛騎士の捜索には何日も何日もかけましたが、見つかることはありませんでした。
そして事故のあった日から、王女様は国民の前に姿を現せられないほど、ふせってしまったのです。国民は王女様を心配し、一目でもお姿を見せてほしいと王様に嘆願しました。
けれどその願いはかなえられないと王様は答えます。
国民は悩みました。
どうすれば王女様を励ますことが出来るのだろうか、と。
そこで国民は話し合い……王女様と護衛騎士の寄り添い合う銅像を立てることに決めたのです。
国民は二人が貫いた愛は永久の愛だと、そしてそれを自分達はいつまでも応援しているというところを王女様に知ってほしかったのです。
銅像は王都の中心に建てられ、多くの国民が王女様の回復を祈りました。王女様はそれをお城から見て、護衛騎士と国民を思い、涙を流しました。
生涯、王女様は誰とも結婚することはありませんでした。
国民もそれを望み、王女様と騎士の銅像は、恋人達の愛の象徴として国が滅びるその最後の瞬間まで、皆から大切にされました。
めでたしめでたし──
◇◇◇
「……さて、このお話から思うところは?」
「はい、先生。私は、王族の婚姻は、国の在り方を象徴するものだと思います。この王女のように、国にとっての利も何も考えない、自身の感情のままに決めた婚姻など、王族にとっては愚かな選択だったとしか言えないのではないでしょうか」
教育係の質問に答えたのは、小さな王国の第一王女である。七歳になったばかりの彼女の回答に、教育係は満足そうに頷き、また話を続けた。
「そうですね。国をまとめる立場にある者としては、私欲ばかりを主張して、義務を果たしていないように思えますね。しかし一方で、この物語が国民にとってどのように語り継がれているのかはご存知ですね?」
「はい。悲劇ながら純愛の物語だと」
「その通りです。では殿下。殿下の意見を国民の前で口にすることは、王族にとって利となりますか?」
「間違いなく不利となります。国民が望む姿と、王族が守るべき義務は異なる場合があります。だから我々王族は、その差を国民に悟らせることなく、真に好いた相手と婚姻するのだと見せることも、時には必要になってきます」
また教育係は頷いた。
手にしていた本の表紙を閉じ、真っ直ぐに第一王女を見つめる。
「一つの事象でも、立場や視点が変われば考え方や感じ方が異なるのは当然のことです。自身とは違う考えの者に強引に認めさせるのではなく、正しく自身の義務を果たし、周囲を納得させる……いえ、納得してもらう、というお気持ちが大切です」
「納得、してもらう」
「そうです。王族は国民の上に立っているのではありません。国民に立たせてもらっている、ということを忘れないでください。殿下のようにしっかりと自身の意見を言葉にでき、国民の意見も理解されておられる方ならば、必ずや国民から慕われる皇族となりましょう」
「……なれるかしら、私に」
ここにきて初めて、第一王女は不安そうに視線を下げた。
まだ七歳の少女は、帝国の第二皇子との婚約が決まったばかりだ。
「なれるのか、ではなく、なるのです。そのために、私達がおります。不安に思われるのなら、どうぞこの場で口にしてください。そうして国民の前では立派な王女として、堂々としたお姿を見せるのです」
「……私もいつか、この王女のように恋に狂ってしまったらどうしよう」
第一王女は机の上に乗せていた小さな手をギュッと握る。
「恋は落ちるものだというでしょう? もしも私がこの王女のように、身分差のある人に恋に落ち……たら……?」
そこまで言うと彼女はふいに黙り込んだが、教育係は何も言わずに次の言葉を待った。
しばらくしてから彼女が口を開いた時、小さな王女は表情を固くして再び物語に話を戻したのである。
「先生……この騎士は身分が低いとはいえ、王族との婚約を認められたのですよね? そうなると……騎士は少なくとも平民ではない……騎士が貴族だったのなら、騎士には婚約者がいたのではないですか? まさか、この王女は騎士の婚約を解消させてまで彼を手に入れようと?」
青褪めてすらいる第一王女に教育係は優しく微笑み、さすがです、と彼女を称賛した。
「そこについては、私達、教育係の中でも意見が分かれるところではあります。ですが殿下の仰った通り、騎士が貴族であったということには皆が賛同しております」
「貴族……ということは、辺境伯領地へ向かったのは、王女と結婚した後に騎士が賜る予定だったから……? 視察と書いてあるけれど、身分の低い騎士を辺境伯の養子とするために訪れたのかもしれないの?」
第一王女は口元に手を当てて、物語について深く考え始めた。
「この物語は、悲劇でありながら純愛でもある。それは王女の視点であればそうかもしれないけれど……もしも王女が婚約を解消させた上で、騎士を手に入れたのならば。そして騎士がそれを望んでいなかったのならば、この物語は騎士にとってはただの悲劇でしかない。当然、騎士の婚約者にとっても……そんな……そんなの、許されるはずがない」
悔しそうにしながら、彼女は更に言葉を続ける。
「なんて身勝手な……こんなものが悲劇で純愛などと……真実は分からないけれど、先生、私はこんな愚かな王女にはなりません!」
「ええ、私も殿下はそうならないと信じております」
「恋に落ちたら、なんて心配をしている場合ではないのよね。私は国を背負い、民を守るために生まれてきたのだもの。こんなことで悩んでなんていられないわ」
先程までとは打って変わって、第一王女はその眼差しに強い光を携えていた。
「多角的な視点で、物事をみること。もしかしたら王女と騎士は本当に純愛だったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。この物語を読む上で大切なのは、それぞれに焦点を当てて、見方を変え捉え方を変え、その立場の者がどうあるべきかを考えること」
「さすがです、殿下。私の今日の授業内容は、今、殿下が全て仰ったことです」
にっこりと笑う教育係に、第一王女は自信を取り戻したように笑った。
第一王女が育った国の国民性は、勤勉で真面目、それでいて驕らないと帝国から評価されている。彼女ももちろん、その国民性に当てはまった。
「先生、もしも私が愚かな選択をしたら、めいっぱい叱ってくださいね! 私がどんなに偉くなっても、私にたくさんのことを教えてくれたのも、これから教えてくれるのも先生ですから!」
「殿下であれば、私の言葉がなくとも正しい選択をされると信じておりますが……そうですね、もしもの時は、私が殿下をお叱りいたしましょう」
「約束ですよ、先生」
「はい。それでは座学はこの辺にして、今からはダンスの練習にしましょう。帝国流のステップは少し複雑ですから、おさらいからいきましょうね」
「はい! よろしくお願いします!」
小さな国の第一王女は、いつだって王族としての正しい姿を国民に見せ、国民はそんな彼女を国の誇りに思い敬った。
数年後、第一王女は帝国の第二皇子と心から愛しあう夫婦となり、帝国民からも王国民からも愛され慕われる二人となるのであった。
◆◆◆
とある小さな国に、仲睦まじい男女がいた。
母親同士の仲が良く、家格も子爵家同士ということで生まれてすぐに婚約関係が結ばれた。本人達の意志は当然なかった婚約だが、成長しながら二人は誰よりもお互いを想い合い、誰から見ても愛しあう仲の良い婚約者であった。
二人とも長子ではなく、結婚後は平民となって暮らすことになっていた。男は剣技に優れていたため、女に少しでも楽な暮らしをさせたいと王家騎士団に入団し、騎士となった。女は頭脳明晰であったため、男を支えたいと王立学園に入学し、教育者を目指し勉学に励んでいた。
たとえ離れていたとしても、二人はお互いを何よりも尊重し、何よりも大切にしていた。
しかし、男が王女の護衛騎士に抜擢されたことで二人を取り巻く環境が一変する。
男は家に帰る間もなく、王女の護衛につくことを命じられた。王女は男の容姿を気に入り、どこに行くにも何をするにも男を自身のそばにおいたのだ。
王もそれを止めず、そのうち飽きるだろうと王女の好きにさせた。
すると……気を大きくした王女は、明らかに暴走し始めた。
王女は男に婚約者と別れ、自身の婚約者になれと言った。
男は不敬を承知で拒否をした。そんなことをするならば騎士を辞めるとまで宣言し、その後すぐ、騎士団長に退団を申し出たのである。
けれどその申し出は王女によって無かったこととされた。
王女は容易に手に入らない男に益々熱を上げ、男を城から出さぬよう使用人や騎士に徹底させた。
男を城から出られないようにした王女は、使用人を使い、市井に王女と男が恋仲であるという噂を流させた。その噂は当然、男の婚約者である女の耳にも入る。王女の狙いは、婚約者の方から婚約解消させようとしたものであった。
しかし女は、微塵も男を疑うことがなかった。周囲から真相を問われれば、彼は私を裏切るような人ではない、ときっぱりと口にしたという。
王女はこれを面白くないとして、噂がだめなら事実を作ってやると意気込んだ。そんな王女が次にしたことは、卑劣にも男に媚薬を盛り、無理矢理に迫ったのである。しかし王女の思惑に気付いた男は、咄嗟に自身を剣で斬りつけ、その痛みで薬の効果を散らしながら部屋を飛び出した。
この男の行動に、とうとう王女は怒り心頭となった。
男に対し、これ以上、自分との婚約を受け入れないのならば、男の家族と、婚約者である女とその家族全員を殺してやると言った。
そんなことができるはずがないと言った男に、王女は笑った。
──私を誰だと思っているの? この国の王女よ? 私に出来ないことはないわ。
邪悪な笑みを浮かべる王女に男が身震いした瞬間、報告です、と使用人が扉を叩いた。
──王都の東側にある子爵家から火が上り、現在消火活動を行っております。ですが……家は全焼の模様です。幸いにも死者は出ませんでしたが、その家の娘が左腕に火傷を……
皆まで聞かず、男は駆け出していた。その子爵家は、女の生家だったからだ。
けれど行く手を数人の騎士に阻まれ、捕らえられ、男は口も塞がれて王女の前へと跪かされた。
──お前の決断が遅いから、こうなるのよ。
王女は笑う。高らかに、楽しそうに。
その二日後に、王女と男の婚約が発表された。
男の家族と、女と女の家族は全員が貴族籍を抜け、平民となって国を出た。
そうして男の足枷はなくなったと、また王女は笑った。これで男は自分のものだと、満足感すら得ていた。
国民の前では、まるで初恋がかなった無垢な少女のように涙を流す王女を、男は感情のなくなった眼差しで映すだけだった。
◆◆◆
それは、騎士団への入団が決まった翌日の夜のこと。
お祝いにと婚約者の家に招かれ、皆で食事をともにした後、別れ際に婚約者が自身を引き止めてきたのである。
「ねぇ、約束して。もしも私と尊いお方が同じ場面で危険な目に……えっと、そうね、例えば崖から落ちそうになっていたりしたら、絶対に尊いお方を優先して助けて」
「……そんな約束、したくはないよ」
「いいえ、ちゃんと約束してもらうわよ。あのね、私が言いたいのは、先にあちらを助けてから私を追いかけてきて、ってこと」
いたずら成功、みたいな顔で笑った婚約者は可愛いけれど、その眼差しは真剣そのものだった。これは冗談などではなく、彼女の本心なのだと聞き姿勢を正した。
「あちらを優先しなければ、あなたは騎士失格だと後ろ指をさされて……もしかしたら投獄だってされてしまうかもしれないでしょう? それでも私はあなたとともにいるわよ? でも、やっぱりあなたには、立派な騎士として認められてほしい。だから、しっかりと騎士として為すべきことをしてから、私を追いかけてきて。それで私が助かったら皆幸せで……助からなかったら……私は、あなたと一緒に死にたい」
結婚前ながら、既に騎士の妻になる決意を固めた彼女が、真っ直ぐに自分を見つめている。
思わず、ごくりと喉がなった。彼女に気圧されそうになった自分が情けなかった。
それでも、彼女に見合う男になりたい。そうなるには……彼女の例え話のような絶体絶命な状況で、二人の幸せを掴むためにはどうすればいいのか、自分も真剣に考えた。
「……こんな女は……嫌? 恐い?」
何も言わずに考え込んでしまったから、彼女を不安にさせてしまった。すぐに彼女の手を握り、そんなことはない、と首を振る。
「嫌でもないし、恐くもないよ。尊敬する。俺は騎士となったのだから、君のようにしっかりしないといけないと思った。それでも……君を死なせたくはないから、どうすればいいのか悩んでいた」
「……答えは出た?」
「どうにか足場があるところに君を着地させられないかというところまでは考えた。先に君を振り降ろしてから……とか」
俺の答えに、彼女は思わず、といった風に吹き出した。
「そうね、私もしがみつける場所とか足場とか、そういうのを探さなきゃいけないわね。私だって死にたくはないし、あなたと生きていきたいもの。あなたと生きていくために、私もそういう場面では生き延びる努力をするわ。だから……早く助けに来てね」
微笑んだ彼女は何よりも美しく、俺のものだ、と強く思った。誰にも渡さない。誰にだって、彼女だけは譲れない。そして彼女も、俺を必要としてくれていると思った。
握っていた手を離し、彼女を抱きしめる。背中に回された腕に愛おしさが募った。
「幸せにする。俺が君を、幸せにする」
「うん。私もあなたを幸せにするわ」
◆◆◆
揺れる馬車の中、思い出したのは美しく笑う婚約者の姿だった。
そうか。そうすれば良かったのか。
やはり自分には彼女が必要だったのだ。彼女との会話や彼女と過ごした時間は、何一つだって無駄にはならない。全てが俺の知恵となり、力となり、俺を突き動かしてくれる。
隣に座り、べったりと腕に絡みつく悪魔を見下ろす。
外には御者が一人と、護衛騎士が一人。
どちらもこの悪魔の手のかかった者だ。俺が走り出した時、一番に俺を止めたのは外にいる騎士だった。
御者は市井に噂を流した一人だ。しかもわざわざ彼女の家や学園の近くにいき、大声で話をしてきたと自慢気に言っていたのを聞いた。
迷いはなかった。
上手くいかなくても良い。上手くいかなかったら、一足先に訪れるあの世で、彼女を見守っていよう。遅れてやってきた彼女はきっと、私をおいていったわね、と怒りながらもこの腕の中に飛び込んできてくれるだろう。
たくさん怒られたら、たくさん謝って、たくさん愛してると言おう。そして二人で……幸せになろう。
「……愛してる」
意識せずに、言葉が溢れていた。彼女が、私も愛してる、と笑顔で応えてくれた気がした。
そのまま愛おしい存在を感じていたかったのに、耳障りな声が俺を現実に引き戻す。
「ふふふ。どうしたの、いきなり」
上機嫌な様子に虫酸が走る。しかしこれも最後かと思えば気分は最悪なところまでは落ちなかった。
「もう、やっと言ってくれたのね。こんなにも私を待たせて、悪い男なんだから。ねぇ、もう一度言って。私もあなたを愛──」
手を振りほどいた直後。
驚いたような表情をした悪魔の顔面に、渾身の力で拳を叩きつけた。鈍い音がして、悪魔が床に転がる。
「俺が愛しているのは、彼女だけだ」
衝撃音が聞こえたのか、振動が伝わったのか。外の奴らが、どうされましたか、と叫び、馬車が止まる。その瞬間に扉を蹴破って俺は飛び出した。
完全に俺に遅れを取った護衛騎士と御者の動きを封じ、繋がれていた馬を綱から外して野に放った。
歩いた先に、崖がある。
そこから飛び降りれば、俺は自由になれるだろう。
もっと早くこうすれば良かった。絶望だけしていた自分はなんと愚か者だったのか。
崖際に立ち、足元からその先を見下ろした。
一歩を踏み出す前に、また、彼女との会話が思い出された。
──私もあなたを幸せにするわ。
そうだ。俺の幸せは、君がいないとかなわない。
「愛してる……俺が、君を──」
幸せにしたかった、と言い終わる前に……
──あなたと生きていくために、私もそういう場面では生き延びる努力をするわ。
また、彼女の声が聞こえた。
そう……だった。彼女は、いつだって諦めない人だった。きっと今も、俺を待ってくれているだろう。だから俺は、出来る限りで……生きる努力を。
彼女を抱きしめて、愛していると伝えるために。
二人で、幸せになるために。
俺は──
◆◆◆
「……民が騎士と王女の銅像を建ててしまったばかりに、王様はいよいよ騎士を裁けなくなってしまったのですね」
「あれが王の中では大きかったようだ。いずれにせよ、騎士の罪を問おうとすれば、王女の悪事は確実に明るみに出る。騎士の私物化だけでなく、婚約を潰し、罪なき貴族の家を焼き、爵位を奪うまでに至った。これだけでも極刑ものの重罪であるはずなのに、それに加えて余罪もあり……何より、王がそれを黙認していたのだからな」
「事なかれ主義、と言うのですかね、あの王の場合。もしくは……不幸続きではありましたから、病にかかることなく成長した娘が可愛くて仕方なかったのかもしれないですね」
「それにしても、だ。しかし……こんなことになるまで何も出来ずにいたのは私が失敗ばかりしていたからだ。もっと早く助けてやれれば良かったのに、力及ぼずに申し訳なかった」
「いいえ、団長が謝ることはございません。団長こそ危険なお立場にありながら、お力添えいただき、ありがとうございました。彼も、助かったのは団長のおかげだと知って、涙を流して喜んでおりました」
静かに眠る彼の色濃くなった髪を撫でると、ううん、と呻いた。もうすぐ、起きるのかもしれない。
「……一つ、確認させてほしいのだが、構わないか?」
「はい。団長にならば、何でもお話ししますよ」
「銅像を建てれば良いと提案したのは……君だね?」
答えが分かった質問に、私は苦笑混じりに、はい、と答えた。
「建てる場所や予算、資金源の候補も、私が提案しました。ですが……皆が勝手に支持して、広げてくれた結果です」
「君は国に戻るだけでも危険だったろうに」
「髪の色を変えてしまえば、それほどでも。それに……彼が命をかけて逃げ出してくれたのだから、私は何が何でも彼をあの地に戻すわけにはいかなかった。彼が罪人として囚えられることのないよう……言い方は悪いですが、死人に口無し、というところを利用させてもらいました」
「捜索隊か……あの中にも君の知人が?」
「ええ、学友が何人か。彼らは国を変えたがっていましたから、そのきっかけの一つになるのなら、と。後のことは知りませんが、彼らは賢く理性のある人達です。きっと良い方向に変えてくれると思います」
大きく頷いた団長が、もう一つ、と言ったので私も、どうぞ、と返す。
「君は……いつから彼を取り戻そうと決めていたんだい?」
いつから……いつから、かぁ。
「……いつから、ということはありません」
取り戻す、とは、少し違うかもしれないけど。
私は、布団の上に出された彼の右手を、自分の左手で握った。
「彼はずっと、私のものです。私もずっと、彼のもの。私達は生まれた時からお互いが特別でした。依存と思われても仕方ありませんが……お互いの存在があるからこそ、頑張れるんです。離れていても彼が楽しくて幸せなら、何をしてでも私の元に、なんて思わなかった。けれど、彼はちっとも幸せじゃなかった。だから許せませんでした。正直、彼が馬車の中でしたことには……少しばかりスカッとしちゃいました」
「……あれのおかげで、もう二度と人前には出られなくなったそうだ」
「お互い様ですね。私も……この腕は他人には見せられませんから」
もう暑い季節だというのに、私は薄い生地の長袖を着ている。私の左腕へと目をやった団長は、少しばかり眉間に皺を寄せたが、私が首を振ると謝らないでいてくれた。
この腕の痕は、私にとって名誉の負傷なのだ。
彼もしばらくはこの腕を見て号泣して謝ってきていたが、今ではとても綺麗だと言ってくれている。
「どんなに辛く苦しい状況でも、君達がお互いを信じあってくれていたから……国は変わるきっかけを与えられた。二人には、心からの感謝と敬意を」
団長は私とベッドで眠る彼へと一礼をした。それは騎士にとって最上位の敬意を表す礼だった。
「恐れ多いです。彼が起きたら、また気を失ってしまうかも」
「それは困るな。それでは、倒れないぐらいに回復してから、また改めてとさせてもらおう」
くすくすと二人で笑っていたら、重ねていた手が握り返された。彼の方へと目をやると、少し唸った後で、ゆっくりとその両目が開く。
「……あれ、団長……?」
「ああ、休んでいたところすまないな。調子はどうだ? リハビリも順調だと聞いたが、くれぐれも無理はするんじゃないぞ」
「あー……はは、そうですね。ありがとうございます。気をつけます」
寝たままでいいという団長の言葉にまたお礼を言いながら、彼は体をずらすようにして上半身を起こす。私がクッションを背中側に挟むと、ベッドヘッドにもたれるようにして彼は団長としばらく話をした。
私達は手を握ったまま。団長もそれを微笑んで受け入れてくれていた。
会話を終えた二人は握手を交わし、また来るという言葉でしめくくり、団長は部屋を去った。これから数日……いや、数十日かけて馬を走らせ、王都へと戻るのだろう。
「お水は?」
「ほしい。ありがとう。少し緊張した」
コップに水を注いで渡すと一気に飲み干す。
「団長もわざわざこんなところにまで来てくれてありがたいな」
「本当だよね。また来ると言ってくださっていたから、その時にはお食事でもゆっくり出来ればいいけど」
「俺も何か手伝いが出来るくらいにはなりたいなぁ」
「ゆっくりね。ゆっくり、していきましょう」
彼が頷いた後、コンコンコン、とノックの音がした。返事をすると、開いたドアから義両親と両親が顔を出した。
「外でばったり会っちゃって」
「そうなの。考えることは同じみたい」
ね、と笑い合う仲の良い母同士に、後ろにいる父二人は手にたくさんの荷物を持っていた。
「調子が良いなら、外でご飯にしない? お父さん達が外用に椅子も作ったのよ」
「良いですね!」
母の提案に一番に返事をしたのは彼だ。もう前のめりになって、手で体を持ち上げようとしている。
「ありがとう。これからご飯を用意しようと思っていたから助かる。おばさんもおじさんもありがとうございます」
「好きでやっているからいいのよ。それより、今日は二人の好きなものをたくさん作ってきたの。たくさん食べてね」
「ああ、ありがとう。着替えてから行くから、先に行っててもらっていいかな?」
「ええ、ゆっくりおいで」
四人が楽しそうに話をしながら出ていって、彼はベッドサイドから床へと足をおろす。私が差し出した両手に自身の手を重ねて、ふーっと息をしてから立ち上がった。
まだ包帯が完全には取れていないけれど、少しずつは歩けるようになってきている。それでも立ち上がりと歩き出しに私も緊張してしまうのは、仕方がないことだと思う。
奇跡の回復力をみせる彼は、私の緊張を振り払ってくれるかのように確実に一歩を踏み出して、前へと進む。
いつだって腐らずに前に進もうとするその姿勢を、私はすごく尊敬している。彼はいつだって前向きなのだ。
一歩一歩進んで、クローゼットの前で止まる。その中から今日の服を私が選んで、これでいい? と聞くと、彼は頷いた後で小さく息を吐き出した。
「……幸せだな」
しみじみといった風にそんなことを言うものだから。
私は迂闊にも少し泣きそうになってしまったけれど、それを堪えて笑いながら彼の目を見つめる。
「そういうことは、もっと大きな声で言わないと。私にもちゃんと聞かせて」
「……うん。俺は……君がいてくれて、世界で一番の幸せ者だ」
歯を見せて笑った彼のその笑顔は、少年のように可愛らしくて……昔の彼を思い出し、懐かしさすら覚えた。
「私もあなたと生きられて、本当に幸せ。それに、これから私達は、もっともっと幸せになるのよね。だって……あなたは私のことを、幸せにしてくれるのでしょう?」
私の言葉に彼は一瞬目を見開いたが、すぐに強く肯定してくれる。
「ああ、俺は君を幸せにする。君も俺を幸せにしてくれ」
服を横においやって、優しく抱きしめられた。昔よりたくましくなった背中に手を回す。
色々なことがあったけれど……私達はお互いを想い合うことだけはやめなかった。たとえ言葉を交わせずとも、二人でいる未来を、絶対に諦めなかった。
「愛してる」
「うん。私も愛してる」
◆◇◆
そこは、とある小さな国の、何てことはない田舎の村。
その村には、評判の良い夫婦が住んでいた。
夫は村の警備を担い、村長が立ち上げた警備隊の隊長として、献身的に村や村民を守るために働く男だった。彼がいるから安心して暮らせると言われるほど、村民からは信頼を寄せられていた。
休みの日には子供も大人も関係なく剣を教え、子供達からは師匠と呼ばれていた。優しく強い師匠は子供達から尊敬される存在ではあったのだが、時折来る強面のおじさんには頭が上がらない様子で、子供達にいつもそれをからかわれて、皆で笑い合っていた。
一方で妻は、子供達に勉強を教えていた。彼女が教える中でも特に勉強熱心だった子供が、村民初の学園入学を果たした時は、村はちょっとしたお祭り騒ぎになった。続く翌年には二人、その翌年にも二人と、着実に村の子供達の学力を上げていった。
その頃には妻は皆から先生と呼ばれていたが、知恵を貸してほしいと村長をはじめとした大人達からも頼られるようになり、その名の通り、村の先生として慕われた。
二人は歳を重ねても仲睦まじく、お互いを尊重し、寄り添い合う姿はまさに理想の夫婦だと、その村に住む誰もが憧れる二人であった。
──これは、とある小さな国の、愛する者を諦めなかった二人が紡いだ、夫婦の物語。
めでたしめでたし。
こういう書き方は初めてでしたが、楽しかったです。
物語の余白を意識しました。足りない描写はお好きなように補完していただければ……物語には色々な受け取り方があるということで。
読んでいただき、ありがとうございました!