白雪姫
晩秋の愁いを帯びた趣は、富と栄光の象徴である鮮やかな宮殿にも爽やかな冷風を運んできた。
王妃は頬杖で顔を歪ませながら、窓外に広がる庭園を眺めていた。
「陛下、どうかなさいましたか。お疲れのご様子ですが」
振り向くと世話役が一人ベッドメイクをしていた。
王妃は習慣と化したいつもの問答をけしかけた。
「お前、私をどう思う?」
「世界一、お美しゅうございます」
世話役は手も止めずに答えた。
「そう言うと思った」
「ええ。陛下の美しさは誰もが認める事実ですから」
王妃は美しいと言われることに退屈していた。
元来プライドの高い彼女は、美しさを追求し、国一番の美女を目指した。美容に効くと言われれば、草薬、石薬、果ては下手物の類いから下り物まで、あらゆる珍品奇薬を服用した。その甲斐あってか国一番、いや世界で一番の美しさを手に入れたのである。
初めは王妃も満更ではなく、美貌を褒められることに喜びを感じていた。
宮殿中のあらゆる階級の役人に「一番美しいのはだあれ」と聞いて回った。
「もちろん王妃陛下です」
その回答は彼女の自尊心を高めると共に、権力という忌々しい存在への疑心をも生み出したのである。
――本当にそう思っているのか
彼らの目線が自分ではなく、王妃という冠に向けられているような気がしてならなかった。
自惚れに甘えるような真似だけは避けたいと、王妃は更なる美しさを追い続けた。しかし、彼女がどんなに美しくなろうと周囲の反応は変わらなかった。
「いつ見てももお美しい」
「世界一です」
王妃は彼らの言葉に苛立ちさえ覚え始めていた。
「お前、ちょっと来なさい」
「はい、何でございましょう」
世話役はエプロンのシワを伸ばしながら近づいた。
「正直に申せ。お前は私のことをどう思う」
「お美しゅうございますよ」
世話役の笑顔は、いつものそれと変わらなかった。
「もう良い。それは聞き飽きた」
「申し訳ありません」
世話役の順応さに腹を立て、王妃は窓枠に拳を下ろした。
「もう良いと言っているだろうが」
世話役は突然の叱咤に驚き、無言で土下座をするよりなかった。
王妃はつい声を荒げた自分の幼稚さを恥じた。
自分の美しさを確かめる術などないと、世話役の汚いうなじを見て改めて悟った。
「すまなかった。頭を上げなさい」
「いいえ。わたくしが何か、礼を欠く事を申したのでございましょう。本当に申し訳ありませんでした」
「いや、お前は悪く無いの」
誰も悪くはないのだ、と王妃は呟き、みっともない姿の世話役から目を外した。
外からは涼風に乗って小鳥達の無邪気な声が漂っていた。
「失礼します。おや、ご指導中でございましたか」
ノックもせず男が一人入ってきた。軍服をタイトに着こなした気取った男、内務大臣のウォルトである。世話役は彼に気付くと、頭を下げたまま退室した。
「何の用なの」
「王妃様が最近ご乱心の様だと、国王陛下が心配なされておりましてね。ま、ちょっと様子を見に参りました」
「私なら大丈夫。さっさと出ていきなさい」
「そうは見えませんがね」
彼は前髪を払いながら、右の口角を上げた。
「南西国境付近の山中にエスペホ族という種族が住んでおりましてね、ご存知でしょうか」
「だったらなに」
エスペホ族のことならば王妃も知っていた。四肢が短く小児様顔貌の特異な外見の者どもである。元は隣国ジュウトの民であったが、その容姿から魔物や疫病の疑いをかけられ、放浪した末に我が国の領土に移り住むようになった、ということらしい。
王妃にはあまり興味のない話だ。
「迷惑千万な話です。勝手に集落を作り、木々を伐採し、我が物顔で生活しているのです。近年では国財である鉄鉱や天然ガスの採掘にまで手を出しているようで、まったくやつらは」
「だから何なの。そんなことは王に申しなさい」
「ええ。ですが国王陛下は無益な争いはしない、の一点張りで」
「知らないわよそんなこと」
王妃は、ウォルトのくどくどした物言いにヒステリーを起こしかけた。
政治のことなど知らない。それどころではないのだ。
「やつらなら、王妃のお悩みが解決できるかもしれません」
ウォルトは表情も変えずに告げた。
「エスペホ族は超自然的な能力を持つ、というのもあながち嘘や風潮ではないようです。あらゆるものを不老不死にさせる力があるとか――」
三日前の第二十五連隊山岳行軍中のことである。土砂崩れにより行路を塞がれ、エスペホの住む扇状地を通るルートに変更せざるを得なかった。
そこで彼らが発見したのは美しい一人の少女であった。
小さな民家の集う小さな集落の中央広場。
その少女はガラスの棺桶の中で眠っていた。
「――その少女は白雪という名で、百九十五年前からそこで眠っている、と」
「それは、つまり、どういうこと?」
「不老不死ですよ。王妃」
ウォルトの話は王妃の尊大なる美意識に一縷の光を射した。
二世紀近くの間、腐敗せず生きたるが如くその容姿を保つことができるというのか。
王妃は痺れるような己の感情の起伏を知った。
「ウォルト。そのエスペホの民を招待しなさい。これは、絶対よ」
「かしこまりました」
ウォルトは頬を上起させ、醜い笑みを浮かべた。
翌日、三十名のエスペホが宮殿へと連行された。現在は使われていない地下礼拝堂へと収容された。
突然の暴挙に国王は戸惑い、王妃直直の命令であるという事実に耳を疑った。
まさか優しい妻がこんな非道な真似をするとは思えなかった。即刻彼らの解放を命じたが、それも叶わなかった。
この噂はすでに国中に広まっており、面妖なるエスペホ達がいなくなってくれたと活気に沸いていた。
―これで安心して山へ行ける―
―もう気味の悪いエスペホに脅えながら暮らさなくてすむ―
国民の声は宮殿まで届いていた。今更エスペホを解放などしたらどうなるか。無益な争いを好まない国王には、ただ事を見送ることしか出来なかった。
その頃、王妃はウォルトに従い地下石牢に出向いていた。
「こやつらがエスペホ族でございます」
「ほう……確かに気味の悪い。本当に人間なのか」
「さぁ。ですが言葉は通じます。お前らの長はどいつだ。前へ出でよ!」
ウォルトは棍棒で石壁を思いきり叩いた。共鳴する乾いた裂音とカビ臭い埃が石牢を包み、エスペホ達は震え上がった。王妃の眼には、それが巨大な鼠の群のように映った。
牢の奥から一人の老人が名乗りをあげた。顔立ちこそいかにも老人であるが、やはり幼児のように小さかった。奇妙な容姿は妖術使いに相応しく、王妃は不老不死の実現を確信した。
「お主が代表であるか」
「そうです。ま、単なる年長者ですがね」
「お主らエスペホ族には不老不死の力があるそうだな」
王妃の言葉に老人はへへ、と空気のような笑いを漏らした。
「まさか。我々エスペホは貴女方より短命なのです。私でさえまだ三十を越えたばかり。そんな力ありませんよ」
「嘘を申すな。ではあの白雪という少女はなんだ。二百年も美しい姿のまま、生き永らえているではないか」
「白雪姫は、すでに死んでおります」
老人は目線を床に落とし、淡々と語った。
「生きるものは皆、美しさと共に醜さも持っているものです。体内に溜まりし醜悪はいずれ外へ排さなければならない。醜悪を晒さぬかぎり生という美を保つことはできないんです。しかし白雪姫は自分の醜悪さを恥じ、隠し続けました。身体に溜まった醜悪は毒と転じ、彼女の生を奪ったのです。我々の先祖は白雪姫を哀れに思い、遺体を“石化”することで永遠の美を与えたのですよ」
「石化? それはなんだ。どんな魔法なのだ」
「魔法ではありません。いわば錬金術のようなものでして」
「何でもよい。とにかく私にその術をかけなさい」
「いや、それは無理です。。白雪姫の美は、生なる美ではありません。宝石と同じ、冷たく固い美なのです。生きた人間を石化するなど」
「うるさい! これは命令です。早速準備を。ウォルト!」
「はっ」
こうして地下石牢に石化設備一式が運び込まれた。エスペホの家から持ち出された道具類や、新たに街の技術者に設計させた機械、また必要な材料は全て宮殿の倉庫に蓄えられた。
翌週には過去の礼拝堂が研究施設宛らの姿に変えた。三十人のエスペホの民は、昼夜を問わず王妃石化の準備を強いられていた。過密な労働に体を壊した者や怠け者、そもそも石化技術を知らぬ者は排除され、総数既に十人をきっていた。更には他の囚人達も呼び出され、連日地下から人々の呻き声と機械の作動音が響いた。
宮中の者達は、王妃が何をしようとしているのか皆目わからなかった。
国王もまたその一人である。地下に入ったきり顔を見せない王妃の行動に気をやみ、ウォルトを呼び出しても「いずれわかりますよ」の一言しかない。忙しく走り回る彼の背中を見つめ、国王は何も手を出すことが出来なかった。
王妃の望みならば、例え国一つ潰したとて構わなかった。ただ、王妃の体が心配だった。
いったい何をしているのか。
際限なく投資される国財の底が見え始めた四ヶ月目のある朝。
国王のもとに痩せこけたウォルトが顔を出した。
「陛下、お見せしたいものがあります」
「おお、ようやく終わったのか。妻は、王妃はどこだ」
「ええ。ではこちらへ」
ウォルトに連れられ広間へとやってきた国王が見たものは、直立した裸男であった。全身に毛は無く石像のような灰緑色の肌を晒していた。
「この男は、何だ」
「彼は不死身の兵士です」
まだ試作の域を出てはいませんが、と付けたし、ウォルトは意気揚々と説明した。
「エスペホの石化という技術は、体内の水分・脂分を取り除き液化鉱物と置換することで死体の腐敗を防ぐことができます。それを生体に応用し、生命維持器官以外の全ての成分を石化させることに成功しました。この男は本当の意味で鋼の肉体を手にしたのです」
まさか、と呟く国王に、ウォルトは銃を手渡した。
「彼を殺してみて下さい」
「そんな、バカなことが」
「大丈夫。どうぞ撃って下さい」
国王は躊躇いがちに銃を構え、引き金をひいた。
確かに彼に当たった。
しかし男は直立のまま微動だにしなかった。
「こ、これは」
国王は石像のような男に近づき、撃たれたはずの胸板を撫でた。衝撃による数mmの窪みこそあるものの、一滴の血も流れていなかった。彼の肌は強靭さを誇るように冷たくツルツルとしていた。
「い、痛くはないのか」
「ええ。そもそも彼には感覚がありません」
「ならば死人も同然ではないか」
「兵士に必要なのは目と耳、そして強い肉体のみです。まだ動きに対応出来ないため関節部と神経に使用する材料は検討しなければなりませんが」
「こんなもの兵士と言えるか! 人間と言えるか!」
国王は石像のような男を押し倒した。
男は声もあげず抵抗も出来ず、されるがままに床に転がった。
まさに、単なる石像であった。
「こんな者が戦場で何の役に立つのだ。馬にも乗れず、剣を振り上げることすら出来ない。何が鋼の肉体だ。妻は、妻に会わせろ!」
「いえ、ですからまだ試作段階でして」
「妻はどこにいるんだ!」
国王はウォルトに掴みかかった。そこに普段の穏和な国王の表情はなかった。
「わかりましたよ。そんなにお怒りにならずとも」
ウォルトが合図をすると、七人のエスペホが棺桶を運んできた。
王妃はその中ですやすやと眠っている――ように見えた。
「あ、あぁぁ」
「これが王妃陛下の望まれた姿なのですよ」
国王はわなわなと震える手で王妃の肩を抱いた。
ウォルトの声は国王の耳には入らなかった。
いにしえの物語のように、国王は優しく口づけをした。王妃の唇は人形のように固く、まるで国王の愛を受け入れてはくれなかった。
「ご心配なさらずともまだ生きておりますよ。ただ――もう動くことも、喋ることもありませんがね」
国王は銃口をウォルトの心臓に向けた。
「へ、陛下? 私は王妃に忠誠を誓い、その命に従ったまでで――」
「ああ。お前は悪くない。悪いのは、この私だ」
二発の銃弾が宮殿に響いた。
その間七人のエスペホは、呆れた顔で二人の醜態を見つめていた。
七人は集落へ帰ると、白雪姫の眠る棺を土に埋めました。
王妃は世界一美しいまま、何年も生き続けましたとさ。
めでたしめでたし。