獣。
三ヶ月が過ぎた。
大戦斧を手に入れた優子は、自身がその武器の扱い方を知らない事実を理解し、そして理解出来るまで徹底的に使い込んだ。
地上へ帰還の可能性がある先に進むための地下に向かう階段を探すよりも、化け物を探して戦うことを優先する生活。
手に入れた斧は丈夫で、なおかつ斧でありながら優秀な斬れ味を有していた。
どれだけの膂力で化け物に叩き付けようとも歪まず、大戦斧の存在は優子の戦闘能力を倍では済まない程に爆増させた。
そしてそんな生活を続けたおかげで、さらに蒼い炎への理解も深まり、大戦斧に炎を纏わせたり、振り抜いた大戦斧から炎を飛ばしたりなんて技能も身に付けた。
この時の優子はもう、著しく人間という種族から乖離し、立派な化け物の仲間になっていた。
心からの呟きでありながら、しかし感情が宿らない声で「ころす」、「しね」、「いきなきゃ」、「かえらなきゃ」と鳴くだけの獣。
そんな悲しき獣は、ナイトが死んだ日から三ヶ月の時間を経て辿り着く。
銅級ダンジョン最下層。
いつも通り唐突に存在する四角い穴、下層へ続く階段を降りると、途中から階段が螺旋を描くように弧を描き始め、やがて円柱状にぽっかりと空いた直径十メートルほどの吹き抜けがある空間に出た。
その空間の外周、壁を伝うように階段が続いている。
優子は階段を降り切ると、降りた場所から中央を挟んで真正面に見える巨大な扉をぼんやりした瞳で眺めた。
高さ五メートルほどで幅が三メートルほどの、豪奢な意匠が見える、総銅製の扉。
明らかに、今までと違うパターン。
人間性を捨て続け、目的以外の思考が単純化している優子でも、地獄の終わりが理解出来た。
しかし優子は一切の気負いなく、ゆっくりと歩いて扉に近付く。
背負っていたナイトはもう三ヶ月の時を過ごし、グズグズに腐り、原型を留めて無い。
ナイトの身体は無理やり作った革袋の中に、無理に詰め込まれる形で背負われている。
ナイトと帰る。
家に帰る。
何があっても、何を殺しても、何を捨てても、絶対に、一緒に、家に帰る。
閉ざした心が、閉ざさされたまま、優子の中で燃え盛る。
「かえらなきゃ」
目的に必要な知識と思考だけを残して取捨選択し続けた優子の脳には、あの日から今日ここまで、どんな日々を過ごしたのかも良く覚えていない。
なにかいっぱい殺した気がする。
なにかいっぱい食べた気がする。
なにかいっぱい捨てた気がする。
なにかいっぱい燃やした気がする。
ハッキリと分かるのは、しっかりと覚えているのは、最愛の家族だけ。
殺されたナイト。生きてる父、母、妹。そこに自分を加えたみんなで、笑って暮らしていた幸せな場所。その記憶。
そこに帰る。帰らなきゃ。ナイトを連れて、ただいまって。
だから。
「…………いかなきゃ」
優子は巨大な扉を開いた。
ここまで七回の自己強化現象を果たして爆増した膂力で強引に押し開け、その先に見える眩い銅の広間へ進む。
開けた扉を潜り、最愛を背負い直し、大戦斧を引き摺り進む先は階段の広間を何倍にもした、煌びやかな闘技場だった。
白い石を掘った精緻な意匠がふんだんに使われたその場所は、ありとあらゆる所に磨き抜かれた銅の装飾が施され、どこにも存在しないはずの光源からキラキラと光を反射している。
そしてその場所の中央。
精緻な意匠も煌びやかな銅の装飾も霞むような、扉と同程度に巨大で存在感を放つ化け物が、そこに居た。
それは見上げるほどに大きい、銅色の竜。
いわゆる西洋竜と呼ばれる、数多の物語で化け物の頂点として描かれる空想。
東洋龍ではなく、西洋竜の姿形を成した、暴力の化身。
幼い優子でさえその存在は知っている。明らかに最後に相応しい存在だった。
竜は優子を見た。優子も竜を見る。
「………グァァアッ!」
竜は鳴いた。
「ころす」
獣も鳴いた。
そして、入口が音もなくゆっくりと閉まり、殺し合いが始まった。