魔導書.pdf
古くより、魔術師は自らの研究成果を本に書き留めて遺してきた。これが魔導書である。
しかし、本という媒体では、燃えたり盗まれたりと何かと不都合が生じるため、彼らは対策を講じる必要があった。本自体に魔法をかけて保護する者や、別の手段で知識を遺す者が現れるようになったのだ。しかしそれも別の問題に見舞われ、彼らは更なる改良を続けることを余儀なくされた。
そうして時は経ち、歴史の表舞台で電子の時代が幕を開けた頃、彼らの間で、ある方法が話題になり始めた。――そう、パソコンである。
〜〜〜
薄暗い部屋で、光を放つ箱と睨み合っている男がいた。彼は大魔導師ジェームズ。現代魔法界を統べる七人の魔術師のうちの一人であるが、何も知らない一般人が見ればごく普通の機械音痴のおじさんとの評を下すに違いない。
「えーーっと、魔法陣の画像を貼り付けるにはどうしたら良いんだ? まずカメラからパソコンにデータを送る……画像に名前をつけてください? 魔法陣.jpgで良いだろ。もう一枚……同じ名前はダメ? クソ、どう見ても違う画像だろうが。仕方ない、魔法陣a.jpgっと。うわ何だこれ!? ……おーい、ウィリアム! ちょっと来てくれ!」
男が扉に向かって叫ぶと、ドタドタという音がした後に扉が開いた。そこには端末を抱えた少年が立っている。
「今度はどうしたんですか、お師匠様。前みたいに小文字が入力できなくなったのならこことここのキーを……」
「いや、今回はそうじゃないんだ。これを見てくれ」
そう言って男がが指さした画面には、荒くガビガビになった魔法陣の画像が表示されていた。少年はまたか、とため息をつく。
「こんなものでは私の美しく繊細な魔法陣が表現できていないだろうが! 科学者共はどうやってこんなもので魔導書を作るつもりなんだ!?」
「科学者が魔導書を書くわけ無いじゃないですか。そんで、画質が悪いんですね。ファイル形式が悪いんですよ。こういう画像を保存する時はjpgではなくpngを……」
「クソ、さっぱりわからん。何で私がこんなことを……」
「全くですよ。一週間前までパソコンが何かも知らなかった癖に急にどうしたんですか」
少年が質問を投げかけると、男は途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。パソコンを使うのは男にとっても不本意な事態のようである。
「あのクソ忌々しいヒューストンの野郎が、この前の大魔導師会議でこう抜かしたんだよ。『次回の研究発表はオンラインで行います』っつってな。オンラインって何だって聞いたらあいつ笑いやがった! ああ思い出すだけでイライラする!」
「そりゃ笑いますよ。お師匠様くらいですよ、今時パソコンも使えない魔術師なんて……はい、設定終わりました。こんな感じでどうですか?」
画面には、先ほどとは打って変わって細部まで正確に描画された魔法陣が表示されていた。
「そう、それだよ! 私の魔法陣そのものだ! やっぱりお前は頼りになるなあ、ウィリアム!」
「はいはい、お師匠様も時間があればマニュアル読んでくださいよ」
「あんな分厚いもん読めるか! どう考えても私の魔導書より分量あるだろうが!」
はいはい、と軽く流して部屋を出る少年を尻目に、男は人差し指でもたもたとキーボードを叩くのであった。
数時間後。
「ついに、遂に出来たぞ! どうだヒューストンめ!」
「意外と早かったですね。おめでとうございます、お師匠様」
「二度と使うかこんなもん! 電源切ってやる!」
「あっ」
「あん?」
「ええと、いや、その……ちゃんと保存しましたか?」
「え?」
パソコンの電源を入れ、先ほどまで格闘していたファイルを開くと……そこには、ガビガビになった魔法陣の画像だけがポツンと表示されていた。左上には、『自動保存:数時間前』の文字が無慈悲に存在している。
「切っちゃったんですね、自動保存機能……」
「ああああああああぁぁぁ!!!」
大魔導師ジェームズが魔法界からの引退を突如表明したのは、その数日後の出来事である。