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死神は優しい  作者: Unknown
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テスト

大きな窓ガラス越しに閉められていたカーテンが、音もなくゆっくりと左右に開き始めた。

こちら側の部屋には僕も含めて10人はいるだろう。けれどいつもこの瞬間だけは何も聴こえなくなる。前方を食い入るように凝視している全員の呼吸や心臓の鼓動音が互いに聞こえてきそうな程に、部屋の中はしんと静まり返っていた。固唾を飲んで見守るとは、こういうことを言うのだろう。


この時間と雰囲気を壊す権利は誰にもない。もしかすると、誰もが同じようなことを考えているのかもしれない。真っ白な蛍光灯で照らされた眩しい部屋の中央にはベッドが横向きに備え付けられ、まるで病室のようだった。その上に男が縛り付けられている。両手首、両足首、胸、腰。ビジネス用のベルトとよく似た漆黒のバンドで各部を固定されたその男は、身動き一つせずにじっと天井を見つめていた。


一つ前の列にいた2人が窓ガラスに手を添え、男に向けて何かを伝えようとしている。でもその言葉は僕達の列には何も聴こえてこない。彼女達と我々の列の間は同じようなガラスの壁によって遮られている。そして、仮に彼女達がこちらを振り返ったとしても見えるのは黒い壁だけで、我々の姿は絶対に見えない仕組みになっている。


ベッド、というよりも見た目は十字架に近いかもしれない。寝心地は最悪だろう。四肢を完全に拘束されたこの男は、これから州の法律に則って処刑されようとしている。第一級殺人罪。約7年前にこの男によって殺された3人の、恐らくは善良だったであろう3名の仇討ちの儀式が執り行われる。今我々がいるのは、その殺人鬼の最期を見届けるために用意された部屋だった。


実はこの部屋にはもう一つ、列がある。僕のすぐ真後ろだ。どんな表情を浮かべ、何を思ってこの瞬間に立ち会っているのかはわからない。確かめてみたい気持ちがあったとして振り返っても、そこには黒い壁しかないし、取材の依頼を受けてくれるケースは殆どない。

つまりこの部屋は、最前列から「加害者遺族」「報道関係者」「被害者遺族」の順番で並んでおり、列は最奥に進む毎に階段一段分くらい高くなっていて、間は分厚いマジックミラーで仕切られている。そして、最後列にいる人だけが全ての立会人の様子を伺うことができる。


死刑は合法的な殺人だ。人殺しが法律によって認められている。各国では死刑廃止の潮流が勢いを増しているというけれど、この国の世界で二番目くらいに死刑に熱心で、この州だけでも数百人の死刑囚が今も己の順番を待っている。

そして僕は、個人的にこの国アメリカが「世界で最も死刑制度にオープンだ」と思っている。罪人を殺すことだけに熱心なわけではない。確定囚の罪状は誰でもインターネット上で閲覧することができるし、裁判の様子も録画されている。死刑の判決が下された瞬間の被告や遺族のリアクションまで記録されている。


刑務所内でのルールや待遇も厳格かつ人権を尊重されるように定められていて、一般市民は知ろうと思えばそれらを詳しく知ることもできる。面会も差し入れも、恐らくは世界で一番自由だろう。テレビ局の記者と死刑囚のインタビュー番組が組まれ、実際に放送されたこともある。刑の執行日は予め時刻まで定められており、内外に告知される。当人もその家族も、被害者の遺族も報道関係者もそれを知っている。

6メートルほど先で横たわって縛りつけられているこの男も、長い年月をかけて今日この時刻を迎えたはずだ。


裁判で死刑が確定すると、この国ではその身柄は刑務所に移送される。死刑囚は「定められた方法で死ぬこと」が刑罰なので、労役が科されることはない。そして一度収監されると、次にそこから出られるのは大抵が「死ぬ1ヶ月前」だ。それまでは刑務所内でのある程度の自由な生活が保証されている。

そこに批判が集まることも珍しくはない。人を殺さず死刑になるのはフィリピンや中国で麻薬に関する犯罪に加担した場合か、冤罪のみ。世界中の死刑囚の殆どは人を殺している。自身の大切な人は最期の言葉すら残す間もなく無残に殺されたのに、犯人は刑務所内で同じような立場の囚人達と雑談やトランプを数年に渡って楽しむことができる。家族との面会や通話もお互いが望めばほぼ叶うし、笑って話をすることもできる。

特に世間を騒がせた連続殺人犯の処刑が近付くと、死刑制度についてネット上や街中で賛否両論が飛び交う。処刑直前には「死刑反対」のプラカードを掲げた団体が施設周辺を取り囲み、デモを行うこともあった。

ある強盗殺人事件の被害者遺族の一人が、こう言ったことがあった。


「何度か手紙のやり取りをしているうちに、彼が死ぬ前に会ってみたくなりました。愛する妻の命を奪った男と直接話してみたくなったのです。理由は自分でもよくわかりません。」


彼とはもちろん加害者のことだ。こんなことは日本では絶対に叶わないだろう。加害者と被害者遺族が直接会って話せる機会はなんて裁判中くらいしかなかったはずだ。ここまで死刑制度にオープンな国を僕は他に知らない。


無音の空間に、ノイズが流れてくる。

マイクがオンになった合図。死刑囚には死ぬ直前に最期の言葉を言い遺す時間が与えられている。彼ら死刑囚には「予め2分ほどで話すように」と言われているので、刑務官に制止されるほどに長々と演説をする者は殆どいなかった。

彼も例外ではなかった。天井へ向けていた目線をこちら側へとゆっくりと傾け、ジッとその先を見つめ、そして笑った。頬が引きつっているように見えた。もしかしたら無理矢理笑っているのかもしれない。その目線の先は僕のいる列の一段下、彼の家族のいる場所へ向けられていた。

刑が執行される部屋から見えているのは最前列のみ。彼からは自身の家族の姿しか見えていない。しかし、彼を含めて「死刑」というものに携わるか、言葉の意味を少しでも調べたことのある者達は、その後ろに誰がいるかを知っている。


「家族に、愛している、と。そして、私のせいで苦しませてしまった方々に、本当に申し訳なかったと思っている。」


最初の言葉は家族に向けて、そして後に続く言葉は僕の後ろの方へ向けて、彼は静かに話した。そして目線を近くに立っていた刑務官に送り、小さく二度頷いた。僕はそのフレーズを素早く手元のメモに書き殴った。書き終わるとほぼ同時に、天井のスピーカーからのノイズは聞こえなくなった。

執行室の隅。薄い青緑の壁際。恐らく彼からは見えていないであろう位置に、一人だけスーツ姿の男性が立っている。僕は何度か顔を合わせたことがある。高校の体育教師と校長を足して割り、20年くらい老化させたような風貌のこの人が刑務所の所長であり、この空間の責任者でもあった。



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