僕は愛を否定する悪役令嬢に愛を教えたい
僕――エドワードには好きな人がいます。
その人を今日、奪います。
あの人の心を僕が独り占めにします!
ほんの数年前、ひとめぼれした。
一目見たときに女神だと思った。
好きな人の名前はローゼマリー・サーマセット。
僕より4つ年上の女の子。
その人は王太子である僕の兄の婚約者。
彼女は王妃になるためにいつも努力をしていて、いつも美しかった。
この気持ちは決して叶わない恋心。
でも、側で眺めることは許されるはず。
まだ子供な僕が抱き付いても許されるはず。
頭を撫でてもらうことをねだるのも許されるはず。
仕方なそうに、でも、嬉しそうに笑う彼女が見たかった。
ずるい僕の心を知ったら嫌われてしまう。
だから、僕は恋心に蓋をした。
だから、無邪気な義弟の仮面を被った。
そうしていれば、いつまでも彼女の素敵な笑顔が見れると思っていた。
でも、ある日から彼女の表情に影を差すことが増えてきた。
これまでもどこか影のある表情をしていることがあった。
それはお義姉様の側で浮いている魔女のせいだと思っていた。
その魔女は僕とお義姉様以外には見えていないみたいで変な笑みを浮かべていつも浮いていた。
でも、よく見ていると魔女のせいではなかった。
彼女がどこか親し気に魔女と隠れて話しているのを見て、悪い魔女ではないと気付いた。
僕を子供だと彼女が油断しているから偶然気付くことが出来た。
その日以外にも魔女が楽しそうにお義姉様をからかう声が聞こえて、お義姉様は仕方なそうに聞き流していた。でも、どこか楽しそうだった。
魔女のせいで彼女の顔を曇らせているのではないなら、原因は何か気になった。
彼女にはいつも笑っていて欲しかった。
使用人達に彼女が不安に思っていることは何かと聞いてみることにした。
すると、ほとんどの人が何かをごまかすような笑いをして、完璧な王妃候補の彼女が不安に思うことは無いと答えた。
僕は納得できなかった。
よく考えると一年前に“聖女”がやってきてから不安そうな顔が増えた。
毎日、僕は授業の時以外に王城を歩き回って考えた。
そこで聞こえてきたメイド達の噂。
ローゼマリーは王妃になるために悪いことをしている。
未来の王妃だからと傍若無人な振る舞いを学院でしている。
ローゼマリーは尊い“聖女”を蔑ろにしている。
狐目をしているは人を見下すために生まれたからだ。
あの人を悪く言う言葉が聞こえてきて腹が立った。
だから、そのことを婚約者であるお兄様に伝えようと思って部屋に向かった。
でも、お兄様の部屋から聞こえてきたのは“聖女”の楽しそうな声だった。
こっそり扉の隙間から覗くと“聖女”と楽しそうにおしゃべりしているお兄様が見えた。
この頃、お兄様とローゼマリーお義姉様が楽しく談笑している姿は見たことがない。
いや、思い返せば今みたいに楽しそうにしている2人を見たことがない。
僕は気付いた。
お兄様もお義姉様も愛し合っていなかった……。
どうしたらいいのか分からなくて、うわの空で自分の部屋に戻ろうとすると、扉側で待機している室内のメイド達のつぶやきが聞こえた。
「……未来の王妃様になるのはやっぱり“聖女”様よね」
「ええ、人を見下すような目を“聖女”様はしていないものね」
あれが王妃?
お義姉様でなくて、“聖女”が王妃になる?
そうなったら僕が側にいられなくなる!
全てを振り払うように自分の部屋に走って戻る。
人払いをして一人で部屋の椅子に座って呆然としていた。
努力家で、とても美しいお義姉様の側にいられなくなる未来を想像して絶望した。
涙をこらえる僕の頭に浮かぶのは、お義姉様が王妃教育を頑張っている姿。
先生達に怒られ、フラフラになりながらも歯を食いしばって色んなことを身に着けようと頑張るお義姉様。
小声で“王妃になるのだから頑張らないと”と自分を鼓舞しているお姉様。
まだ成人していないのに頭を痛めながら大人の貴族と政治的なやり取りをしているお義姉様。
あの鋭い目だって、全てを見通しているかのように知的で美しいのに、それを悪く言う。
お義姉様が人を見下しているところなんて僕は見たことがない。
いつも身分に応じて公平に接していた。
なんでみんながお姉様を悪く言うのかが分からない。
お兄様が愛していないのかが分からない。
「僕だったら絶対に離さないのに……」
思わず零れた自分のつぶやきにハッとした。
「そうだ……。僕が王になればいいんだ」
お義姉様は王妃になるために頑張っている。
本当かどうかは分からないけど、お兄様と結婚するためじゃないはず。
だったら、僕が王になればお姉様は僕のものになる。
「お兄様がいらないって言うなら僕がもらえばいいんだ」
そう決心した僕はまず情報を集めた。
噂好きのメイド達はいっぱいいる。彼女達に聞いて回って、お兄様とお義姉様の状況を調べた。僕が幼い子供だからみんな簡単に話してくれる。
すると、どうやらお兄様は“聖女”をエスコートしてお義姉様との接触を最低限にしているらしいことと、お義姉様がそのことを気にしていないということが分かった。
やっぱり、2人は愛し合っていなかった。義務的に婚約者として接していた。
また、“聖女”とお兄様の仲をフランチェ公爵令嬢が取り持っているらしい。彼女は“聖女”の義理の姉で、お義姉様のライバル。
フランチェ公爵はお義姉様の家―――サーマセット公爵家が力を増やすことを嫌っている。
つまり、フランチェ公爵家の者がお義姉様を次期王妃の座から引きずり降ろそうとしていることが見えてきた。
お義姉様のほうは予想外にも家族との仲が悪いらしい。
でも、お義姉様を尊敬している貴族もいることも分かった。
これらの情報を集めている間に2年と少し経った。
そのおかげでずっと知らなかった、知ろうとしなかった政治のことが見えてきた。
これは、この間に僕の勉強の時間を増やしたおかげでもある。
僕は勉強が嫌いだった。
王になるのはお兄様で、僕が勉強する必要はないと思ってもいた。
だけど、お義姉様を手に入れる決めたときから、彼女の隣に相応しい男になるために頑張ることにした。
お義姉様のように、怒られても歯を食いしばって努力した。
遊ぶ時間を無くして、睡眠時間も削って頑張った。
勉強すればするほど、お義姉様の努力がとんでもなく苦しいもので、凄いものだと気付いた。
お義姉様のように大人の貴族に認められるということがどれだけ凄いのか分かった。
だから、もっと頑張ろうと思うことが出来ている。
その日々の中で、癒しの時間は数か月に一度のお義姉様と会える王宮でのお茶会。
将来は僕とも家族になるのだからとお義姉様が忙しい時間を割いて開いてくれている。
お義姉様とお兄様の本当の関係を知ってから、僕とのお茶会のときのお義姉様の表情がいつもより穏やかであると気付いた。
それがとても嬉しかった。
僕の前ではお義姉様が穏やかに過ごせると思ってもらえていることに優越感を感じる。
いつもはちょっとわざとらしく子供っぽく見せてお義姉様を笑わせていた。
僕を義弟して優しく接してくれるのが、嬉しくて、ちょっと悲しかった。
このお茶会は僕にとって憩いの場であると同時に貴重な情報収集の場。
浮いている魔女は僕に見えないと思っているため、お義姉様に関する情報をいっぱいしゃべっているのだ。
お兄様の不誠実さ。
お義姉様の王妃になるための工作。
この国に必要な政策。
お義姉様の家族について愚痴。
お義姉様も僕に気付かれていないと思っているので、僕との会話に紛れて魔女に相槌を打っている。
笑顔でお義姉様とお茶をしながら、今日も貴重な情報を得ていく。
だから、気付いた。
お義姉様は愛を否定している。
お義姉様は愛を知らない。
知ろうとしていない。
僕がこんなにも愛しているのにも気付いていない。
そんなお義姉様の美しい瞳がどこか寂し気に見える。
……僕の勝手な妄想かもしれない。
でも、愛を知ったお義姉様の瞳はもっと輝くように美しくなると思う。
早く僕の愛を知ってもらいたい。
そして、今日のお茶会で僕はチャンスを掴んだ。
どうやらお兄様が婚約破棄をしようとしていて、それをお義姉様は父上と母上の協力のもとに阻止しようとしているらしい。
僕と仲良くしているのも、婚約を破棄させないための作戦の一つらしい。
そのことは少し寂しい気持ちになったけれど、お義姉様は王妃になるためにしているのであって、お兄様と結婚するためにやってることではないことに安堵した。
お義姉様には悪いけど、これを僕が利用させてもらう。
きっと今僕が愛を伝えても聞き入れてもらえない。
だから、ずっと愛を囁ける立場を僕が得る必要がある。
せっかくお兄様が手放すというのに、そのチャンスを逃すわけにはいかない。
お兄様はお義姉様を手放し、王位さえも手放す隙を僕の前に晒した。
お義姉様とのお茶を楽しみながら、これからやるべきことをシミュレートする。
お兄様もより僕の方が教師達の評価が高い。
王である父上はお義姉様の政治手腕を認めている。
他の重役を持つ貴族にも認めている者いる。
母上がお義姉様をどう思っているかわからないけど、僕のおねだりは無礙にしない。
お兄様は貴族の勢力争いに振り回されていることに気付いていない。
“聖女”の後ろ盾はほぼフランチェ公爵家だけ。
そして、僕もこの国の正統な王子。
どう考えても僕の勝ちだ。
お茶の席から笑顔で去っていくお義姉様の背中を見送る。
僕はきっと意地悪な笑みを浮かべているだろう。
もうすぐあの綺麗で美しい女性が僕だけのものになる。
そう思うと口の端が吊がるのが止まらない。
「もうすぐですよ……」
あの柔らかなブロンドの髪も、知的で燃える様に赤い瞳も、細くも力を感じる指も、貴族然とした気品のある身体も、僕のものだ。
姿だけではない。
気高く、でも、少し寂しそうな心も僕のものだ。
この僕の中にある熱く全てを溶かしてしまいそうな気持ちを彼女にも教えてあげたい。
胸に渦巻く暴れ出しそうな熱い愛を彼女の胸の中に灯したい。
「愛をおしえてあげますね……ローゼマリー」
それから僕はまずお義姉様の動きに注視した。
お義姉様が父上に話した後に僕が話に行くというように、彼女に気付かれないように行動していく。
お義姉様はお兄様の婚約破棄の宣言を利用して、学院に通う貴族子息の支持を集める作戦なので、それは邪魔したくない。
それと別に“聖女”にも接触した。
彼女をお兄様が囲うようにしているので、僕はあまり話したことが無かった。
お兄様が彼女を伴って王城にいるときに、お兄様だけ母上に学園での成績のことで呼び出されるようにして、隙を作った。
彼女と話してみた感想は、つまらない女性という印象だった。
多くの人が言うように可愛らしい女性ではあるけど、話がつまらない。
この国を良くするためには、と色々語っていたが、どれも理想論で欲深い貴族達のことを全く考慮していない。最も欲深い義父が近くにいるのに気付いていない。
それに僕を子供としか見ていない。
お義姉様なら僕がまだ幼いことを意識しながらも王族として敬意をもって接してくれる。僕が王族としての教育をきちんと受けている前提で話してくれる。
それを“聖女”からは感じない。どこか馬鹿にされているような気がしてイライラする。
それに言葉の端々にフランチェ公爵令嬢の影を感じた。
彼女を操っているのがフランチェ公爵令嬢だと強く感じる。
自分で考えて話しているようで彼女に誘導されたものだ。
まるで人形と話しているような気持ちになる。
お兄様がこんな女性のどこを気に入ったのか全く分からなかった。
教養も気品もお義姉様に劣る。
あるのは不思議な人を癒す力だけ。
政治でなく医療機関に回すべき人材を王妃にしようとしている人達がいることに呆れる。
これは王太子であるお兄様のせいでもあるので、お兄様に対する失望が増していく。
少しばかりあったお兄様への罪悪感が無くなっていく。
こんな愚兄を王にしてはいけない。
……お義姉様の隣に相応しくない。
色々と再確認できたことで、僕も思いっきり暗躍できる。
お兄様の周りの人達は退場してもらいたい。
でも、もしかするお義姉様が使いたい人間もいるかもしれないから、お兄様の王太子であることを破棄させることだけにしよう。
それから、秘密裏に再び父上と会談する場をなんとか得るとかできた。
宰相も交えて僕の意見を聞いてもらうことになった。
僕が望むのはローゼマリーとの婚姻。
そのために必要なお兄様との婚約破棄と王太子任命の破棄をお願いした。
父上は少しお兄様に甘いところがあって僕の意見に渋い顔をしていた。
それに対して宰相はお兄様よりお義姉様のほうを重視しているため、僕の意見に肯定的だった。
「弟のお前から見てもアルフレットが王位を継ぐことが相応しくないというか?」
どこか疲れをにじませた声の父上の問いに、僕は強く頷く。
父上の口からそんな問いが出る時点で、父上もどこかしらにお兄様の能力に不信感を抱いている証拠だ。
宰相の目を見ればそれを肯定していた。
がっくりと肩を落とした父上が、後は僕に任せると小さくつぶやいた。
前準備は整った。
そこからは宰相と仔細を詰めていく。
発表のタイミングを今後の権力バランスに余計な影響を与えないように、宰相の知恵を借りて進めていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結果は大成功だった。
崩れ落ちて唖然と見上げる愚兄を見て胸のすく気持ちになった。
でも、緊張でお義姉様というときに少し舌足らずになってしまって恥ずかしかった。心の中では何度もローズマリーと呼んでいたのでそれが出そうで我慢していたからだ。
今は、茶番の舞台となった卒業パーティーの会場からローゼマリーの手を引いて、馬車に向かっている。父上に報告するために王城へ向かう予定だ。
魔女が僕を腹黒だって本当のことをローズマリーにいうものだから黙ってもらった。
なんとなくだけどそうできる気がしていたので、成功してホッとした。
愛なんていらないと言ってるローゼマリーが顔を赤くしながら僕に手を引かれている。
きっと僕も顔が赤くなっている。
「あの、エドワード様……」
「エドって呼んでください」
彼女にはもっと親しく呼んで欲しくて、愛称で呼ぶようにお願いする。
「えっと……エド様……」
少し恥ずかしそうに呼んでくれた僕の愛称の響きに、心臓が跳ねるように喜んだ。
「あ、あの、僕も、マ、マリーって呼んでもいいですか?」
だから、彼女を愛称で呼びたい気持ちが抑えられなくなった。
彼女は少しキョトンとした表情をした後、はにかんで了承してくれた。
「マ、マリー……」
「はい、エド様」
なんてことない短く愛称を呼び合う会話だけで、今すぐ夜空に飛んでしまいたいくらいにドキドキが強くなっていく。
そんな気持ちを抑えながら僕は言葉を続ける。
「マ、マリーは何か聞きたいことがあるの?」
さっき僕の名前を呼んだのだから当然のことだけど、声を上ずらせながら僕は聞く。
「えぇ、そうですね……お聞きしたいことはたくさんありますが、まずは……」
彼女が歩みを止めたため、僕も足を止めて振り返る。
彼女はまっすぐとした真剣な目で私を見ていた。
「私を騙していましたわね?」
その問いにひゅっと小さく息を飲む。
さっきまで浮かれていた気持ちが一気に冷めていく。
嫌だ!
嫌われたくない!
泣きそうになっている僕の頬に彼女は少し屈んで優しく手を添える。
「ふふ、責めているわけではありません」
優しく美しい声で僕に語っていく。
彼女は僕が王族らしく賢く成長したことが嬉しいと伝えてくる。
知恵を巡らして人を上手く使う手腕をよく学んだと褒めてくれた。
「でも、悔しいとも思っていますわ。この茶番劇の勝者をエド様に取られてしまいましたわ」
彼女の残念そうな表情に申し訳なく思う。
効果的なタイミングで愚兄の廃嫡と、僕との婚約を知らしめるために彼女の策を利用したのだから罪悪感がある。
「まぁ、それでも王妃になれるのなら私は気にしませんわ」
悪戯っぽく可愛らしく笑う彼女に見惚れて動けない。
冷えていた心があっという間に熱くなっていく。
「……でも、もう一つお聞きしたいのは、王妃に愛はいるのですか?」
彼女はどこか困ったような、痛さを堪えるような顔で首を傾げる。
「愛は人を惑わせ、判断を鈍らせますわ」
彼女の瞳には諦めと、寂しさが浮かんでいる。
そんな彼女を引きよせて僕は抱きしめる。
身長が僕の方が低いので彼女に膝をつかせてしまうけれど、彼女の頭を胸に抱くように抱きしめる。
「マリー、確かに愛が惑わせることがあるけど、僕はマリーを愛したから頑張れたんだよ」
マリーを手に入れるために辛い勉強も頑張った。
「愛があるから僕は強くなれるんだ」
マリーに僕の愛が伝わるように優しくも強く抱きしめる。
「愛って悪い面もあるけど、良い面もあることをマリーにも知ってもらいたんだよ。……愛しているよ、マリー」
胸元で小さく震え、嗚咽を堪えているマリーの頭を撫でる。
「これからずっと僕はマリーに愛を伝えるよ。だから、少しずつ愛を知って欲しい」
彼女が僕の背に手を回して抱き付いてくる。
彼女の心が僕に傾いたのを感じる。
絶対に彼女の心を離さないと決意する。
彼女の全てを僕に依存させたい。
僕だけを愛する人にしたい。
そんなちょっと黒い感情が溢れてくる。
だけど、僕はマリーを愛するのをヤメない。
今も僕らの頭上で騒いでいる魔女に僕は笑いかける。
貴女にだって彼女の心の隅も与えるつもりがないと、教えてあげる様に嗤ってあげた。
読んでくださり誠にありがとうございます!