3年前・悪夢の夕食会<レオ視点>
ついに恐れていた日がやってきてしまった。ずっと覚悟を決めていたはずなのに、切なさを閉じ込めたようなナタリーの表情を見た時、俺は自分を殺したくなった。
少しばかり人より魔法が使えるからと調子に乗っていたくせに、このザマだ。大事な女の子の笑顔1つ、守れやしない。
(きっとこれからもっと傷つけるんだろうな……)
考えるだけで食堂へ向かう足取りが重くなる。
(俺が弱気でどうする)
気持ちを切り替えるように息を吐くと、どうか、彼女の感じる痛みが少しでも和らぐようにと、心の中で魔法をかけた。ちょうどそこで、声がかかる。
「レオ、お前も向かうところか」
「あ、ジョゼフ。部屋にいなかったからもう行ったのかと思ってた」
そう言ってから、ジョゼフの隣にいる彼女の存在に気づく。内心で、げ。と顔を歪めた。表情には出さなかった俺を褒めて欲しい。
「ユリと話をしていた。彼女との話は尽きない。聞いていて、感心することばかりだ」
「ジョゼフってば、私はそんな大した話はしてないよ」
くすくす笑う彼女に、ジョゼフが笑みを向ける。
(やめろ。その顔は、今までナタリーに向けてたものだろう)
焦げ茶色の長い髪を揺らし、笑うユリという女の子。彼女はこの魔法学園を、いやこの国を驚きと期待で包み込ませた、この世界唯一の光魔法の持ち主だ。
ユリにはジョゼフの記憶喪失のことを話し、協力を頼んでいる。だから、2人が一緒にいることは何ら問題はない。はずだけど、俺は近頃2人の様子に底知れぬ不安を抱き始めていた。
(杞憂であればいい、けど)
考え込んでいた俺に、ユリと話していたらしいジョゼフが思い出したように声を上げる。
「そうだ。今日はエディの他に、お前の友人である公爵令嬢もいるんだったな」
「あー……うん」
お前の婚約者だよ、と心の中で突っ込む。言ったところで記憶はないので暖簾に腕押しだ。
「ユリも同席して構わないか?」
「……は?」
「男ばかりでは令嬢も居た堪れないだろう。ちょうどエディにユリを紹介したいと思っていた。せっかくだし、どうだろう?」
「私も、お邪魔じゃなければ同席できると嬉しいな」
「あー……」
思わず、言い淀む。本当は、ユリには席を外してもらいたい。記憶喪失のジョゼフだけでじゅうぶん彼女は傷ついているというのに、隣に別の女の子を連れているというのはどうだろう。少し前まで、そこにいたのは……その場所に立つのが許されたのは、彼女だけだったというのに。
「レオ?」
「うーん、いきなり光魔法の使い手がいたら緊張しちゃわない?」
「そんなことはないと思うが。僕も最初に顔を合わせる時は身構えたが、ユリは気さくな人柄だ。少し話せば緊張も解けるだろう」
説得の言葉を頭の中で並べるけど、恐らくどれもこの男を頷かせられないだろう。
(クソ頑固だからな、こいつ。聞いてるくせに、自分の中じゃ決定事項なんだ。そういうところ、オウサマの素質があるよ。まったく)
悩んでいるうちに、食堂へ到着する。仕方なく俺は、ユリに目配せをした。ここにいるのは失われた記憶の女の子であると、聡明な彼女であれば察するだろう。想定通り、ユリは切なげに目を伏せて頷いた。
(頼むから、空気を読んでくれよ……?)
そんなことを願いながら席に向かうと、すでにエディとナタリーは2人で座って待っていた。顔を上げたナタリーの目元を見て、心臓が痛む。必死になれない化粧で隠したんだろうけど、泣いた跡が、見て取れた。
(どうして、1人で泣くんだよ)
なんて、泣かせたのは俺だ。
内心を悟られないよう、努めて明るい声をあげる。
「お待たせ、2人とも。お腹すいたでしょ」
「ううん、僕たちもさっき来たところ。久しぶり、ジョゼフ。えっと、そちらの女性は?」
「ああ、久しぶりだなエディ。会えて嬉しい。彼女は、ユリという。前に話しただろう? 光魔法の使い手だ」
「ああ! あなたが!」
「初めまして、エディさん。ユリと言います。今日は同席させてもらうことになったの。よろしくね」
「はい!」
手を差し出すユリに、エディが慌ててローブで両手を拭って、緊張した面持ちで握手を交わした。
「エディと一緒にいる方が、レオの友人か?」
ジョゼフに言葉に、一瞬場の空気が凍りつく。戸惑って俺に助けを求めるエディと、黙ったままのナタリー。ジョゼフも空気がおかしいと気づいたのか、不審そうに眉をひそめた。
その時、ナタリーが一歩前に出た。
そしておどろくほどきれいなカーテシーとともに、柔らかく微笑む。
「ジョゼフ殿下。私は、ナタリー・シャテルローと申します。どうかお気軽にナタリーとお呼びください」
「シャテルロー公爵に娘がいたのだな。無知ですまない。レオから話は聞いている。こちらこそよろしく頼む」
「私もご挨拶させてもらってもいいですか?」
2人の間に割り込むように、ユリがひょこっと顔を出す。
「ああ、構わない」
そう微笑んだジョゼフの表情に、ナタリーがハッと息を飲んだのがわかった。その姿に、やっぱり彼女の同席を許すんじゃなかったと後悔する。
「ナタリー様、私はユリといいます。学園では、レオやジョゼフと仲良くしてもらってるの。色々と事情も聞いてる。どうか、仲良くしてね」
「あ……そんな、様などつけないでください」
「じゃあ、あなたも敬語はやめて、もっと気楽に接してね。光魔法のせいか、遠巻きに見られがちなの。もっとフランクに接してほしいんだけど、なかなかそういう人がいなくて」
「見てくれが可憐なだけで、中身はおてんば娘だというのにな」
「あ、ジョゼフってばひどい」
「事実だろう」
楽しそうに笑い合う2人。残された俺たちの空気を読めと言いたくなる。
こっそり息をついて、2人の間を遮った。
「ほらほら。話もいいけど、まずはご飯にしない?」
「そうだ、ご飯を食べながら入学式に魔法についても聞かせてよ」
エディが空気を察して話題を変える。目配せで例を伝えて、俺は不安の渦巻く夕食会に、胃が痛くなる気持ちがしていた。
++++
(どこにいったんだ、あの子は……)
夕食会を終えてしばらくして、俺はナタリーの部屋を訪ねていた。とはいえ、女子寮には入れないので、女子寮監に彼女を呼ぶよう頼んだのだが、どうやら不在らしかった。
慣れない学園で、彼女が無闇矢鱈と出歩くとは思えない。魔法通信に出てくれたら手軽なのに、こういう時に限ってナタリーは通信に出てくれなかった。
(俺って、こういう汗水垂らして女の子を探すようなキャラじゃないんだけどな)
でもどこかでまた、あの子が1人で泣いてるのかと思うとじっとしているわけにはいかなかった。
(仕方ない、こういうのロマンチックじゃないけど)
感知魔法を使って、ナタリーの魔法の気配を探る。すると、思ったより近くに彼女の気配はあった。そこは、学園寮の裏庭にある魔法の泉。夜は不気味だとあまり人は寄り付かない。確かに、1人で泣くにはうってつけだ。
夕食会で見た涙の跡を思い出すと、気づけば走っていた。頼むから、1人で泣かないでほしい。その悲しさを、俺が少しでも受け取るから。
息を切らして魔法の泉に行くと、彼女と会う前に少し息を整える。焦ってきたと思われたくないなんて、どこまでかっこつけなんだ。
「……ナタリー」
噴水の枠に腰掛ける彼女へ声をかける。びくりと肩を揺らしたナタリーが、驚いた様子で俺を見た。
「レオ? どうして……」
「ここで、君がすすり泣く声が聞こえてね」
「嘘!」
「うん、嘘。感知魔法使ったんだ」
冗談ぽく言いながら隣に腰かけると、拗ねたように睨まれた。
「からかったのね」
「あながち嘘じゃないだろ? 化粧ごときで、俺を騙せると思った?」
「……そこは気づいてても、気づかないふりをするのが紳士よ」
「悪いな、俺は紳士じゃないんだ」
「そういえばそうだったわ」
互いに小さく笑い、沈黙が落ちる。
あたりにはゆらゆらと魔力のかけらが舞っている。この噴水の水は魔力を多く含んでいて、舞い上がる水から魔力のかけらが飛び散る仕組みになっていた。
それを眺めながら、言葉を探す。
いろんな言葉が頭を駆け巡って、それらの中から答えを1つ見つけると、俺は口を開いた。