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第一章 蒼山経 (3)

朱が鏤められ、ドンと天に昇った。


墨を溶かしたような広渺とした暗い昊に鮮やかな大輪の花が咲き誇る。


秋菊のごとき花弁は散り散りになって五月雨のごとく降り注ぎ、チチッと焼ける音がして旗旒の端をこがし双頭の龍が荼毘にふされていく。


のみならず、門楼は赤く焼け、家々をやきつくし、くゆる黒煙にまじって鼻を衝く異臭がたちこめ、目の前が熱く淀む。


それが蛇のごとくうねり、退路を悉く包囲していった。


「チッ」


男は袖口で口もとをおおうもコホッと咳き込み、うちひしがれるように力なく膝を折った。


「来るな!」


男はわななく。


「この通り、ごしょうだ。命だけは…………」


手のひらをこすりあわせる。


命ごいをする言葉を聞いてなお、それは身動ぎもせずつめよる。


『我々ハ、ヒトツノ例外モナク、スベテノ命ヲカル』


「…………に、人間じゃ…………ない…………?」


男の脳裏にひとつの疑問がうかんだ。


ーーーーならばコレはなんなのか、と。


まるで人の形をとった傀儡。

色は黒く目鼻などはない。

口のような穴がぽっかりと丸くあいている。

その手には血糊のしたたる白刃がしかと握られていた。


『ヒトツノ例外モナク…………』


銀色に耀く白刃を振りかざすその手には一切の迷いなど微塵も感じさせなかった。


心を揺り動かされるような感情の機微すらもなく。


あるとすれば目の前の男の命を狩ること、それだけだ。


白刃がふりおろされる。


ビュンと風斬り音がした。


「ヒィィぃぃーーーー」


その断末魔の絶叫は天地に轟いた。





「待たせたな」


ゾッとするほど凄艶なる一声を放つと青年は荘厳なる椅子に座す。


すると次々に老獪なる重鎮たちが敷物の上に座していった。


膝やら腰をかばいつつのろのろ、やっとのことで一礼して顔をあげる。

その青年の麗しの咫尺を拝するや、ほぅとため息がもれた。


「「主上」」


二十代そこそことおぼしき青年は、金糸の縫い取りのある黒衣をまとい、黒き髪の頭上には金の玉響の冠をかぶる。

その姿は女性と見紛う超絶なる美丈夫で、面差しは柔らかくなよやかでありながら、きりりと整った眉が武人としての顔をのぞかせていた。


「皆そろっておるな」


スゥーーと黒瞳を細めると謁見の間集まった顔ぶれを一つ一つ確かめていく。


みな色こそ違えど同じ型の感服を着こんでいる。


青年が見回していくうち、ぽっかりあいた空席に目を止め、わずかに右眉をあげた。


「伯陽はどうした、おらぬではないか」


しん、として重鎮たちは顔を見合わせた。


が、知らぬのも道理。伯陽は神出鬼没老人。霧とともに現れ、夜霧にまぎれるようにして姿を消してみせる。


伯陽は朱に交わるのを嫌ってか重鎮たちとも距離をおいていた。


「まぁよい。誰ぞ戦況について余に報告せよ」


すると禁軍の将、紫葉火焔なる武骨な老将が口火をきった。


「おそれながら皇王様。敵は許多にて千万無量ながら、その数およそ二万と数千」


「ーーーーそれで?」


火焔は物憂げな皇王の、美女のごとき麗しい竜顔を仰ぎ見た。


「五枚岩と称された五つの城門のうち三門までが敵の手に墜ちました」


「なんと!?」


どよめきがひろがる。


大臣一同も顔を見合せコソコソと言葉を交わしあう。


そんな渦中にあって鋭い眼光を放つ者がいた。


その者は羽扇を手に持ち、三十代半ばのやせ細った青ざめ顔の男で、しろさぎの羽根を束ねた扇で顔をあおぐとやおら立ち上がった。


「三門までもが敵の侵攻をゆるした今、友好国に援軍をもとめるほか手だてはありますまい。御一同はどう思われますか」


すると一人の初老が悪意たっぷり、皮肉をこめた笑みを刻み、白髯をととのえながら口を開いた。


「どう思うだと? 鹿蘇よ、そう丸投げするものではない、宰相の名がなく。とはいえ古今未曾有の緊急時ゆえその気持もわからないでもない」


が、と一端区切り、続けて述べる。


「よりによって蛮族との小競り合いがあって間もないかような時に。二万とはふざけておる」


ぷりぷりと文句をあげつらう。


「明犀殿。この時期に狙いすまして挙兵した、ともかんがえられます」


確かに、との賛同の声が多数あがった。


それを後押しとばかり、宰相である辛鹿蘇は向かいの列に座した左大臣、縲明犀を淀みなき眼で真っ向から見据える。


「…………」


明犀の度重なる挑発に対して鹿蘇はやんわりと牽制してきた。


明犀は「こわっぱが」と吐き捨てる。


だが、いい目をしている、そう心の内なるものが囁く。明犀は薄く笑った。


貧乏神さながら、げっそりやせたその容姿に似合わぬ貫禄をつけはじめていた。


それがいちいち明犀の勘にさわって揚げ足をとってやりたくてうずうずとしている。


「ほぅ? 宰相殿、なればどこからそれだけの大軍が現れた? 侵入経路および首謀者について下からの報告は?」


「いいえ。何も。だから問題なのです」


夕陽が沈むとほぼ同じくしてそれは突如門前に現れ、暗夜の礫をくらった。


雲霧のごとき大軍は城門に丸太を打ち付け、あれよといまに五つの城門のうち三つまでが敵におち、怒涛のごとく街へなだれこんできた敵は猛威をふるい、無辜の民ばかりか家畜までがその対象となった。


九死に一生をえた民も重傷者ばかり。


敵を知れば百戦危うからずとはいうものの、敵の正体を知るどころか戦況すら把握できぬ有り様。

情報収集でつまずき、さらには敵の侵攻をこれだけゆるしてしまった。


もし仮に無事に奇襲をやりすごしたところで復旧作業を考えるだに頭も痛くなる。


「となると、援軍を祭べき、なのか?」


明犀のすぐ横に座す男がポツリと呟く。


明犀は驚いたように目を見開く。


見ればみるほどよく狸に似た男だ。


名を黄芳満といい、なんの悩みもなさそうなふくよかな体躯をして、感服がはちきれんばかり。太鼓腹から空腹を告げる音がした。


明犀はチッと舌打つ。


「……豊満、いや芳満殿」と口にして明犀は芳満を苦々しげにみやった。


「ーーーーはい? 何でしょうか」


そうのんびりと告げた芳満に対し、明犀は苛立ちを禁じえず怒りすらおぼえた。


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