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第一章 蒼山経 (1)




その昔。魑魅魍魎、悪鬼。妖怪どもが寄る辺なき身をよせあうようにして西山はもとより蒼宝山(そうほうざん)、南山など、これら三山一帯。つまりは現在の蒼国(そうこく)を縄張りとし、それは遠く、王母娘々が住まうとされる玉山までもその支配下においていた。


事のわらわやみは魑魅ざわめき八雲たつ森のなか。わずかな獲物をおってはちあわせることもざらで、いつしか手狭になっていった。その数を増やし御しきれなくなったのだ。


そこで誰が西山の長たるか、我こそは三山の長である、そう口々にのぼった。


だがしょせん烏合の衆。他を圧し淘汰してきたものたちだ。本能のままにただ胃の腑をみたす。ときに目の前をよぎるもの、同族をも爪牙にかけた。


次々に首にかぶりつき尾を引きちぎる。手足をもぎ動けなくなるまでそれは続いた。


みるみる肉叢(ししむら)が地表をおおいつくし、折り重なるようにして骸の山がきずかれた。文字通り屍山だ。

もはや八雲の森に生者はなし、そう思われたその時。死屍累々たる鮮血色の頂に一匹の猿がすくりと立ち上がった。


次いで胸を打ち鳴らし咆哮をあげる。山吹色の毛並みが黄昏色にそまった。




「ーーーーで。それがこの猿のご先祖様?」


金叭宮(きんぱきゅう)。後宮の最奥、東宮宮のそのまたはずれ。ここにはいくつかの独立した坊が建ち並ぶ。

朔はその一つの坊の扉を開け放ったまま棒きれのように立ち尽くしていた。


「ち……小っちぇ? 鳥籠におさまってやがる。嘘だろ?」


目深にかぶった笠の縁をヒョィと掬い上げる。

その物言う目が、ありえない、そうありありと否定する。


ふと、あれ? と思った。


「ーーん? 誰もいない?」


左見右見と辺りを見回す。


いつもの、ご用は? と、うけたまわるこの上もなく面倒極まりない煩わしい一声があがらない。


取り次ぎの間には侍女はおろか女官の姿とてなく、よくよく思い起こせば東宮宮にいたるまでの道すがらも同様。

久方振りに入都してからをつれつれに思い返すとその理由に察しがつく。仲秋の儀が執り行われているからだろう。


「なるほど、それでか」


そもそも仲秋の儀とはおもに王宮で働く女性が行うべき儀式であって、庶民の暮らしとは無縁の何らゆかりもないものであった。


それがいつしか広く浸透して家内安全を願う行事になったという。


それに一役買ったのが饅頭屋というわけだ。いわゆる便乗商法ともいう。

月餅を売りまくってこの日、一日の売り上げだけで一年分の収入に匹敵するというのだから、店主はさぞやほくほくだろう。


さらに便乗に加わったのが蕎麦屋の月見そば、定食屋では月見牛すきなど。月見とつけば何でもござれである。


だから昔から商いは、()()()()、という。


「それよか静かだ」


女官たちは留守である。


室には猿一匹。そうとなれば礼儀や作法とはさようなら。扉を後ろ手にしめ、無頼漢さながら房飾りのついた紗をのけ、乱雑な足どりでのしのしと室へ踏み込む。


「マジかょ……」


そこは来客用の室のようで壁一面、天井にいたるまで目にも鮮やかな牡丹の花やらが描かれており、壁面には飾り棚と誰が使用するのか不明な寝台がしつらえられている。


おそらく世話役のためのものかもしれないがたかだか猿一匹のために用意された室にしてはいささか引っかかるものがある。


が、朔は気をとりなおして室の中央にある大きな円卓に目をとめた。


その脇にはそれと一対の椅子が二脚おかれ、遠目にもそれらが黒檀だとわかる。

艶やかな光沢をはなち、卓上には洒落たつくりの燭台に灯りがともされ、その横に例の小さな鳥籠があった。


朔はつかつかと歩みより、ぼんやりと見おろしながら長大息を吐いた。


「もっとこう、厳つくて獰猛そうな巨大猿を想像していたのにーーーーチェッ」


そうぼやくと、細く骨ばった長い指を首もとにのばし、くたびれた外套(がいとう)をするするとぬぎ、それをひと絡げにして左脇にかかえこむ。するとくすんだ紺の長袍姿となった。


その一見して鈍色にも見える長袍は、色あせる前までは元地が濃紺、もしくは鮮やかな藍色だったのだろう。それもたっぷりとして体型にあってはおらず上背もないため華奢だ。いかにも少年らしい骨格はひょろとして余分な肉は欠片もなかった。


「つぅか…………」


つっと襟に指をかけ、折り目正しいそれを少しゆるめると、そのまま笠に手をかけた。


「…………小猿の名前は…………」


思いだしようもないほど仰々しい名前だった気もする。


「ま、いいか、名前なんて。どうせ呼びゃしないし?」


ククッと喉の奥を鳴らし、笠の紐をするりとほどくと外套と一緒に手近な椅子におく。

すると長い前髪がさらさらと音をたてて頬へと垂れ下がって顔をおおってしまった。


そこからわずかにのぞく形のよい唇がゆっくりと言の葉をつむぐ。


「見た目、普通。さして見新しい特徴もなし。しいていえば毛もじゃ、どんぐり眼? どこからどう見たってそこいらの普通の猿? やっぱフカシだろ」


のぞきこむと円卓に顔がうつりむ。円卓のなかの朔は子供のように目の奥を輝かせていた。


「ぉ!? いっぱしの厳めしいツラしやがって。おもしれぇ! ほら、動けってば、ほれほれ」


籠を鷲づかみ前後にゆさぶる。

すると白磁になみなみとたたえる透明な液体が大きく波紋をえがき、小猿めがけピシャリと飛び散った。


『…………』


物の哀れ、金色の綿毛の塊がぐっしょりと濡れ顔にはりつく。


「すまん。よかったらこれで拭え、濡れたままでは風邪をひく」


軽く手刀をきり、懐からくしゃくしゃに丸められた手巾を取り出して差しかざしーーはた、と手をとめる。


「待てよ? 華南の国王である皇王(こうおう)が花果山の仙石からうまれた不死の猿とのたまって献上してきたとか。仙石を割って皇王みずから世話したっていうんだから、噂はまんざら眉唾ってわけでもないか」


ーーうぅん、と朔はうなる。


「だが、わんぱくって感じでもないし、喋れるわけでもない。身外身の術はもとより体毛をつかって猿の兵士をつくる? それって…………」


プッとこれ見よがし嘲笑をあびせかける。


次いで籠の目の隙間に指をねじこむ。


「無理じゃね? 俺ならこの指一本で瞬殺できるぜ。ま、明宝は気に入っているみたいだし、真偽なんてどうでもいい。どうせ? 愛玩だもんな」


おりゃー、挑発するように指先をうねらせる。


すると猿は指に恐る恐るすり寄って口を大きくあけたと思った瞬間、ガブリと歯をたてた。


「痛っ!?」


反射的に指をひっこぬき、くしゃくしゃの手巾でおさえる。丸い歯形の犬歯部から赤いものが薄らとにじむ。


「猿!? キサマ! 」


激昂し拳をふりあげる。

小猿は『ムキキッ!?』と一声をあげて身体を小さく折り畳んだ。


金色の綿毛が小刻みに震え、くねる長い尾が毛羽だって一本一本が立っている。


こうなれば興ざめだ。


「ちぇ、俺ってばいたいけな小猿を虐める悪漢みたいじゃん。こっちは被害者だ!!」


驚かせるつもりだった。

こらしめてやろうと思った。

でもそれだけだ。

なのに胸の奥がチクリチクリと疼く。


「…………」


これが良心なのか、人としての心なのか。

そんなことはどうでもいい。

そこに蹲り、頭をかかえる猿はかつての自分だ。




ーー"誰か…………"




弱いことがやりきれなかった。

痛いことをされるのがどうにも辛かった。



("……ぁ……")



すぅと血の気がひかれ、近くの椅子をたぐりよせ、しなだれかかる。

全身がしっとりと汗ばんでいるのがわかる。


「こら、見せ物じゃねぇぞ、散れ」


しっし、と手を払うと『ムキキ?』と猿らしい一声をあげたその口から、異な奇声がくりだされた。



『……っとば……』



「ーーん? 何だ、今の。幻聴か?」


ふいにとらえたその聲は壮年というよりか年端もいかぬ童子のものに近かった。

野郎ともなれば急所はおさえておきたいところではあるが。のたうちまわる様が目に浮かぶ。


気のせい?


そうだろうとも。


だがそれも長旅の疲れからくる空耳だろう。


「いやはや幻聴とは、参った」


頭を振って打ち消したその時。


『そこな唐変木めっ。よく見よ、ここだここ』


「ぇ? いよいよ俺ってば耳のみならず頭までもがイカれたのか? 今どき唐変木って無いわ」


ハハとから嗤う。


なおも幻聴は続いた。


『キサマは阿呆なのか? ぶっ飛ばすと言ったんだ!』


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