第八話 「死人の口」
先に木の扉を開いて行った神父に続いて、黒と白銀の少女達も扉の中へと入った。
「一人で勝手に入っていかないでくださいよ!…ってこれは」
突然の独断先行に対して少なからず怒りを感じた黒髪の少女は、目の前に立っている神父に詰め寄ろうとして、そこで気づいた。
「…真っ暗。」
遅れて隣に来たアステリアもそれに気づく。
今、自分達が居る空間には、何処までも無限に広がる大地と大空が存在していた。目の前には数軒の民家や井戸、枯れた田畑などがいくつか点在しており、その様相は一つの村を想起させる。
それだけなら何処にでもあるごく一般的な光景だったかもしれないが、明らかに異様な点が二つ。
まず、他に山や川などの自然物が一切見当たらず、地平線が360度くっきり見えているという点。
そしてもう一つが、空も、大地も、家々も。目に見えるありとあらゆる存在が、死んだように暗い色で塗り潰されていることだった。
「何軒か家があるようですし、中に人がいらっしゃるかもしれません。」
一人平然とした様子で立っている神父に言いたいことはあったが、未だ生活感の漂う村に人影が全く見当たらないのは、確かに気がかりなことであった。
自分達が出てきた扉は民家の一つに繋がっているらしく、取り敢えずは住人に会うことを最初の目標とする。
「あの、すみません!他所から来た者なんですが、誰かいらっしゃいませんか?」
大声を出して、家の中から誰か人が出てこないか確認してみる。ごく小さな村のため、少女の声でも村全体に届いているはずだが、
「………………」
どれだけ待っても返答が返ってくるような様子は無く、どの家も同様に静まり返ったままだった。
「…誰も、居ない…?」
アステリアの呟いた言葉が、何故か今は現実味を帯びたものとして聞こえてくる。
人の生活があった痕跡は確かに感じるのに、よくよく見れば見るほど、全てが暗闇に染まった世界はまるで生気を感じさせていないのだ。
直ぐ近くの畑には鍬や鋤などの農具が無造作に置かれているが、何か食物が実っている様子は無く、井戸を覗けば、底には朽ちた桶が無残に放置されているだけ。果てしなく続く地平の先へ移住したことも考えられたが、移動手段であるはずの馬らしき生物の骨がバラバラに散らばっていることから、それも否定される。
飢餓に喘ぐ民草というあのフレーズに、目の前に広がったこの景色。それはまさに、人という色素さえも黒で塗り潰してしまったかのようで
「怪しい者じゃないんです!誰かいませんか!?」
頭の中を過る思考を振り払い、もう一度大声で周囲に呼びかけてみる。
だが、村には少女の声が虚しく響き渡るだけで、相変わらず何かしらの反応が返ってくることは無かった。
「……悪いけど、こっちから確認させてもらうしかないか。」
自分でも信じ難い一つの憶測を確信に変えるべく、三人で最寄りにある小さな木造の家ー 殆ど小屋に近かった ーへ近づくと、そのドアをゆっくりと開いていく。端が脆くなっていたのか、木製のドアは途中でバキッという音を立てて外れると、大量の埃を舞い上げて中に倒れ込んだ。
光の射さない家の中は薄暗く、暫くは埃だけが視界を埋め尽くしていたが、時間と共に徐々に晴れてくる。
そして、その奥。僅かばかりの家財が積まれたその端で、寄り掛かるようにソレはあった。
「っ……」
一つは少女よりも一回り大きく、もう一つは少女よりもかなり小さいが、どちらも皮も肉も纏っておらず、ただボロボロに使い古された衣服だけが、申し訳程度に存在を主張する。
そこにあったのは、白骨だけに変わり果てた人間の亡骸、それも親子と思われるモノが二つ。
「なんと憐れなお姿に…主よ。この者達の魂に安寧のあらんことを。」
続いて後ろから入り込んできた神父も、同じモノを見て顔を顰めると、何処からか取り出した十字架を持って祈りの言葉を紡ぎ出した。その姿はまさに聖職者と言った形をして見える。
一方で、アステリアは白骨の前まで黙ってペタペタと歩いていったかと思うと、しゃがみこんで静かに両手を合わせた。
確か死者を弔う姿勢の一つだったか、自分もアステリアの横へと歩いていき同じ姿勢に倣う。
本職のようにしっかりとした儀礼の仕方は分からなかったが、苦しみの果てに死んだであろう骸に対して、せめてもの弔は残しておきたかった。
「もういいのか?」
「…うん。付き合ってくれて、ありがとう。」
アステリアが合掌を止めて立ち上がったタイミングで、骸に対する弔が終わり、他に何も見当たらないことを確認してから家を出る。
意図せず破壊してしまったドアの謝罪も込めて頭を下げ、再び村の中心へと戻ろうとしたその時、
「そこの方々…もしよければ何か…何か少しでも、食べ物を恵んではもらえないでしょうか…」
「っ!?」
余りにも予想外からの声に驚きを隠せず振り向いた。
吹けば飛ぶ程に掠れるような声が、まさか先程出たばかりの家の中から聞こえてきていたのだ。
「なぁ、あの家に他に人って居たかな?」
幻聴の可能性を信じて、二人にも確認してみるものの、
「少なくとも生者の気配は感じ取れませんでしたが」
「…私も、知らない」
他の二人も、ドアが抜けて暗闇の覗く家の入り口を息を飲んで見守っていた。
そうこうしているうちにも、今度は家の中から誰かが足を引きずるような音が加わってくる。それも、こちらに向かって歩いてくる音が。
「ほんの少しでもいいんです…せめて…せめて…」
そして、何が出てくるのかと警戒を強めた三人の前に、遂に音の発生源が姿を現した。
「この子にだけでも…何か分け与えてもらえないでしょうか?」
それは腕に自らの子供を抱いて歩く、痩せ果てた母親の姿だった。