第七話 「聖者」
「さぁ、どうなされましたか?」
「っ…」
神父のような風貌の男は、何も反応を返せないでいる少女達に対して、尚も微笑みを湛えた表情を向けてきていた。正面を向いている今は、その全体像もはっきりと見える。赤と白を基調とした祭服に、頭には同色のカミラフカ。顔には眼鏡をかけているだけで、他には何も身につけてはいない。
一点の曇りもないその表情からは心の底がまるで読み取れず、清廉潔白という言葉を体現したかのような態度を感じさせる。
だが、そのことが逆に、底知れぬ「異様さ」とでも言うべきものを二人に与えていた。
「…質問。あなたは、何者、なの?」
どう言葉を返すべきか言いあぐねていた黒髪の少女に代わって、意外にもアステリアが最初の言葉を投げかけた。その台詞は、白銀髪の少女と最初に出会った時のことを何故だか連想させられる。
聖堂と呼ばれた空間の中はそれなりの広さがあるにも関わらず、何故か両者の声はよく通って聞こえた。
「私はこの聖堂の管理を任されております、一介の神父に過ぎません。我らが主に祈りを捧げ、日々を迷える方々に啓示を施すことこそ、私の存在意義でしょう」
アステリアの問いかけに対して、男は淡々とした口調で言葉を返した。
「…じゃあ、この世界がどうなってるのかは、知ってる?」
「申し訳ありませんが、私は此処より他の世界というものを存じ上げませんので、それについてお答えすることはできないのです…我が無知をどうか、お許しください。」
続く問いに対しても、男は顔色一つ変えず親切に返答していく。次いで恭しく頭を下げるその姿は本物で、嘘偽りを述べているようにも見えない。
なのに、何故か其処には得体の知れない気持ち悪さが、頭から付き纏って離れずにいた。
「…あの人、少なくとも悪い人じゃない、と思う。不明な部分も多い、けど…」
取り敢えずは聞きたい事を一通り聞いた、という様子のアステリアが、小声で隣に立つ自分へと話しかけてくる。
「でも、こんな所に普通の人間がいるなんて…おかしくないか?」
「…私達だって別に、この世界を知り尽くしてるわけじゃない。」
どうしよう、という提案の声を聞きながら、暫し考え込む。
目の前の男ーー神父は、相変わらず温和な表情を浮かべて立っており、何か敵対的な行動をとる素振りもない。自分の中で未だに燻る違和感を抱えつつも、アステリアが率先して確認した事実でもあるのだ。今の何もかもが不明な今の状況なら、出来る限りの事を試してみるべきなのだろう。
「えっと、僕達は祈りを捧げる為にここに来た訳じゃないんです。ある言葉に従って、道の先に進もうとして扉を開けたら、ここの扉に繋がっていました。」
「ほう…」
今度は自分から神父に向かって言葉を投げかけていく。神父はそのまま続きを促すと、静かに耳を傾けてくれていた。
「その言葉によると、ここは『聖者の間』で、聖者の口は実を結ばない、という話をされたのですが、何かご存知無いでしょうか?」
今の自分達が最も気がかりとしている情報について、神父に尋ねてみる。聖者の間というのがこの聖堂を指しているならば、目下の人物が何らかの鍵を握っていると考えたからだ。
尤も、この奇妙な聖堂以外の世界を知らないなどという人物が、その世界に書かれている文章の意味を知っている可能性は限りなく低いと思っていたのだが、
「……なるほど」
予想に反して、深く考え込むような仕草を見せた神父は、ここで初めて戸惑いと驚愕を織り交ぜた表情を浮かべていた。神父は直ぐに気を取り直すと、何かを思い出すかのように淡々と話を進めていく。
「貴女方が訪ねて来られるずっと前の話になりますが、ある日、いつものように祈りを捧げていた私の前に、主より一つの啓示が下されたのです。その内容を簡潔に言いますと、『聖者の口を求める者がいつか現れ、私を外の世界へ導くだろう』ということでした。」
そして、神父の口から続いた言葉は、まさにあの文章についての核心を突くようなものであった。
「……!それはつまり、あなたがその『聖者』で、僕達があなたを連れていくことになる、ということですか?」
「私は自身のことを聖者などとは思ってもおりませんが……今の状況を鑑みるに、恐らくはそうであるのかと。」
神父との一連の会話を通して、事態が大きく好転したことを確信する。目の前の男とあの言葉には、やはり何らかの関係性があるのだ。
「それならお願いがあります!僕達と一緒にここの外まで付いてきてくれませんか?」
底が見えない人物ではあるが、ここで逃して進展することは何も無いだろう。アステリアの方を無言で確認すると、彼女もコクンと頷きを返してくれた。
神父は顎に手を当てて幾らか逡巡する様子を見せていたが、
「……分かりました。これも主のお導きだと言うのなら、喜んでご一緒しましょう。」
元の微笑みを取り戻した神父の同意も得たところで、三人となった少女達は、再び鉄扉の下を潜った。
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扉を開け、先程まで居た空間へと戻った二人は、最初に例の文章を神父に見せてみた。
聖者についての記述が為されたものだけでなく、木の扉、金の扉、石碑の上と、一通り全ての文章を逐一確認してもらい、三人で知恵を出し合ったのだが、
「結局何も分からないまま、か」
結論から言うと、明確な意味を読み取れたものは一つも無かった。
「せっかく頼りにして頂いたにも関わらず…お力になれず申し訳ありません。」
「いや、わざわざ呼び出したのは僕達の方なんですから、謝らないでください。」
「しかし、主より授かりし我が使命は…」
責任感がどれだけ強いのか、神父は心底申し訳無さそうに謝罪を続けてくる。謝って状況がどうにかなる訳でもない上に、時間を浪費するだけの行為。
このペースだと終わるものも終わらないでのは、と先行き不安になっていく中、
「…次の扉の中にも、何かヒントがあるんじゃない、かな。そこにあなたの役に立てる事もある、かも。」
ちょうど良いタイミングで、次なる活路を見出してくれたアステリアに感謝する。
「そ、そうだ!名誉挽回のチャンスなんですから、神父さんも早く行きましょうよ!」
「そう仰るならば…」
早く事を進める為にも、未だ何かを言おうとする神父を制して、次の扉の前へと集まる。
向かった先は飢餓に喘ぐ民草の間……3つのうちの真ん中に位置する、木の扉だった。
「飢餓に喘ぐ民草…これだけ切り取るなら、随分と酷いことになってそうだけど…」
改めて扉に掘り出された文章を読んでみる。
先程の聖者の間での経験から、扉の先には文章に書かれている人物が待ち受けているものだとは推測が立っていた。
『その胃は音を欲さず』という部分については、『その口は実を結ばず』という部分と同様に不明なままだったが、この法則に従うなら扉の奥に待ち受けているのはーー飢え死にしそうな人間、ということになる。
だがここで、その先へ進むことを躊躇う少女を尻目に、神父が一足早く扉に手をかけ始めた。
「悩める方々がいるならば、その話を聞くことこそ私の使命です。」
「まっ…」
そして、制止の声も聞かずに扉を押し開いて行った神父を追って、二人も扉の中へと消えて行くのだった。