第五話 「出発」
「第六、聖剣…アステリア。それが君の名前なのか…?それに、王の剣って……」
それが、少女の口にした記憶についての中身であった。
だが同時に、『聖剣』というのはある種の武器の呼び名であって、普通人の名前に備わっているような名詞ではない。王の剣と言っていることからも、それが恐らく姓を表している訳では無いと推測が立った。
「…どういう意味なのかは、自分でもよく、分からないの。頭の中で一瞬、誰かが私をそう呼ぶのが見えた、から。ただ、私は普通の人間じゃなくて、それが…アステリアが、私の名前だってことは、直感で分かった…」
白い世界の中、僅かに憔悴したような顔をして銀髪の少女ーーアステリアは、辿々しい口調で喋った。
「…ごめんなさい。こんな状況私も初めてだけど、結局あなたを巻き込んで、しまった。それも多分、私の、せいで。」
しかし、変わり果てた世界を改めて見つめ直した様子のアステリアは、悔しさと申し訳なさを一杯に滲ませた表情で俯きだす。このまま放っておけば何処までも自分を責め続けてしまうのだろう。
「私はっ」
掴んでいた左手を離し、彼女の頭をポンと撫でつけた。
「もうそんなこと気にしなくていいって。君が何者なのかはまだ分からないけど、僕は君を助けて此処から出るって約束した。此処にいるのは全部、僕の意思だ。」
そのまま俯き気味な顔を起こし、もう一度左手を前に差し出しながら、ぎこちなく緑の瞳に向けて笑いかけた。
「だから、最後まで一緒に行こう。アステリア」
「……」
銀髪の少女は尚も暫くの黙考を続けたままだったが、やがておずおずと、その小さな左手を差し出してきた。そして、互いの手をそっと握りしめる。
「…あり、がとう。」
その顔には未だに申し訳ないという感情が深く顕れていたが、今は何処かずっと明るくなったような気がした。
「…それ、と…私と同じくらいの背の女の子に、ギュッてされたり、ナデナデされたりするの、ちょっと生意気。ちょっと悔しい。まるでお父さん、みたい。」
「うっ!…そうだった。今の僕は女の子なんだった…」
だが、そっと手を離し、再び無機質気味な表情に戻ったアステリアの口から続いた言葉で、何だろう、心にグサっとしたものを感じてしまった。
自分の中では、さも小さな女の子を慰めるお兄さんのような印象を考えていた為、よく考えればとても恥ずかしい事をしていたような気がする。更に言えば、お父さんと言えるほど歳をとった覚えもない。自分の精神年齢はそこまで老けてしまったのだろうか、などと散々唸っていると、
「…でも…さっきは、ああ言ってくれて本当にうれしかった。」
「え、なんて?」
「…何でも、ない」
そんなやり取りをした後、改めて今置かれている現状の把握を始める。
まず、今二人が立っている場所は前後に真っ直ぐ延びる一本道になっており、照明も無いのにある程度先までは薄ぼんやりと見えている。高さ4mほどの比較的広い空間は床、壁、天井の一面が赤茶けたタイル貼りになり、他に人や変わった物などは特に見当たらない。が、
「…ん…これ、見て」
脇からクイクイッと、アステリアが服を引っ張ってきた。横を見ると何やら左手にある壁の一部をジッと凝視していた。
「どうした?」
小さな腕に引かれるまま、その目が見つめる先を後ろから覗き込む。するとそこには、黒字で一つの文章が徐々に彫り出されていくところだった。
文字は紙に墨が滲み出すように壁を削っていき、全ての文字が彫り出されたところで、それを読み上げてみる。
『愛無き者に人は想えず』
「……どういう意味だ」
壁に彫られた文字はたったそれだけで、幾ら待ってもそれ以上に何かが現れる気配は無かった。逆から読んだり、下から読んだりしても別の意味に変わることは無い。
「…これ、愛情の無い人は、思いやりのできない人、ってこと、じゃないの?」
突如現れた怪文をそのままの意味で解釈したらしく、悩み続ける黒髪をアステリアは不思議そうな瞳で見ていた。
「いや、この状況で此処に出たってことは、少なくとも何かの意味が隠されているはずだ。まさかそんな単純な意味だとは…」
…そう言ってかれこれ10分以上は考え続けただろうか。何をどう見ても変わらずそこに在り続ける謎の文字に脳が違和感を覚え始めた頃、二人はー主に黒い方はー遂に解読を放棄した。
「うん…これ以上考えても仕方がないな…先に進もうか、アステリア。……アステリア?」
前に向き直って白銀髪の少女の名を呼ぶが、反応が無かった。
そこで少女の方を振り返ると、今度は先程までと変わった意味で、不思議な顔をしたアステリアが立っていた。
「…おかしい。傷が、治らないの。」
「傷?」
よく見ると、アステリアは未だ血を流している黒の少女の右手に向けて、自分の手を翳していた。
「…最初にあなたが倒れた時も、私は想像であなたの傷を治したの。あれくらい、この世界なら本当に簡単に出来た、から。だけど、今はどうやっても、傷が治ろうとしない…」
どうやら彼女は、さっき剣を握った時の怪我を治そうとしていたらしい。とはいえ、この血はある意味自業自得で流したものであり、そこまで深いものでも無いため、あまり無理をさせるつもりは無かった。
「いや、別にこれくらいの怪我大丈夫だよ。無理させてごめん」
「…問題はそこじゃない」
軽くかけた声に対して依然、深刻そうな表情を浮かべたアステリアが遮るように言葉を連ねた。
「…今のこの世界はもう、想像が現実に変わる夢の世界なんかじゃなくなってる、の。それは、この先何が起きても、都合よく展開を書き換えられ無いという、こと。だから、もし、あなたが死ぬような怪我をしたら、本当に死んじゃうんだよ…?そんなの、」
「って、そんなことか」
深刻な顔をしていた大体の理由を聞き、目の前の白い額に向けてデコピンを入れる。
「あぅっ…!」
その反応が意外だったのかデコピンが痛かったのか、恐らくは両方だろうが、アステリアは驚きの表情で額を抑えつつ尻餅を着いた。その目からは痛みを怨むような感情がヒシヒシと伝わってくる。
「この世界じゃそうだろうけど、本来なら想像が現実に変わるなんて事有り得ないから。」
未だに何かを訴えるような目を向ける少女を呆れたような目つきで見返しておきながら答えた。
「それに、夢なんかに頼らなくても僕は死なないよ。まだ約束、果たしてないだろ。」
それだけ言うと、尻餅をついて額を押さえたままの少女に何度目かの手を差し伸べる。
「行こう」
「…後でデコピン、10倍返し」
少し恐ろしい事を呟いて立ち上がった銀髪の少女の瞳に、もう憂いは残っていなかった。
まだ何も知らない黒と白銀の少女達は、前を見据えて真っ直ぐに道を進んでいく。