第一話 「衝撃の花園」
ーここは…どこだろう…
一面が真っ暗な闇の中で、微かな浮遊感だけを感じながら自分がそこに立っていた。
そこには何も無く、何も見えず、何も聞こえない。
自分の姿だけが鮮明な像を結んで、暗闇の中に浮かび上がっていた。
(そうか…思っていたものと違ったけれど、これが死後の世界なんだろうか…)
試しに右手を前に突き出してみるものの、やはり空を切るだけで、何も変化は訪れそうになかった。
…とても淋しい場所だった
(でも他に考えられないよな。僕は確かにあの時に…あ、れ…?)
どうしたことだろうか
(あの時っていつのことだ?僕は確かに死んだ筈で、その原因となったのは……どうして僕は死んだんだ?)
自分の死因がまるで思い出せないのだ。
自分が死んだという事実は疑いようも無く信じられるのに、何故かその原因に心当たりが見当たらない。
(記憶力には少し自信があったのに、今までこんなこと…今まで?今までって何だ?僕は何をしてきたんだ?僕は何を記憶したというんだ?何を、どうして、どうして、どうして?)
ーーーー
(僕は……だれ?)
その瞬間、何故か姿勢を勢いよく崩してしまい、地面に膝をつく。
(なにが…)
立ち上がろうとして気づいた。
自分の足が光の粒となって消えていっていることに
(うそだ…)
光は次第に太ももの部分まで延びていき、胴、指先、肘、肩と順に体が消えていく。
全身が完全に消え去るまで1分もかからないだろう。
「いやだ…」
思わず口から声が漏れた。
「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだっ!!」
必死に消えていく部分を手で押さえつけたり、殴ったりしてみるがどうにもならず、ついには腕も完全に消えてしまう。
そうこうしているうちに、体は既に首元まで消えてしまっており、立つことはおろか、寝返りを打つことさえできない。
その事実に、もうすぐ自分が消えてしまうことを否が応でも実感させられる。
「まだ…消えたくない…」
ポツリ
「僕は…自分が何者なのかも、何をしたかったのかも、全く分からない。この世界のことも、全部、全部、分からないんだよ…」
ポツリポツリ
「だから」
ポツリポツリポツリ
「僕は…」
ポツリポツリポツリポツリポツリポツリポツリポツリ
「僕は…消えたくないっ!」
自分の願いを口に出して精一杯叫んだ
次の瞬間、それまで真っ暗だった闇の中に一筋の光が射し込んだ。
光は次第に明るさを増していき、闇を消し飛ばすかのように全てを白に包み込む。
「こ、れ…は…」
すると、先程まで失われていた体が再構築されていくのを感じた。
未だ体を動かずことはできないが、射し込む光に包まれながら、どこか懐かしい、暖かな気持ちになっていく。
しかし、光が視界を完全に白く塗りつぶしたところで、自然と意識が朦朧としていくのが分かった。
「っ……」
最後にもう一度、光が一際強く輝いた。
抗えない純白の輝きの中、彼は再び意識を手放してしまうのだった。
ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー✳︎ー
…………
………
……
…ぅ…
「っ!!」
目が醒めると同時に、勢いよくその場から起き上がった。
「はぁっ…はぁっ…ボ、ク、は…」
どうやら体を仰向けにした状態で眠っていたらしい。
自分の掌を見てみると、そこには冷や汗がびっしりと付着している。顔からも汗が滴っているのを感じた。
「(夢…?)」
荒くなった呼吸を整えながらボロボロになったズボンで汗を拭いて立ち上がる。
だが、先程までの光景は全て夢であったとは思えないほどの臨場感を伴っていて
「えっ…!?」
そして、顔を上げて目の前を見つめたことで始めて気づいた。
「すごいっ…」
思わず声を上げてしまう。
それもそのはず。見上げた視線の先には、何処までも続くかのような遥かに広大な花園が広がっていたからだった。
花の名前について特に詳しい知識を持ち合わせている訳ではなかったが、赤、黄、青、紫、白…と多種多様な色彩を帯びた花々が見事に咲き乱れている情景は、素人目でも有り得ない程に美しいものなのだと理解できる。
遠くでは光を反射した滝と泉の水が燦々と煌めいていて、その景観にはきっと誰もが感嘆の息を洩らすことだろう。
「こんな場所がまだ存在していたなんて…」
彼は尚もその光景に目を奪われ続けていたが、そこである違和感に気づく。
「(…?僕はこんな声だっただろうか)」
確かに自分の発したはずの音なのに、何故か自分の声として素直に受け入れることができなかった。
「…あ、あ、あ」
違和感を確かめるように音を口に出してみる。
「僕はっ、」
次は短く繋げて
「おーいっ!」
今度は思い切り叫んでみた。
「………」
色々と試行したものの、結果はどれも同じ。
やはり違うのだ。
既に声変わりしているはずの自分には似つかわしくないほどに綺麗な高音。
「…!」
そんな彼を嘲笑うかのように、突然風が強く吹いた。
普通の人なら気にも留めないであろう、少し強いだけの風。それなのに、
「こ、れは」
視界の端に映り込んだソレを、幸か不幸か、見逃すことは無かった。
咄嗟に手を伸ばして触れてみるが、間違いない。
長く伸びた艶やかな黒髪が、自分の頭部から風に靡いて流れていたのだ。
これじゃあまるで…
「っ…!」
考えるよりも先に体は動いた。
ーーまさか、そんなことが
彼はその場から全力で走り始めると、真っ直ぐに泉のある方へと向かっていく。
体を動かす足の運びはいつもよりも遅く、風が吹くのに呼応するかの如く、頭が後ろへ引っ張られるような嫌な感覚に襲われる。
だが、今はその全てを頭から捨ててひたすらに走り続けた。
色とりどりの花を踏み倒し、緩やかなカーブを描く坂道を降りた先で、遂に泉の元へとたどり着く。
「はぁっ…はぁっ…!」
やけに過剰に切れた息も無視して、ゆっくりと水面に向けて顔を近づける。
目の前でキラキラと光を反射する水面は、まるで鏡のように澄んだ色をしていて、
そこに現実を映し出していたのは
「…う、そ、だ」
ーー疑念は確信へと変わる。
少しだけ幼さを残した端正な顔立ちに、深い青を閉じ込めた瞳。唇は艶やかに紅く色づき、長い黒髪は流れるように腰まで届いている。
黒いシャツの上からでも、胸には僅かばかりの膨らみまで感じ取れる。
最早疑問を挟み込む余地は残っていない。
そこにあったのは紛れもなく、
「完全に…女の子じゃないか」