8
ダンダルミア大聖堂の正面広場に百人超の人間が集まった。
付き添いを除いて、全てが『優秀ではあるものの、残念な部分が長所を台無しにしている人』である。
全員の旅費は教会と王家が出しているので、王の名代として、レインボー姫がきちんとした王女のドレス姿で出席している。
「皆様、良くダンダルミア大聖堂にいらしてくださいました。本日は大いに飲み、心行くまで観光し、女神の教えを学んで行ってください」
大司教が始まりのあいさつをしていると、赤ら顔のおじさんが上座のレインボー姫に近付いて来た。
「おー、お姉ちゃん良いべべ着てるべなぁ~。おじさんと一緒に飲むべさぁ~」
「止まりなさい。王女に無礼を働くと逮捕しないといけなくなりますよ」
しかし親衛隊の騎士が立ちはだかる。
儀礼用の全身鎧を着ているので、普段よりは威圧感が無い。
「はー? 逮捕ぉ~? 教会の中でお姉ちゃんと酒飲むと捕まるだかぁ~?」
「そこまでです。戻りなさい」
おじさんは親衛隊の騎士に腕を掴まれ、広場の方へと押し返された。
酔いが足に来ていて、転ばなかったのが奇跡に思えるほどフラフラしていた。
「おうじょー? おうじょって、何のおうじょかぁ~?」
そこへ一人のおばさんがやって来て、酔っぱらいおじさんの身体を支えた。
「すみません、目を離したスキにとんでもない事を。ウチの人は、お酒さえ飲まなきゃ良い人なんです。お許しください!」
「今日は特別な集まりですので、特別に許します。特別ですよ」
唇の端を微かに引き攣らせているレインボー姫は、殺意を込めておばさんの瞳を見詰めながらそう言った。
「は、はい。失礼しましたッ!」
「うーい、お前、どうしたー? 震えてるぞ、寒いベかぁ~?」
「良いから! アンタはあっちで飲んでて!」
「おー、タダ酒だからなぁ~、たらふく飲むべぇ~」
騎士と王女に睨まれているおじさんは、おばさんに連れられて広場の方に戻って行った。
「どうして酔っぱらいが大聖堂内にいらっしゃるんですの?」
扇で表情を隠しながら不快感を表すレインボー姫。
その視線の先には大きなテーブルがいくつも並んでいて、精進料理や各種酒類が振舞われている。
人集めの口実ではあるが、本来のメインイベントである大司教のありがたい説教を聞いている者はほとんど居ない。
「すみません。そうでもしないと人が集まらないもので」
レインボーの隣で指の輪を作って人々を見ていたテルラティアが頭を下げる。
10歳の少年も豪華な法衣を着ている。
「テルラ様が謝罪する事はありませんわ。――で、注釈持ちは居ますの?」
「何人か居ますね。やはり僕の予想は当たっていた様です。ですが、ほとんどが田舎の村人なので、農業や技術系の能力しかありませんね」
「ふーむ。その人が持っている知識や経験に関連する能力しか得られない、と言う事ですか?」
「かも知れませんね。となると、不老不死の魔物を退治出来る能力が欲しければハンターや勇者を探した方が良いと言う事になりますね。しかし彼等は村や街を守るので手一杯なので、呼んでも集まらないでしょうし……」
「収集に応じて守るべき街を留守にする様な勇者は責任感に問題有りでしょうし。難しいですわね」
その時、ビンが割れる音が広場に響き渡った。
「何するだよ! その旨い酒はオラの分だよ!」
「やかましい! 俺のだと言うとるじゃろが!」
二人のおじさんが殴り合いのケンカを始めた。
それを切っ掛けに、そして巻き込まれる形で、ケンカがあちこちに広まって行く。
ケンカを煽る者も出て来てしまったので、女や穏やかそうな若者が騒ぎに巻き込まれない様に散り始める。
「コラー! 神聖な大聖堂内で暴れるとは何事だー! 止めんかー!」
僧兵が乱闘の仲裁に入っても騒ぎは収まる気配はなかった。
酒が入っているせいで正常な判断が出来ない者や面白がっている者が真面目な僧兵をからかっているせいだ。
「これはいけない。姫様、大聖堂の中に避難しましょう」
「ええ。テルラ様も」
「僕には使命が有るのでお気になさらず。この場でレインボー姫がお怪我をなされたら処刑者が出てしまいますから、早くお逃げください」
「そ、そうですわね。テルラ様、お気を付けて」
ドレス姿のレインボー姫が騎士達と大聖堂の中に避難しているのを背中で感じながら護衛を呼ぶテルラティア。
「プリシゥア! 僕を護って!」
「分かってるっスよ!」
駆け寄って来た少女僧兵がテルラティアの前で防御の構えになる。
テルラティアは指の輪を作り、少女の脇越しで広場を見る。
この状況で勇者っぽい行動をしている人が居て、その人に注釈が付いていたら、高い確率で良い潜在能力だろう。
その可能性を祈りながら、注釈付きを探す。
「――居た! 『無力な第三の目』! プリシゥア、あの子をこっちに連れて来て! あの、ケンカを仲裁しようと大声を出してる、君と同い年くらいの女の子! 黒髪の!」
「護衛は良いんスか?」
「ちょっとくらいなら大丈夫。早く!」
「了解っス」
テルラティアから離れて人ごみに突っ込んで行ったプリシゥアは、指定された人物の腕を引いて戻って来た。
「あ、あの……?」
素朴な村娘と言った少女は、突然連れて来られて目を白黒させている。
おあつらえ向きに黒い前髪を全て上げてスカーフで止めている。
「この騒ぎを収めるのに君の力が必要なんです。協力してくれますか?」
偉そうな格好をしている少年にお願いされた村娘は、訳も分からぬまま頷いた。
「私に出来る事が有るなら」
「ありがとう。――じゃ、ピースって分かりますか?」
「え? はい。これですか?」
右手を上げた村娘は、人差し指と中指を立てた。
「それを両手でやって、ふたつのピースを額に当てて」
「こうですか?」
「そして、騒ぎの方向を向いて。――話は変わりますけど、手と顔の向きはそのままで聞いてください。君は雨上がりの雲の切れ間から日の光が射している光景を見た事が有りますか?」
「はい。光のカーテンみたいな、アレですよね。綺麗ですよね、アレ」
「あれは天使の階段とも言われているんですよ」
「へぇ。素敵ですね」
「その光のカーテンが、君の額から出るイメージを思い浮かべて」
「私の額から、天使の階段が? うわわっ!?」
ふたつのピースを当てている額から、まばゆい光が発射された。
「そのまま広場に居る全員に光を当てて!」
「はわっ!? はわわっ!?」
村娘は、言われるままに顔の角度を変えた。
光の筋が広場を舐める様に移動して行く。
その様子を見ながら呟くテルラティア。
「『無力な第三の目』。『額から相手の攻撃力を奪う光線を発射する事が出来る。ただし、太陽光、もしくは女神属性の魔法光を反射させないと発射出来ない』」
村娘から発射された光線を浴びた酔っ払いと僧兵達は、自らに起こった変化に戸惑って動きを止めた。
なにせ、本気で殴っても相手はケロリとしているし、凄い勢いで殴られても撫でられた様な感触しか無いからだ。
そんな状態なので、数分後にはすっかり騒ぎは収まり、広場は微妙な空気に包まれた。
殴られた怒りや憤りを晴らそうにも、誰も傷付かなくなったのだから。
「ありがとう。君のお陰で騒ぎが収まりました。――僕の名前はテルラティア・グリプト。君は?」
「私はカレン。カレン・ネロです」