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黒コートのグレイは大木に登っていた。
太い枝に腰掛け、長銃から外したスコープを望遠鏡替わりに覗いている。
見ている先は木造二階建ての学校。
「サボって煙吐いてるガキ発見」
グレイは、糸電話に向かってつまらなさそうに報告した。
「それはクーリエに関係有りますの?」
糸電話は木の根元まで伸びていて、そこに座っているレイが応える。
鎧を脱ぎ、ボロ布で銀髪と胸を隠している。
そうして物乞いへ変装しているので、近寄るどころか目を合わせようとする通行人も居ない。
「全く関係無いな。クーリエは授業中だ。このまま一日中監視するのか? 退屈過ぎるぞ」
「何を仰います。狙撃兵は何日も同じ場所で待機する物でしょう? 銃使いなら半日くらい我慢しなさい」
「ケッ。王女様は軍事にもお詳しい事で。どうせ暗闇が起こったら何も見えないんだ。気を張ってもしょうがないさ」
お昼は持参の弁当を食べ、暗闇も何も発生しないまま下校の時刻になった。
木の上のグレイはスコープを校門の方に向けている。
「クーリエには普通に友達が居る様だが、帰りは一人だな」
「好都合ですわ。後を付けますわよ」
「了解。俺はアイツらの所だったな。やれやれ、ずっと枝に座ってたからケツが痛いわ」
グレイはスルスルと木を降り、面倒臭そうに伸びをしながら堂々と道を歩いて行った。
レイの方は、ボロ布を被ったまま、みすぼらしそうに猫背になって物陰を移動する。
「通報されたら面倒ですから、学生に近付かない方が良いですわね。とは言え見失ってはいけませんので、距離感が難しいですわ」
尾行の経験が無いから数人の生徒の目に止まってしまっているが、物乞いのフリをしているので誰かが近付いて来る事は無い。
なのでこのまま作戦を続行する。
クーリエは学生が行き交う道路から外れ、街の中心の方向に向かう。
「グレイが行った方向と同じ方向に行ってますわね。やはり勇者のスケジュールを把握してますわね」
勇者の二人は、事件が起こらない限りはタイムスケジュール通りに行動すると事前に聞いている。
「時間通りにパトロールしている勇者の二人がいらっしゃると言う事は、大した事件は無かったと言う事ですわね」
勇者の隣にはレイの仲間達の姿が有る。
楽しそうに会話しているので、作戦通り仲良くなっている様だ。
「……何よ、あの女達は。王女と一緒に居たハンターじゃない。なんで?」
物陰に隠れ、勇者達を見ているクーリエ。
レイはその後ろから様子を伺う。
「よう。俺の方では暗闇は起こらなかったが、そっちはどうだった?」
グレイがカレンとプリシゥアに声を掛けた。
黒コートの前を開けているので、タイトなスカートと細いフトモモが見えている。
「こっちも暗くならなかったよ。街の外に出ている時間が有ったけど、そっちも何も無し」
「街の外に行ったのか?」
「うん。魔物に畑を荒らされたって話だったけど、魔物が居る様子は無かった。調べたのは勇者の二人だけどね。『それ以外』も何も無し」
「って事は、テルラの出番は無しか」
肩を竦めるカレンに頷いたグレイは、スヴァンの横に立って広い肩を見上げた。
「前に会った時から気になっていたんだが、肩に乗っているそのサル、可愛いな。それに賢い」
グレイが撫でようと手を伸ばすと、サルは小動物特有の素早い動きでそれを避けた。
「おっと、嫌われたかな」
「いや、むやみに人に近付かない様に躾ているだけだ。もう一回手を伸ばしてごらん」
スヴァンは、反対側の肩に移動していたサルの目を見て頷いた。
すると、サルはグレイの手に飛び乗った。
そのまま腕を伝い、形を整える用のパッドが入った黒コートの肩に座る。
「おっとっと。フフ、可愛い」
「タヘーって名前だよ」
「タヘーか。タヘー」
少女らしく動物を撫でて愛でるグレイの様子を目を細めて見るカレン。
海賊娘は男言葉で素っ気無いが、こう言う時は年相応の笑顔を見せる。
「本当に賢いんだよ。魔物が居る場所を教えてくれたり、手紙を役所に運んでくれたり」
「ほう、凄いな。私も欲しい。単純に戦力になる。――タヘーと同じ種類の子は、どこに行けば買えるのかな?」
小首を傾げつつ、上目使いになって訊くグレイ。
黒尽くめでなかったら、少女らしく可愛い仕種だ。
「悪いが、欲しいからって買える種類じゃないんだよ。諦めた方が良い」
「むぅ。一人占めは良くない。私も欲しい!」
グレイは、ワガママを言って親におねだりする小娘みたいにスヴァンの腕に抱き付いた。
するとグレイの肩に居たタヘーがスヴァンの腕に飛び移り、登って行った。
「いや、いじわるで言っている訳じゃない。タヘーにはちょっと事情が有ってね。ペットって訳じゃないんだ」
「事情?」
「こいつが生まれたばかりの時に親サルが死んだらしく、山で一人ぼっちだったんだ。それを俺が拾って育てたから、こうして言う事を聞く様になったって訳さ」
「なるほど。子供の様に育てたって訳か」
「だから、運良く生まれたばかりの動物を拾ったら、そいつを育ててみれば良い。こいつみたいに賢かったら、良い相棒になるかも知れない」
「チャンスは有ったが……運が無かったな」
スヴァンの腕を抱きながらプリシゥアを見るグレイ。
「ああ、あの子犬の事っスか。あの子達は賢かったっスが、時期が悪かったっスね。この旅が無かったら、一匹くらいは飼っても良かったっスね」
その様子を見ていたクーリエが歯ぎしりする。
「何なの、あのガキ。スヴァン様にベタベタして!」
「うんうん。分かるわ。愛しい人に変な女が近付いたらヤキモキしますわよね」
いつの間にか近くに居た物乞いに同意されたクーリエは、嫌そうな顔をして引いた。
「な、何よお前は。汚らしい」
「わたくしですわ。まぁ、わたくしの愛しい人には邪気がございませんので、こちらのヤキモキに気付かず、誰とでも仲良くなさるんですけど。そこがまた良いんですけどね」
ボロ布の下から出て来た銀髪を見て更に引くクーリエ。
「レインボー様!」
「実は、スヴァン様にとある嫌疑が掛かっているんです。その為に変装を」
「そ、そうなんですか」
「今、視線が泳ぎましたわね。何かご存知ですわね?」
「いいえ、何も知りません」
「わたくしの前で虚偽を口にしますの? それがどう言う事か、良くご存知ですわよね?」
「そ、それは……」
「クーリエ。貴女、スヴァン様に特別な想いをお持ちですわよね?」
「な!?」
「目を見れば分かります。わたくしにも同じ様な想いを持つ相手が居ますから。ですから、こうして一対一でお話させて頂きました」
逃げられない様にクーリエの手首を握るレイ。
「貴女が生み出す闇で、スヴァン様の悪事に手を貸している。そうですわね?」
「……違います」
「違うんですか? どう違うんですか?」
言い難そうに唇を震わせているクーリエは、スヴァンの方に目を向けた。
そこでは三人の女ハンターが勇者と仲良く談笑している。
「もしも愛する人が悪い事をしていると知っているのなら、それを見逃すのは良い女とは言えませんわよ」
「……」
たっぷり一分悩んだクーリエは、渋々ながらも観念した。
「私は彼に手を貸してはいません。ただ、彼が闇の中で何かをしている事は薄々感じていました。……わたしはそれがし易そうなタイミングで闇魔法を使っていたんです。それだけです」
「忖度、ですか」
「そんたく? その言葉は良く分かりませんが、ですから手を貸すとかそう言うんじゃないんです。私が勝手にやっていただけなんです」
「もしや、チャンスが有ればネタ晴らしをして彼のお気に入りになりたかった? あのサルの様に、彼の相棒になりたかった?」
「……そんな下心が有った事は、認めます」
クーリエは観念し、萎れて小さくなっている。
言質を取ったので、レイは少女の手首を離した。
「もしもスヴァン様が悪い事をなさっているのなら、わたくし達がそれを正したいと思います。その為にクーリエの力をお貸しください」
「私の力を、ですか?」
「いつもの様に、彼に都合の良いタイミングで闇魔法を使いなさい。そして、いつもより早く闇を晴らすんです」
「……もしもスヴァン様が悪い事をなさっていたら、その最中で事が露見する。ですか」
「そうです。そうすればわたくしが、彼の悪事とクーリエは無関係である事の証人になりますわ。申し合わせをしていないなら、貴女は無実ですもの。彼以外に犯人が居れば、その方とも」
「私の潔白なんかどうでも良いです。スヴァン様が悪事を止めてくだされば、それで良いです」
「悪事を働いていなければ良いのですけどね。では、やってください」
「はい」
勇者達の方を見ると、彼等はパトロールを再開させていた。