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大司教とその息子を囲んでいる行列は、速足で進んだお陰で予定より早く王都キングライズに入った。
そのまま王都の入り口付近に有る教会に寄り、少し長めの休息と昼食を取る。
そうして予定の時間まで一服した後、大司教とその息子は教会に用意してある専用の輿に乗って大通りを移動した。
王都には王城が有り、結構な身分の貴族も住んでいる都会だから、偉い人を護衛する行列がしょっちゅう発生している。
なので、大司教の行列程度なら敬虔な信者が足を止めて祈りを捧げる程度で混雑する事は無いのだが、今回は女神が顕現した直後なので、行列に慣れているはずの王都民が大量に見学に出て来ていた。
「ふわー、凄い人っスね」
テルラティアと一緒に輿に乗っているプリシゥアが溜息を吐く様な声で感心する。
普段なら王都の人々に顔を晒して進むのだが、今回に限っては特別に垂れ幕を下して中を見せない様にしている。
だから外の様子は全く分からないのだが、大勢のざわめきや護衛の怒号が絶えず聞こえて来ているので、大通りが人で埋め尽くされている事が分かる。
女神が顕現してから一日しか経っていないのに、すでにこれだけの人々に知れ渡っている様だ。
聖都と違って宗教行事が日常化していない為、奇跡の発生を耳にして必要以上に大騒ぎになっている。
「開けちゃダメですよ。女神が名指しした僕を一目見ようとする人で混雑が余計酷くなるそうですから」
「事前に何度も注意されましたから、嫌ってほど分かってるっス」
王都側の教会スタッフが事前に警護の根回しをしてくれたお陰で、一行は滞りなく王城に入った。
門内はさすがに静かだったが、整列して大司教を迎える騎士達がいつもより緊張している。
「大司教スカーフォイア・グリプト様。そのご子息のテルラティア・グリプト様。ようこそいらっしゃいました」
「これはこれは、ヴィンセント様」
第一王子であるヴィンセント・イン・エルカノートが出迎えてくれた。
本来なら有り得ない人物の出迎えに、輿を降りた大司教が頭を下げる。
テルラティアも父の一歩後ろで最敬礼する。
王子自らが出て来たのも女神が顕現した直後だからだろう。
「王がお待ちです。こちらへ」
王子に続いて王城の中に入る。
護衛の僧兵達と輿を担いでいた荷物持ち達は王城前で待機し、大司教の護衛である老僧兵と、テルラティアを護る少女僧兵だけが入城を許される。
「わ、私みたいな若輩が同行しても良いんスかね?」
「静かに」
テルラティアに短く叱られたプリシゥアは、借りて来た猫の様に大人しくなった。
通された場所は、謁見の間ではなく、池に張り出したテラスだった。
そこへ行くには手摺りの無い細い橋を渡らなければならない場所だった。
「護衛の方はこちらでお待ちください」
橋の前で待機していた王城親衛隊の騎士が僧兵二人を止めた。
大司教とその息子、そして王子の三人がテラスに入る。
「待っていたぞ、大司教スカーフォイア。その息子テルラティアも。さ、座ってくれ」
そのテラスでは、エルカノート王国の王、フェルド・サン・エルカノートが椅子に座っていた。
大司教と同じくらいの恰幅の良さで、王様らしく豪奢な服を着ている。
そして、銀髪の美少女が王の左隣に座っている。
「お久しぶりです、王。――レインボー姫も」
大司教が代表して挨拶をする。
王子が王の右隣に座った後、大司教親子もテーブルを挟んだ対面に着く。
「内密な話との申し出だったので姫には遠慮して貰いたかったのだが、テルラティアが来ると知ったら同席すると言い張ってな」
王は、困り果てた表情で姫を見た。
純白のドレスを着た銀髪の姫は、テルラティアに熱い視線を送っている。
「テルラ様がいらっしゃるのなら、わたくしが出ない訳には参りませんわ。だって、気の置けない幼馴染みですもの」
姫は17歳なので、10歳のテルラティアとは同年代ではない。
しかし、幼い頃から新年の礼拝や王城での宗教的儀式の際に会話をしたり一緒に遊んだりしていた為、幼馴染みと言ってもおかしくはない。
「レインボー姫も王族の一員ですので、話を聞く権利が有ると思います。ここでの話を外に漏らすお人ではないと信じていますし」
「ありがとう、テルラ様! さすがお優しいですわ!」
身体をくねらせて喜ぶ姫に苦笑を向けるテルラティア。
この姫は、15を過ぎた辺りから言動がおかしくなった。
普段は麗しく聡明な姫なのだが、テルラティアを前にすると他が目に入らなくなる。
今も彼女の横でメイドが紅茶を入れているのに、王族の威厳はどこ吹く風で目尻を垂らしている。
「開けているここなら話が外に漏れる事は無い。遠慮無く話すが良い」
一口サイズのお菓子をテーブルに置いたメイドは、深く頭を下げてから下がって行った。
それを見送った王が話を促す。
「お気遣いありがとうございます」
礼を言ったテルラティアは、床に視線を落とした。
床下にも池の水が流れているので、スパイが潜んでいる心配はないだろう。
「では、顕現された女神が僕に伝えた内容をお話します」
表情を引き締めたテルラティアの話を聞いた王族の三人は、予想通り大仰に驚いた。
「なんと……女神ティングミアが不在とな!?」
「はい。ですので、絶対にこの事実が人々の間に広がっていけないんです。たとえ憶測であっても」
「うむ。その通りだ。――して、この事態に対し、教会はどう動くのだ?」
王は重々しく頷く。
応えるのは大司教。
「教会としては、今まで通りに女神の存在を教えて行くしかありません。女神の顕現と言う奇跡が起こった後に事実を公表したら、とんでもない発想の風評が発生する恐れが有りますから」
「それはつまり、女神不在を隠し通す、と言う事か?」
「そうするしかないでしょう」
「ううむ。――しかも、300年以内に魔物を絶滅させないと世界が消えるのだろう? それはどうするつもりなのだ?」
「教会の対処をお話する前に、国としては今後どう対処するおつもりかお教えくださいますか」
「現時点では、剣や槍、弓等で魔物を退治している。しかしそれでは勇者やハンターの犠牲が大き過ぎる。なので、高火力の兵器の開発や魔法使い育成を指示しているが、それらが使い物になるまでには数年の時が必要だろう」
「我々教会としても、攻勢に出られる僧兵の育成しか出来ないでしょう。それ以外に出来る事は資金援助くらいですか」
「そうだな。魔物に対しては、国も教会も出来る事は似たり寄ったりだ」
王の話に頷いた大司教は、テルラティアに視線を送った。
それを受けて口を開く10歳の少年。
「しかしそれでは今現在苦しんでいる人を救えません。そこで、女神の知恵を授かった僕がハンターとして活動したいと思います」
テルラティアの発言を聞いたレインボー姫が椅子を鳴らして立ち上がった。
「危険ですわ! ハンターとは、魔物退治を生業とする粗暴な者でしょう? テルラ様の様な子供が出来る訳が有りません!」
「勿論、僕は戦えません。しかし、女神から頂いたこのガーネットの左目を使わないと魔物の根絶が出来ないんです」
「と、仰いますと? 確かに、テルラ様の左目はどうされたのかと気にはなっていましたが……」
レインボーは、赤と青のオッドアイとなったテルラティアの瞳を見る。
その変化には最初から気付いていたが、身体的な事なので触れずにいたのだ。
「女神は、全人類に潜在能力を授けてくださいました。そして、僕には特別なこの左目を。この左目で人を見ると――」
人差し指と親指で輪を作り、それを覗くテルラティア。
「王の潜在能力は『王の威厳』です。こうして、僕だけが他人の能力を見られるんです。王子も同じく『王の威厳』ですね。王子が王座に着かれましたら、王と同じく素晴らしい王になられるでしょう。そして姫は――あ」
立ち上がったままの姫を見たテルラティアは、短く声を上げて動きを止めた。
「な、何ですの? わたくしが何か?」
「姫は特別な注釈付きです。100人以上の能力を見ましたが、注釈付きは姫で二人目です。一人目は僕の護衛に任命しました」
テルラティアは、橋の入り口で待機している少女僧兵に視線を送った。
プリシゥアは、立ったまま亜麻色の髪を揺らして居眠りをしていた。
日差しが温かいから眠くなったのだろう。
本当に猫みたいだ。
「わたくしの潜在能力はどんな物なんですの?」
「姫の潜在能力は、『ドMの反撃』です。注釈は、『状況によっては倍撃となる無属性魔法攻撃を行う事が出来る。ただし、愛する者が窮地にならないと発動しない』です。――ドMって何ですか?」
「いや、まぁ、何だろうな……」
テルラティアの無垢な質問に目を逸らす大人達。
しかし、姫は指を組んで身体をくねらせている。
「愛する者が窮地にならないと発動しないとは、素晴らしい能力ですわ! これは、女神がわたくしにテルラ様を護れと仰っているんですわ! ですので、わたくしも身分を隠してハンターになりますわ!」
「いや、しかし……いくらなんでも王位継承権第二位の姫がハンターなど……」
王は言い淀んでいるが、姫は構わずに暴走気味の持論を披露する。
「300年後に世界が消えてしまう可能性が有るのなら、力を持っている王族が頑張らなくてどうしますか! 世継ぎはお兄様がいらっしゃいますし、ここはわたくしの出番ではありませんの?」
「まぁ、言っている事は立派で正しいのだが……」
額に脂汗を滲ませて困惑する王に助け船を出す様に口を挟むテルラティア。
「正直、注釈持ちの人が仲間になって頂けるのは頼もしいです。が、姫をいきなり仲間にする訳には参りません。そこのところはそちらで良く話し合ってください」
「姫は言い出したら聞かないので結果は分かっているが、分かった。――それで良いな? レインボー」
「テルラ様がそう仰るのなら」
レインボーの興奮が落ち着いたので、テルラティアは大きく頷いて見せてから話を本筋に戻す。
「魔物の根絶についてですが、方法はふたつ有ります。ひとつは、魔物を狩りまくって絶滅させる事です。でも、それが出来たら苦労しませんよね」
「うむ。とんでもない殺戮兵器が開発されたら結果は分からんが、現在の戦闘技術では魔物の根絶は不可能だと言わざるを得ない」
頷く王。
話が次の段階に入ったので、姫はそっと席に着いた。
「そして、ふたつ目。魔物の元凶であるリビラーナ王国のジビル・カサーラ・リビラーナ王の身体は、48の部品に分かれて魔物の元になっています。この48の魔物を倒せば、その眷属の魔物の生命力が弱くなります」
「その方法だと、48匹の魔物を倒すだけで魔物が絶滅するのか?」
「そこまで都合は良く有りません。子供も生まれ難くなるはずですので、長い目で見れば絶滅するでしょうけど」
「元凶を倒すとその種類の魔物が倒し易くなる、と理解する方が正しいか」
「未確認なので断言は出来ませんが、女神が授けてくださった知恵ではそうなっています」
「ならば、元凶を探し出して倒す方が手っ取り早いな。――元凶の魔物には、何か特別な目印とかが有るのか?」
「元凶の魔物は王の願いを受けて不老不死になっていますが、それ以外の見分け方は有りません。見た目は普通の魔物と同じ様です。しかし、僕の左目は人の潜在能力が見えます。つまり、ジビル王の身体を基にした魔物にはジビル王の潜在能力が浮かび上がるんです」
「なるほど。普通の魔物には潜在能力が無いと」
「これも女神から授かった知恵ではそうなっています。――しまった。午前中に道中で出会った魔物を左目で見れば良かった。そうすれば確認出来たのに」
歯噛みする息子の肩に手を置く大司教。
「あの状況ではそれをする余裕は無かった。過ぎた事を悔やむのは女神の教えに反するぞ」
「すみません大司教。修行が足りませんでした」
紅茶を一口飲んで唇を濡らした王が話を元に戻す。
「それでテルラティアがハンターになり、魔物に接近する機会を増やそうと言うのだな?」
「はい。と言っても、不老不死の魔物を倒せるタイプの潜在能力を持つ者を見付けなければなりませんので、見付かるまでは活動出来ませんけど」
「まずは能力者探しをしないといけない訳か。分かった。王家はその活動に協力を惜しまないぞ」
「ありがとうございます」
テルラティアが深々と頭を下げ、これで今回の話し合いは散会となった。
休憩を挟んだ後に場所を変えて今後の事を話し合おうと約束して、池に張り出しているせいで意外と寒かったテラスを後にした。