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エルカノート王国には、国を代表する街がふたつある。
ひとつは王都キングライズ。
もうひとつは、聖都ダンダルミア。
その聖都に有るダンダルミア大聖堂に、今日も大勢の信徒が集まっていた。
100人は入れる礼拝堂は満員で、護衛を連れている貴族、農作業の最中に来た様な恰好の平民、鎧を着たり帯剣したりしているハンター等、色んな身分の人が木製の長椅子に座っている。
誰も身分差を気にせず、私語もせずに正面の巨大女神像に祈りを捧げている。
『リーンゴーン』
大聖堂の天辺に有る鐘が鳴った。
それを合図にして、恰幅が良くて豪華な法衣を着た禿頭の中年男性が登場した。
その一歩後ろには、こちらも豪華な法衣を着た10歳程度の少年が付いて歩いている。
二人は巨大女神像の斜め前で立ち止まり、像に向かって深く一礼した。
「大司教スカーフォイア・グリプト様! 魔物の害が止まりません! 国の騎士も村の勇者も手が足りません! 後は教会の僧兵しか頼りに出来ないんです! 俺の村を助けてください!」
いかにも田舎者っぽい質素な恰好をした男性が叫び、豪華な法衣を着た二人の礼の邪魔をした。
礼拝堂内では大声を出さないのがマナーなので顔をしかめる者が大多数だが、若者に同意して頷いている者も少なからず居る。
その様子を見渡した大司教は、大きく頷いてから口を開く。
「この世界に魔物が現れてから、約5年。魔物が生まれる原因や安定した撃退方法が未だにハッキリしないので、皆も不安に思っている事でしょう」
一旦言葉を切って厳かな雰囲気を取り戻してから言葉を続ける大司教。
「勿論、各地の僧兵達も奮闘しています。ですが、彼等は元々修行の為に身体を鍛えているのです。魔物に対して攻勢に出られる勇気を持つ者は少なく、そんな彼等に強要は出来ません。理解してください」
「でも……」
大司教は目を瞑って首を横に振り、食い下がろうとする田舎者の男性の言葉を遮る。
周りの人々の『お前の村だけ特別扱い出来る訳ないだろ』と言う厳しい視線もあり、仕方なく男性は肩を落とした。
「祈りましょう。女神ティングミアは、祈りに応え、必ず我々を救ってくれます。――光あれ」
恰幅が良い大司教は巨大女神像に向き直り、指を組んで祈りを捧げる。
続いて豪華な法衣を着た10歳の少年も祈る。
「光あれ」
大勢の信徒達も頭を垂れて祈りを捧げた。
『リーンゴーン。リーンゴーン。リーンゴーン』
再び大聖堂の鐘が鳴り、今度は何度も何度も聖なる音色を聖都中に響き渡わたらせた。
本来なら数分ほど黙祷した後に大司教の説法が始まるのだが、今日は黙祷が途中で中断された。
巨大女神像が神々しく光り出したからだ。
瞼を閉じていても感じられるほどの強烈な発光に、礼拝堂に居る全員が目を開けた。
「な……こ、これは!?」
大司教は勿論、信徒達の全員が驚愕の表情で光を見詰めた。
視界の全てが白くなるほどの激しい光なのにも関わらず、眩しさは全く感じられなかった。
なので、光の中に美しい女性が浮かび上がっている様子が苦も無く見て取れた。
『魔物に怯える皆の祈り、確かに届きました。私はオグビア。女神ティングミアの妹です』
女神の顕現と言う奇跡を目の当たりにした人間達は、凍り付いた様に固まっている。
『女神オグビアの名において、魔物に対抗出来る特別な力をふたつ、人に授けます。ひとつ目は、女神の知恵とガーネットの左目です。これを無垢な少年に授けます。一瞬の痛みを与えてしまう事をお許しください』
光の中の女性は、豪華な法衣を着た10歳の少年を指差した。
すると、少年は左目を射られたかの様にのけ反った。
被っていたフードが外れ、透き通る様な金髪が露になる。
「あッ!?」
「テルラ!?」
左目を手で押さえてうずくまる少年を心配して駆け寄る大司教。
『ふたつ目は潜在能力です。これを全ての人間に授けます。詳しくは少年、テルラティア・グリプトに与えた女神の知恵を参照してください。――全ての人間に光あれ』
そう言い残し、女神は光と共に消滅した。
通常の明るさに戻った礼拝堂は、不気味なほどの沈黙に支配されていた。
「すいません、お父さん。下がっても良いですか?」
顔を上げた少年の左目が、真っ赤な宝石みたいな輝きを放っていた。
右目は変わらず青。
「う、うむ。そうだな。――お前達、テルラを休ませてやれ」
オッドアイとなった息子の瞳を見詰めながら、大司教は人を呼んだ。
すぐさま二人の教会奥勤めの女性スタッフが出て来て、少年を奥へと連れて行った。
それを見送った大司教は背筋を伸ばし、まだ呆然としている信徒に向けて両手を広げた。
「我々は女神の奇跡を目撃しました。女神は我が息子であり大聖堂の後継者候補であるテルラティアに知恵を授けてくださいました。その知恵に関する詳しい内容は後日発表致しますので、本日はお引き取りください」
大司教は説法を中止し、速足で大司教専用出入り口から退室して行った。
呆然として静まり返っていた信徒達は、ドアが閉まる音で我に返った。
周囲の者と視線を合わせ、ほぼ全員が口を半開きにしている様子を確認する。
「め、女神様だぁ~!」
「オラ、女神様を見ちまっただぁ~!」
「おお……女神様の声はなんて美しいんだ。感動で涙が……」
大聖堂は、女神の目撃者になった事をようやく自覚した信徒達で大層な騒ぎとなった。
しかし暴動となっている訳ではないので僧兵は手が出せず、礼拝堂が本来の静かな場所に戻るには数刻の時間を要した。