世界の贄
お待たせしました。
生きているのか死んだのかもわからない、自らの作った血溜まりに倒れている自分。
セイエイとて、その姿に衝撃を受けなかったわけではない。だが、絆の“贄”であるならば、あり得ることでもある。
それよりも、贄である自分がそうならば、御子はどんな状況におかれているのか?
目を凝らしても自分の側に御子らしき姿はみえない。
これが予知された未来? トゥリアに聞かなければ。
焦燥に駆られて見渡せば、周囲には、様々な自分が見えた。そのいずれもが、苦痛に顔を歪め、苦悶している。
斬り伏せられ、突き殺され、毒に喘ぎ、斬首され、火にあぶられ、鞭打たれ、魔物に喰いちぎられ、生きながら貪られていることさえあった。
それは全て、自らの身に受けている暴虐だった。
それに気づいて初めて、セイエイは顔色を変えた。
どの自分の側にも御子は見えない。絆はどうなったのか。
セイエイはふらりと一歩踏み出した。
斬られている自分に近づき、同じ箇所に熱さのような痛みが走った。ぐっと喉を鳴らしたが、セイエイはさらに一歩踏み出して、鞭打たれる自分に近づき、背に同じ痛みを得てよろめく。今度は、火にあぶられる苦痛に喘ぐ。
痛みに耐えることも、贄の準備の一つで経験済みだ。セイエイを止めるには至らない。
御子を探して周囲を見渡し、怪我をしていない自分の姿があるのに気付く。
その自分に目を凝らす。
その自分は少女を抱きかかえて俯いていた。
凍りついたかのように、時間が止まって見える。
少女の青い髪に、セイエイの胸が言い知れぬ不安で疼いた。
様々な苦痛に喘ぎながら、その自分に近づき、少女の顔を確かめる。
それは、シャルナ、だった。
艶やかな青い髪は汚れてもつれ、傷ついた光を宿した瞳が、こちらを見た。
唇が震え、何かを言いかけるのを見て、セイエイはその声を聞こうと身を寄せた。
言葉は聞こえず、力尽きたシャルナが光の粒になって消えた。
セイエイの腕の中で、シャルナが消滅した。
さっきまで確かに腕に感じていたシャルナの感触が、消え去った。
それはまだ経験したわけではない未来。
そのはず。
だが、セイエイは、それを確かな現実として感じる。
シャルナを、消滅に、追いやった。
自分が、シャルナを、犠牲にした。
自分がそう思考しているのに気づく。
未来のはずの自分の思考と思いを、セイエイは共有した。
御子を助けるためには仕方がなかった。
そのために、シャルナを、消滅に、追いやった。
御子を守るには、こうするよりほかなかった。
そのために、自分が、シャルナを、犠牲にした。
御子を守ることが自分の使命だ。
その、ため、に、シャルナを、切り捨てた。
受け入れられない。
自分が許せない。
なのに、自分は、御子を優先して、シャルナを見捨てる。
何度考えても、同じ選択をする。
セイエイは、空を見上げて絶叫した。
それを為した自分を、バラバラにするように。
絶望して、喉が張り裂けよと、声を上げる。
シャルナが、犠牲に、見捨てた、守りたい、御子を、使命、冷静な判断を、己が、何故、憎い、仕方ない、この世界を、守る、なぜ、要らない・・・・。
心が千々に乱れて、バラバラに張り裂けて、セイエイの何かが歪み、狂う。
だめだ。
そう現在の自分が思う。
シャルナを犠牲にした上に、あのまま狂った自分が、歪みを撒き散らし、守ろうとしたはずの御子も、世界も、巻き込んで破壊すると確信してしまった。
まだ何も為していない現在の自分も、歪み狂う自分と同化して、バラバラに砕けていく。
狂うほどの絶望を自分に向けて、自分を世界を拒絶する。
現在の自分が、未来の自分と一緒に絶叫する。
こんな将来は認められない。こんな自分にはなってはいけない。
シャルナを見捨てておきながら、御子を守れず、世界を歪ませ堕とすようなことは二度としない。
そんなことを引き起こす自分は必要ない。
「・・・世界の、”贄”・・・」
トゥリアの声がした。
「世界の贄」
その言葉が、バラバラに砕けていくセイエイの心の中心に、ストンと収まる。
セイエイの在り様を、根元を、託宣となって既定する。
バラバラに砕け散って消え去りそうだった、セイエイをつなぎとめる救いとなり、呪いとなる。
無数の、苦痛にのたうちまわる自分。
それがどうした。いくらでものたうち喘いで見せよう。
世界の贄として、この身の血の一滴まで捧げ尽くして構わない。
世界の贄として、この心も、魂も、全て砕かれても構わない。
だから、シャルナを犠牲にしない。
シャルナは贄ではないのだから。
だから、シャルナのいるこの大地を、世界を守る。
世界を救う御子を守るのが自分の使命なのだから。
バラバラになったまま、無数の自分が希求する。
シャルナを守る術を。
御子を守る方策を。
無数に分かたれたセイエイの魂というべき部分は、無数の可能性の未来を垣間見ようと散らばった。
残されたのは、「世界の贄」とその在り様を定めた肉体だけ。
意思を宿さぬセイエイの身体がその場にくずおれた。
やっとこのシーンが書けました。
セイエイの精神の在り様を決めたターニングポイントでした。