時の方
お久しぶりです。
セイエイはじっと待っていたリスの方へ進む。
ウケイが茂みがあると手を伸ばしていたあたりを通った時、違和感があり、イオンとウケイの気配が消えた。
振り返って見ると、どういう術なのか、森の別の場所に移動したようだった。
戻るな!というように、キィっとリスが警戒の声を発し、セイエイは向き直る。
「不思議に思っただけです。行きましょう」
俊敏なリスの動きに、半ば小走りで着いて行けば、間もなく開けた場所に出た。
森の中にぽっかりとひらけたその場所には、明るい日差しがキラキラと降り注いでいた。
可憐な花の咲く草むらに座り込んだ女性の周りで、小鳥やリスが戯れている。
セイエイを先導していたリスが、さっと女性の元に駆け寄り、膝に前足を乗せた。
「お疲れさま」
落ち着いたメゾソプラノの声が答える。差し出された木の実をくわえると、リスはあっという間に仲間の元へ混じった。
不用意に近づけば、リスや小鳥を脅かしてしまいそうで、セイエイはその場に止まる。
女性がこちらを振り向いて首をかしげると、豊かな栗色の髪が柔らかく流れた。
「もっとこっちにきたら?」
こちらを見つめる瞳は、まるで森の色を閉じ込めたような神秘的なアースアイ。
それが今は、子どものような好奇心できらめいている。
セイエイはその場に膝をついて、頭を垂れた。許可を得たと感じ、口上を述べる。
「影一族、ツキヒが子、セイエイと申します」
「顔を見せて」
促されるまま顔をあげると、女性・・・時の方はどこか懐かしむような表情を浮かべていた。
この表情を知っている。
ツキヒと親しかった者は、セイエイを見ると、揃ってこの表情を浮かべる。その度に、セイエイはいかに自分の容姿が母に似ているかを再確認する。
ツキヒはセイエイに、自身のことをほとんど語らなかったし、感情もほとんど見せなかった。
「正妃の御子にお仕えする」ために。そのための心構え、学ぶこと、身を律すること、そういったことしか聞いたことがないような気さえする。セイエイにとって、ツキヒは母である以前に、師だとか先達といった印象がある。
だから、ツキヒを一人の女性として知っている者の、こういう表情に出会うと、ひどく居心地が悪かった。
時の方は、セイエイの戸惑いを察したように、苦笑した。
「それで、どうしてこの森へ?」
用件を確認する問いに、セイエイは先ほどよりも、もっと低く頭を下げる。
「影一族が長イオンより伝言を預かっております。イオンは森に対する行いを悔いています、どうか我が一族の過ちをご寛恕ください、と願っておりました」
温かなひだまりが突然吹雪の夜になったように、急激に気配が変わった。
黙って頭を下げ続けるセイエイに、硬い声が問う。
「それは、“キミ”の用件じゃないよね?」
「いいえ、それだけしかいいつかっておりません」
強い視線を感じたが、セイエイは頭を下げ続けた。
やがて、小さなため息がきこえ、頭を上げるよううながされる。
刺すような感情は消えていたが、冷ややかな気配で、時の方はセイエイを見つめていた。
「ツキヒは元気?」
「・・・息災だと思います」
すぐに返答できなかったのは仕方のないことだった。
「・・・思う? どういうこと?」
咎めるような声音に、言葉を選びながら答える。
「母とは7年前に王都で別れて以来会っておりません。叔父からは何も聞いておりませんので、息災だと思います」
時の方は眉根を寄せた。
「わからないわ。会ってなくても、手紙のやり取りぐらいするでしょう?」
「いえ、母と手紙を交わしたことはございません」
一緒に暮らしていた時でさえ、”御子にお仕えする”ための指導のようなやり取りしかなかったのだ。ウケイの管理下で修行中の自分に、連絡などくるはずもない。
セイエイ自身が修行の様子を報告するよう求められたことはなく、必要ならウケイがしているのだろう。
そのことになんの思い入れもなかったのだが。
「手紙も禁じるなんて!」
時の方が憤慨するのを見て、誤解されたことに気づく。
一族を許してもらうために来たのに、ほかのことで怒らせていてはいけない。
「いえ、禁じられてはおりません」
セイエイは目を伏せた。ツキヒと親しかった者ほど、ツキヒによく似た容姿の自分が、ツキヒのことをほとんど知らないことに驚くのを忘れていた。あの懐かしむ表情、時の方はツキヒの近況が聞きたくて自分を呼んだのだと思い至る。
「ただ、母と私は交流がないだけなのです。・・・ですから母のことでお話できることはございません」
「そんなはずないわ。だって、リスのこと知っていたわ。・・・ツキヒから聞いたんでしょう?」
思いもかけないことを言われて、セイエイも戸惑う。
「リス?・・先ほどのリスですか? この森の中で、野生とは思えない動きをする獣が、貴方様と無関係とは思えず・・・・術の気配も、ございましたし・・・」
セイエイの答えを聞くうちに、時の方の顔が驚愕の色を濃くするのに気づき、セイエイも困惑を深くした。
ありがとうございました。
続きは近いうちに。