やりすぎたツケ。
(7)やりすぎたツケ。
もう結構、とエンジュは追い払われ、居るべき場所へ戻っていった。それを見つめ、イーサーはバニーに尋ねた。
「バニーさん。エンジュちゃんに何を聞きたかったの?」
「本当はね」
バニーはエンジュの耳元で囁いた。イーサーは掌を当て、綻んでしまう口元を隠した。
「エンジュちゃんが聞いたら、きっと大慌てだよ」
「相手がアノヒトじゃ、ね」
「エンジュちゃん、どうなるのかなあ」
「さあ。イーサーに『助けて』って泣きついたりして」
「あははは」
「もう少し可愛げが有れば教えてあげたのに。残念」
「エンジュちゃんには悪気は無いんです。許してあげてください」
「んー。イーサーは本当に優しいわ。でも、嫌。許してあげない」
「あはははは。エンジュちゃん、嫌われたなー」
イーサーの笑い声がエンジュに届く。
― 俺の事だな。ナニ笑ってんだよ!
エンジュは聞き耳を立てた。
「でも、心配だわ。イーサーも無関係でないから。コトがあったら、無理はしないで逃げた方が良いわ」
「うん。でも、イーサーは平気だよ。怖くないし、実際、平気だと思う」
「それでも」
バニーはイーサーをぎゅっと抱きしめる。
「可愛いイーサーが怪我をしたら嫌だもの」
「嬉しい。バニーさん。ありがとう」
― ケッ! 本性はお化けスライムだぜ。油断してっと喰われちまうよ。
エンジュは陰で悪態をつく。
「でもこのままじゃエンジュちゃんが可愛そうです。やっぱりこの事、教えてあげてもいいですか?」
「そうね」
エンジュも目に掛けている後輩だ。だからこそ、此の場へ来たとも云える。
「じゃあ、エンジュの態度次第ね」
「あははは。分かりました。で、どうかなー。おーい、エンジュちゃん」
「ウルセエ。スライムお化け」
エンジュは小さく呟いた。
「今、『スライムお化け』って言ったわよ」
アリの足音程の呟きだったが、バニーには聞こえたようだ。
「あははは。エンジュちゃん。掃除しなきゃ駄目だよー。残念だけれど、ゴブリンズの事は内緒ね」
「ゴブリンズだと!」
カチカチを投げ捨て、エンジュは駆け戻る。
「ゴブリンズがどうした!」
ぐわり、とイーサー目掛けて飛び掛かる勢いで迫った。バニーは膝を曲げ、エンジュの突進を阻止した。
「イーサーは優しいわね。結局、教えてあげるのだから」
鳩尾からの激痛に泡を吹くエンジュを見下ろし、バニーが言った。
「アタシ、エンジュちゃんの事、キライじゃ無いから。御免なさい、バニーさん」
「謝らないで良いのよ。私はそんなイーサーが大好きなのよ」
バニーに抱き着かれ、イーサーはもみくちゃにされる。
「口が滑っただけダロ! とにかく、ゴブリンズがどうした? 早く言え!」
痛む鳩尾を押さえ、エンジュは立ち上がった。
「分かったわよ。教えてあげるわ。そう、睨まないで」
バニーはイーサーを抱いたまま、エンジュと向き合った。
「エンジュ。今朝の騒ぎに巻き込まれた女のコの事だけれど」
「え、誰の事っスか? 沢山いたからわかんないス」
「溶けて黒焦げのコよ」
「ああ、あのコね。すっかり忘れていました」
「今さっき、聞いたばかりなのに? もう忘れていたの?」
「なにぶん、関心が無いもので。で、あのコが何ですか」
バニーが『もういい』とウンザリする前に、イーサーは補足説明をする事にした。
「エンジュちゃんが“肥やし”にした女の子ね、実は」
「ああ。お前が“脱出カプセル”にしたヤツな、ソイツが実はどうした? ゴブリンズの身内ってか? まさかナ」
そんな筈はナイ、と余裕なエンジュにイーサーは頷き、バニーは冷笑する。
「マジですか」
一転、消沈のエンジュにイーサーは再度、頷き、バニーは冷笑を続ける。
「うおおおおお。ヤッちまった!」
叫びと同時に、エンジュは狂ったように首を振りまくった。
「あのコを喰わせた事は偶然なの?」
ほくそ笑むバニーが尋ねた。暇人にとって、他人の不幸は甘美な高級フルーツである。それが目に掛けた後輩なら尚更だ。
「当然スよ。適当にチョイスして、近くにいた奴を喰わせました。うわー、アイツ、爆弾だったのかヨ」
人生とは選択の連続だ。連荘で不幸を引く事もあるだろう。
― だけど、俺は悪形が多すぎるゼ。
それと、放銃も、と呟くエンジュだった。
しかし、呟くだけでは何も変わらない。どんな場合も負の連荘を止めるには、自身の行為を顧みる事が必要である。
「そうだ、イーサーだって無関係じゃ無いぜ」
そして、自身だけで無く、他人の行動を顧みる事も大切だ。
「まあね。でも、平気」
その結果、全てが無駄であっても。
「『でも、平気』ってナンダ? 随分、余裕だな、イーサー」
エンジュはバニーの腕の中にいるイーサーに詰め寄った。
「強い姐さんの保護下だから、安心ってコトかよ!」
エンジュはわめき散らした。
「ゴブリンズの、ゴブゴブの、アイツラだけは、アイツラだけはヤバいーんだよ」
コイツメコイツメ、と自己を抑えきれなくなったエンジュは、イーサーの首を絞め上げる。
「エ、エンジュちゃん。ちょっと放してよ!」
「うるさい! テメーも同罪のくせに!」
エンジュはぎゅうぎゅう、と力を入れた。だが、手応えが余りない。みると、イーサーの頸部は押し出されたトコロテン状に伸びていた。
「ゲゲゲ、キモ!」
途端に、エンジュは手を放す。
「もう―。エンジュちゃん、いい加減にしてよー」
にょろり、と伸びた首を戻し、イーサーが言った。首に手を当てて確認すると、指先にチェーンが絡まった。
「エンジュ。少しは落ち着いたら?」
バニーもイーサーを両腕から放した。結果として、イーサーを羽交い絞めしていた事になる。
「エンジュは大切な後輩よ。力になりたいと思っているわ。それに、イーサーも大好きだしね。私は二人の事がとても心配。だけれど、この件に関して私ができる事は此処までよ。以後はノータッチ。これから先は自分達で何とかするのネ。実は私もあの連中が苦手なのよね」
ゴメンネ、とバニーはウインクをする。
「ノータッチ、って。姐御は何もしなくても真黒なんスよ。アンタの背中は煤だらけ、頭から腹の底までまっくろ黒助の住処じゃん」
「誤解だわ」
「だと、イイんスけどね」
だが、当面の問題はゴブリンズである。
― あの連中か。
闇に紛れる事に長ける者あり、暗殺者として期待される者あり。しかも、筆頭者である暗黒ゴブリン・Zは顔色を変える事無く自身の身体さえも刻むと噂される人物だ。
― 自身を改造するなんて、なんて酔狂なヤツなんだ。
自身の手で自身の身体を刻むなど、想像するだけで身体が震える。
「あれれ。エンジュちゃん、静かになっちゃった」
イーサーはチェーンの絡まりを直していた。うじうじ、と出来たコブいじくり、トップの位置を調節する。
「身内と云っても簿妙な位置みたいだから大丈夫だとおもうけどな」
イーサーの言葉にエンジュは顔を上げた。
「微妙な位置って、ナンダ!」
「トップがココの、頸の付け根の、凹みに在るのがオシャレだってさ」
「ネックレスの事じゃない。ゴブリンズのハナシだよ」
ばっかじゃねーの、とエンジュは呟く。
「ああ。そうか。えーっとね。あのコ、まだゴブリンズで無いらしいの」
「はあ? 」
エンジュの顔に白けた表情が浮かぶ。
「ナンダよ、それー。全然、カンケ―無いじゃん」
フカシかよ、ビビッて損した、と胸を撫で下ろすエンジュの顔に赤みが戻る。だが、それを暇人のバニーが許す筈が無い。
「でも、暗黒ゴブリン・Zが告白したコらしいわよ。しかも、回答保留中」
リセットされた様に、エンジュの顔から血の気が失せた。
「ナンダよ、それ。滅茶、関係有るじゃん」
あんな奴に女なんか要らねーよ、エンジュは愚痴る。
「あはは、エンジュちゃん。独り芝居、上手だね」
「芝居じゃ、ナイ!」
再び、エンジュの顔が真っ赤になった。
「まあまあ、落ち着いてよ、エンジュ」
最も演劇上手なバニーが仲裁に入った。
「避けられない事だったのよ。それに、学園内に名前を売るには良いキッカケになるとは思わない?」
その言葉にエンジュは、ハ、と気が付く。
― そうだ。これはチャンスだ。
エンジュが目指す地点は、数多くの強敵の向こうにある。奴らを倒し、葬って前進するしか道は無いのだ。その為に力をつける。エンジュはイーサーとのマンネリ化した喧嘩でお茶を濁していた自分を恥じた。
「そうっスね。実力アップの切っ掛けにはなりそうですネ」
エンジュはバニーを感謝の目で見つめた。たまには良い事いうじゃん、とエンジュは関心の表情を見せる。
「あはははは。キッカケじゃなくて、キリカケになったりして」
「ご両親への手土産としては丁度良いわ。正式な交際を認めて貰うには十分な手土産になるわよ」
「アンタ等、どっちの味方だ! あーもー、イライラすんなァ」
エンジュは胸元を探り、煙草を取り出した。
「第一、あの地味キャラに、そんなバックが有るなんて想像つくかヨ」
顔も思い出せない地味キャラにエンジュは怒った。自分を顧みないのは若人の特権であるが、特権乱用の奴は例外なく連荘地獄に陥る。
「第一、誰だ。その迷惑な彼女は? 」
自身が加害者である事を忘れ、エンジュは自身が被害者ぶった。
「こんな迷惑な奴には、いずれお礼せんとな。姐御、その娘は誰だい? 」
「とばっちりは御免なの。教えないわ」
「あー、もー、そんならイイっすヨ」
エンジュは煙草を咥えるが、いつもの場所にライターが無い。今朝の喧嘩で失った事を思い出した。
「チッ。なんてこったーィ」
エンジュのイライラは増すばかりだ。髪を掻きむしり、喚き散らす。見かねたバニーがエンジュに言った。
「火、点けてあげようか?」
「そうっスね。お願いしようかな」
渡し掛けたその時、エンジュの視界に何かが光った。
― ガラスの、破片?
その存在に気が付いたエンジュは慌てて手を引っ込めた。
「あ。やっぱり、ご遠慮しときまス」
「何でよ」
仰ぐように校舎を見上げ、エンジュは断った。
バニーの方法は乱暴すぎる。あれでは煙草の火つけどころか、学園乱世時代の火付け役になってしまう。しかも、その責任はエンジュへと押し付けられ、蹴り壊した校舎、学園生活、その他すべての残骸処理等はエンジュが行う事となるであろう。
今朝の後始末ですらままならぬ身である。
それはつまり、エンジュの人生はソレダケデ終わってしまう事を意味するのだ。
― 当面、厄介事は控えよう。
ゴブリンズが相手ならば、厄介事は地下水のごとく湧き上がるだろう。
「すこし、禁煙しようと思っていたんスよ」
エンジュは咥えた煙草を箱に戻した。
バニーが厄介事増加を目論んでいる可能性もある。
「さっきは平気で吸ったじゃない」
「今、決心したんすよ」
エンジュは胸に手を当てた。
「御心を伝える役目をいただいた身体です。清廉が第一」
「ふーん」
そうまで言われればバニーも退くしかない。
「へー。エンジュちゃんが禁煙ねー」
イーサーがジャージのポケットを弄る。
「じゃあ、マッチも要らないよね」
「ナニ? 」
ひょい、と広げたイーサーの手の中にマッチが有った。
「なんてこったーィ」
エンジュのギャートルズ級な叫びの所為で、ぱらりぱらり、と壁から破片が落ちた。
「イーサー。お前、火、有ったのかヨ。何で言わねェんだ」
「聞かれなかったから」
別にいいでしょ、とイーサーはマッチをジャージのポケットに仕舞った。
「アタシ、生肉は食べないようにしているの」
「そうよ! 生より加熱した方が断然、良いわ」
イーサーとバニーはの間に再び食い物トークの兆しが見えた。
「アンタ等のアタマ、全然、分かんねーよ」
エンジュはイーサーに掴みかかる。
「骨なしだとか、生肉はダメだとか、こんな話をしている場合じゃ無いんだよ」
オラオラ、とエンジュはイーサーのジャージに手を伸ばす。ポケットに手を突っ込み、中を乱暴に弄った。
「きゃっ、ナニ。エッチ! あああ♡」
エンジュは戦利品を握った手を上げる。しゅ、と音を立てて擦ると、立ち込める燐の匂いがエンジュの鼻腔を刺激した。
「おー、おー、元気だ」
流れる動作で煙草を咥え、先端に火を点ける。用済みのマッチを投げ捨てると、エンジュは暫くぶりの煙を飲み込むように吸い込んだ。
「みなぎるなァ」
超愛煙家ならではのしみじみ感丸出しの姿である。
「あはは。エンジュちゃんって、オッサン過ぎる」
「煙草もショッポだしね」
「煙草って美味しいの? バニーさん」
「ヒトによると思うわ」
エンジュにとっては美味い、不味いの代物では既に無い。
― さてさて、どうすっかナ。
スパースパー、と吐き出す煙に、エンジュの姿は見る見る包まれていく。
「バニーさん。エンジュちゃんの荒業がすごいよ!」
「ほんと、エンジュは煙系が得意よね。きっとゴブリンズにも効果的だわ」
話しながらバニーはイーサーの頭、顔、首、肩、お尻、など至る所をなで回した。
「バニーさん。なんで、アタシをそんなに触るの?」
「ああ、ご免なさい。嫌よね、そうよね」
あわててバニーがイーサーの体から手を放した。ちょっとした気まずさを誤魔化す為、イーサーはケホリと咳をした。
「えー。バニーさん。アタシにはソッチ系の趣味はありませんが、興味が無くはないし……。 それに、それで新たな扉が開かれるならば、してもいいかな、なんて、考えちゃう」
ちまちま、とチェーンをいじりながらイーサーは赤くなる。バニーはそんなイーサーの頬に軽いキスをした。
「百合系話もいいけれど、ココではムードが無いわ。話題を変えましょう」
「えー。なんだー」
イーサーは照れと不満の混じった表情を見せた。
「アタシ、バニーさんにいろいろと教えてもらいたかったのになあ」
イーサーは首のチェーンを、ちまちま、ちまちま、ちまちまといじくった。
「勿論。イーサーにはいろいろと教えてあげるわ。だから、私にも教えてね」
「えー? バニーさんに教える事なんか無いけれどなあ」
「有るわよ。スゴイのが」
バニーが目を細める。
「なんだろう」
「まあ、いずれネ。此処では聞きにくいわ」
「ふーん」
攻受の件かな、とイーサーは思った。
「それよりもエンジュが心配ね。ゴブリンズ以外にも、随分と厄介事を背負っているんでしょう? 」
「多すぎて、アタシにはわかりません」
「そう」
バニーはエンジュを見た。イーサーもつられて目を向ける。
「それでもエンジュは平気か。強いから」
「え? 」
イーサーは耳を疑った。バニーの呟きが意外だったのだ。
「バニーさんの方が強いと思うけれどな」
「今わね。でも、この先は分から無いわ」
バニーはイーサーに笑顔を向ける。
「私は非力な兎系獣人でしかない。ピラミッドの底辺、最弱の部類よ」
目を逸らさずに、バニーは続けた。
「イーサーには理解できないかもね。当たり前の事、生命体としての差異の事だから」
「差異? 」
「つまりね、男と女、若者と老人、人間、獣人、悪魔系人種、動物、植物、その他。そういった違いよね。根本的な違いの事よ」
「うーん。考えた事も無いなぁ」
多種多様なヒトがいる。彼らは各々、生き方、考え方、身体、精神、能力、味覚、嗜好、空間的な感覚と時間の経過スピードが異なる。つまり、皆と同じ方が不自然なのかもしれない。
「でもね。色々な生命体がいるけれど、その違いを超えて理解しようと努力したり、許したりする事が種族感を超えた絆、つまり友情になると思うのよ」
バニーの言葉にイーサーは目を丸めた。
「すごーいビックリ。やっぱり、バニーさんはすごーい」
バニーの言葉に、イーサーは素直に感動をする。
「あらあら、らしくない事を言ってしまったわ」
「友情、トモダチ。大切なことは授業では教えてくれないなあ」
イーサーはうんうんと頷く。そんなイーサーをバニーは口元を緩めながら見つめた。
「イーサー」
バニーはイーサーの頭に手を置き、エンジュを見る。
「イーサーはエンジュの事、嫌いじゃないのでしょう」
「はい。アタシはエンジュちゃんと仲よくと思っています」
「なら、力になってね」
イーサーはバニーの視線から目を逸らさなかった。純粋な尊敬の眼差しをバニーへ向ける。
バニーはその直視を躱すように、エンジュへと視線を移した。
「きっとその機会は近いわ」